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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年02月03日

今日のコラム



☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆ 

2月3日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM )

人間道に立つ

 われわれ人間は、相寄って共同生活を送っています。その共同生活をうまく運ぶには、どうすればよいのか。みんなが生かされる道を探さねばなりません。

 お釈迦さまは「縁なき衆生は度し難し」と言っておられます。しかし、なろうことならそうした諦観を超え、お互いを“有縁”の輪で結びあわせることができないものかと思います。そのためには、お互いのあるがままの姿を認めつつ、全体として調和、共栄していくことを考えていかなければなりません。それが人間としての道、すなわち“人間道”というものです。お互いに“人間道”に立った生成発展の大道を、衆知を集めて力強く歩みたいものです。


【コラム】筆洗 

2014年2月2日 東京新聞TOKYOWeb

▼春が近い。歳末、正月、小寒と大寒、節分、そしてようやく立春へ。冬から春にかけて暦の上に「折り目」がたくさんあるのは、春を待つ気持ちと関係がある

▼文芸評論家の山本健吉さんが書いている。「一つ一つが冬をやり過ごす者にとって心の支えになる。それほど春は待たれている」

▼球春到来。十二球団が一斉にキャンプに入った。キャンプやオープン戦の季節をいう「球春」は今では春の季語としてちゃんと認められている。野球はもちろん米国生まれだが、不思議なことに「球春」を表現する英語がない。日本生まれの野球の言葉といえる

▼誰が言い出したのか語源はよく分からない。山本さんの言葉を借りれば、冬をやり過ごす心の支えとして日本人の心が「球春」という、新たな「折り目」を思いつかせたのかもしれない

▼「やるからには勝ちたいが、いつでも勝てるものではない。ベストをつくしさえすれば勝とうと負けようと笑っていればよい。人生はボール・ゲームである」。詩人の鮎川信夫さんはそう書いた

▼「球春」に心ときめくのは新たなシーズンへの、そしてやはり人生の無限の可能性を思うからだ。勝てるかもしれない。優勝するかもしれない。誰にも、笑う権利はない。やってみなければ分からないのである。<春風やまりを投げたき草の原>正岡子規。待ったかいのある季節ではないか。


【社説】東京新聞TOKYOWeb

週のはじめに考える 高所から見る知恵を

2014年2月2日


 「高みに登って遠くを望む」。日中で波風がたつと、双方の政治家からそんな知恵が出されたものです。非難合戦の今、広い視野が欠けているようです。

 家の戸口につるされた赤い灯籠が揺れ、爆竹の音が響きます。街では「新年好」と新年のあいさつが交わされています。中国大陸は春節(旧正月)の華やいだ雰囲気に包まれています。

 安倍晋三首相の靖国神社参拝に対する批判の激烈さは、ひとまず「春節休戦」といったおもむきです。

 しかし、「国際正義と人類の良知に対する公然たる挑戦」(程永華駐日大使)とまで非難する中国の強硬姿勢は近年、まれにみるものです。

◆国際秩序への挑戦か

 安倍首相は「国のために倒れたご英霊に対し尊崇の念を表するため」として、中国や韓国の反発を承知で参拝を強行しました。参拝を「間違っていない」とし、「批判されても役割を果たしていく」と述べました。

 しかし、靖国にはA級戦犯が合祀(ごうし)されており、国の指導者が参拝すれば、日本が侵略戦争を引き起こした軍国主義を認めたとの誤解を、近隣諸国に与えかねないのは当然です。

 首相としての立場より個人の信念を優先して参拝を強行したのであれば、日中関係について「高みに登って遠くを望む」ような熟慮が足りなかったと批判されても仕方ありません。

 ただ、中国が四十人以上の外交官や官製メディアを動員し、「戦後の国際秩序に対する挑戦」などと、日本と国民全体への一方的な批判を世界中で繰り返しているのは納得できません。

 日本は侵略戦争の歴史を深く反省し、平和憲法を掲げて戦後七十年にわたり平和国家建設の努力を重ねてきました。

 中国は、侵略戦争に「痛切な反省」を示した「村山談話」を高く評価し、不戦の誓いをうたった日中共同声明などの重要性を認識しているはずです。

 中国メディアは対日政策を「対外的な世論戦強化で日本を重点的に孤立させる戦略」と報じています。中国当局は「首相自ら門を閉じた」として指導者の会見を拒否しています。地方レベルや民間交流にまで甚大な悪影響が及んでいます。

 日中二千年の悠久の交流史に鑑みれば、中国の居丈高に映る対応も「高みに登って遠くを望む」姿勢とは遠い、短絡的な対応と言わざるをえません。

◆歴史認識での想像力

 懸念されるのは、中国指導部が求心力を高めるために、必要以上に対日強硬世論をつくりだしていないかということです。

 テレビなどで習近平国家主席らの厳しい対日批判が放映されると、ネットにすぐさま「好」「完全同意」などの書き込みが現れます。だが、一党独裁の中国では、党や政府に批判的な世論は表に出にくいものです。

 上海の街に出てみると、率直な庶民の本音を聞くことができます。

 三十八歳の男性は「両国関係の悪化は庶民の生活に悪影響を与える。戦争なんて絶対に嫌だ」と話していました。

 自国の歴史を深く見つめた意見もありました。出版社勤務の六十歳の男性は「抗日戦争後、文化大革命では中国人が中国人を傷つけた。指導者は日本批判ばかりするのでなく、自分たちのやったことを省みるべきだ」と、冷静かつ辛辣(しんらつ)です。

 何よりも、歴史認識の問題では双方が自国の犠牲者ばかりを尊ぶ発想から少し離れ、相手方の立場で考えてみるという想像力がもっと必要でしょう。

 核被爆国としての戦争被害の視点は、日本国民であれば、到底忘れることはできるはずもありません。

 一方、中国政府報道官は「立場を変え、もし日本指導者が南京大虐殺被害者の遺族や子孫の立場に立てば、靖国参拝できるだろうか」と述べました。耳を傾ける必要があるでしょう。

 安倍首相が「尊崇の念」の表明だから「間違っていない」と強弁するのは、相手方の犠牲者を尊ぶ視点に欠けています。

◆つまだつ者は立たず

 どの国の指導者でも強いリーダーを望むでしょう。ただ、そのために歴史問題で愛国心をかきたてようとすれば、国のかじ取りを誤るでしょう。

 中国の古典老子にいわく「つまだつ者は立たず」。

 つまだって背伸びしている者は無理があり、長く立っていられない、との教えです。虚勢を張るかのように角を突き合わせる日中の指導者に、深く胸に刻んでほしい言葉です。


☆ 今日は節分の日です。皆様にとって良い一日で有りますように ☆  

Posted by kazu at 07:12Comments(0)