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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年04月30日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

4月30日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

困難から力が生まれる

 人間というものは恵まれた順境が続けば、どうしても知らず識らずのうちにそれに馴れて、安易になりやすい。昔から“治に居て乱を忘れず”ということが言われ、それはきわめて大切な心構えであるけれども、そういうことがほんとうに百%できる人はおそらくいない。やはりどんな立派な人でも無事泰平な状態が続けば、つい安易になる。安心感が生じ、進歩がとまってしまう。

 それが、困難に出会い、逆境に陥ると、そこで目覚める。気持を引き締めて事に当たる。そこから、順調なときに出なかったような知恵が湧き、考えつかなかったことを考えつく。画期的な進歩、革新もはじめて生まれてくる。


【コラム】筆洗

2014年4月29日東京新聞TOKYOWeb

▼鰊群来(にしんくき)。晩春の北海道西部にはかつてニシンが大群となって押し寄せた。海面が乳白色に見えたという。ニシン漁は明治末から大正期に隆盛を極め、地域に富をもたらした

▼<鰊群来今なし残る浪(なみ)と唄 福田蓼汀(りょうてい)>。回遊路の変化か乱獲か、戦後、ニシンは姿を消す。漁は廃れた。北原ミレイさんの「石狩挽歌」(作詞・なかにし礼さん)。ニシン御殿も<今じゃさびれてオンボロロ>。幼年期を小樽で過ごした、なかにしさんが見た光景という

▼歌の中に<沖を通るは笠戸(かさと)丸>とある。奇妙な運命をたどった船である。元は一九〇〇(明治三十三)年、英国で建造された。ロシア義勇軍に売られ、日露戦争で戦ったが、日本に奪われた

▼その名が残るのは初のブラジル移民船だったからである。〇八(明治四十一)年四月二十八日。移民七百八十一人を乗せて神戸を出港した。夢と不安を積んだ船は、苦労したブラジル移民と日系人にとってのシンボルだったという

▼船の数奇な運命は続く。客船や病院船、蟹(かに)工船などに使用され、最後は四五年カムチャツカに沈む。旧ソ連の攻撃で撃沈された

▼歴史の波間に浮かび、消えたニシン漁、ブラジル移民、「笠戸丸」。そして現在。深刻な人口減に悩む日本に移民の是非が議論される。ニシンは戻らないが、移民の方は再び歴史の波頭に姿を見せる。今度は受け入れる側としてである。


【私説・論説室から】東京新聞TOKYOWeb

東京の海をより身近に

2014年4月28日

 超高層の霞が関ビル、その上層階の会社を取材で訪れた。澄みきった好天の午後でガラス越しの光景に心を奪われた。眼下に広がるビル群の向こうに輝いていたのは青い海。

 三十年も前のことだが、あの海の青さが忘れられない。東京で育ったが、あの時まで東京で海を見た記憶がなかったから。

 物心ついた一九六〇年代、東京の海岸線は工場や造船所、倉庫で埋め尽くされていた。晴海通りで銀座を抜け、勝鬨橋を渡ると、その先は港湾エリアで人を寄せ付けなかった。

 少し離れた「夢の島」には第五福竜丸の展示館がある。行かれたことはあるだろうか。

 「夢の島」は私の世代には「ごみの島」のイメージと重なる。都内のごみ処理が集中していた江東区が杉並区のごみ受け入れ阻止に動いた「ゴミ戦争」があったのは七二年だった。その「夢の島」が、戦後間もない四七年にオープンした東京では最後の海水浴場の名前だと知ったのは最近のことだ。

 東京の海が身近になったのはレインボーブリッジが開通し、お台場に人工ビーチができた九〇年代になってからだ。開放、自由、自然、生命、畏怖…海は目の前にしただけで日々の雑念から人を解き放つ力がある。インフラの老朽化、震災対策、高齢化など東京は多くの課題を抱えているが、「湾岸で開かれる五輪」という東京に海を取り戻す好機を逃さないでほしい。 (安田英昭)

4月30日を図書館記念日

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

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2014年04月29日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います☆

4月29日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

心を遊ばせない

 指導者というものは、常に心を働かせていなくてはいけない。もちろん、それは四六時中仕事に専念しろということではない。それではとても体がもたない。だからときに休息したり、あるいはレジャーを楽しむこともあっていいと思う。ゴルフをするなり、温泉に行くのもそれなりに結構である。

 しかし、そのように体は休息させたり、遊ばせたりしていても、心まで休ませ、遊ばせてはいけない。お湯のあふれる姿からも何かヒントを得るほどに、心は常に働いていなくてはならない。全く遊びに心を許してしまうような人は、厳しいようだが、指導者としては失格だと思う。


【コラム】筆洗

2014年4月28日東京新聞TOKYOWeb

▼早いもので四月尽も迫る。齢(よわい)を重ねるほど一日や一年が過ぎるのが早くなる。「人の感じる時間の長さはその年齢に反比例する」。「ジャネの法則」というそうだ

▼年齢による経験で時間の受け止め方が異なるためという。三歳の子にとって一年間は人生全体の三分の一。五十歳の人間には五十分の一。時が軽くなるということか。時の流れを押しとどめたい年齢層には嫌な法則でもある

▼もっと気の重くなる時間のたとえがある。「人生時間」という。年齢を三で割ってみる。人生を一日間に置き換えた場合、自分が何時にいるのかが分かるそうだ。三十歳なら割る三で十。午前十時。時間は十分にある。六十歳。二十なので午後八時。日没は過ぎたが、まだまだ十分楽しめる時間帯である

▼認知症の高齢者が行方不明になるケースが増えている。認知症の患者が増加し、しかも自宅介護の場合は介護するのも同じ高齢者。ずっと目を離さぬことは困難で認知症患者は外へ出る

▼自分の家はここではない。自宅にいるのにそう思い込む人もいる。自分の家を出て「自宅」へ向かってさまよい歩く。なんとも切ない、無限の旅

▼人生時間の「深夜」の時間帯を過ごし、しかも判断力の衰えている人々に安心の灯火を用意するのは当然なのに国の対応は遅い。政府の感じる時間と国民の感じる時間。認知症問題ではそれが違いすぎる。


【社説】東京新聞TOKYOWeb

認知症事故訴訟 介護への影響は甚大だ

2014年4月28日


 認知症の男性の事故で鉄道会社に生じた損害を家族が負担すべきかが争われた裁判の控訴審は、妻のみ賠償責任を問われた。認知症が急増する社会に沿った判断か。公的な賠償制度も検討すべきだ。

 家族側に全面的賠償を命じた一審の判断は適正か。介護現場の注目を集めた裁判だった。

 愛知県大府市で二〇〇七年、認知症の男性=当時(91)=が徘徊(はいかい)中に列車にはねられ死亡し、JR東海が男性の遺族に振り替え輸送代など約七百二十万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁は男性の妻(91)と長男(63)に全額支払いを命じた一審判決を変更し、妻に対してのみ約三百六十万円の賠償を命じた。

 遠方で暮らす長男への請求を棄却し、新たにJR側に対して、「駅の利用者への監視が不十分だった」などと安全対策の不備に言及し、賠償を半分に減額した。この点は一定評価ができるだろう。

 しかし、妻だけであっても、家族に賠償責任を負わせる点は一審と変わらない。民法が定める監督義務者として配偶者の責任は免れないという考え方である。

 夫婦が互いに協力し、助け合っていくことが大切なのはもっともだが、配偶者というだけで常に責任を負わされるなら、精神的にも、経済的にも追い詰められる。在宅介護は立ちゆかなくなる。

 認知症を患う人は、今や高齢者の七人に一人、予備軍もあわせて四人に一人に上る。高齢者が高齢者を介護する「老老介護」も増え、高齢ながらできる限りの介護に尽くしている人は大勢いる。

 事故で亡くなった男性は「要介護4」だった。妻がまどろんだ数分の間に家を出た。

 同じような事故はほかでも起こる。認知症の徘徊対策として玄関に開閉センサーをつけても、ヘルパーに頼んでも、行動予測の難しい人を二十四時間、一瞬も目を離さず見守ることは不可能だ。在宅であれ、施設であれ、部屋に閉じ込めることなどできない。

 この判決が前例になれば、ほかの事故でも損害賠償裁判で責任を問われる。亡くなる人は被害者でもある。家族だけに賠償を押しつけない、鉄道会社の責務や、社会的な救済制度が考えられるべきだ。保険料は運賃に上乗せし、事故の時は保険から支払われる仕組みがあってもいい。

 認知症の事故は列車に限らず、自動車などでも起きる。事故による負担を社会全体で分かち合う、そんなシステムをつくりたい。

☆今日は雨の朝です。皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

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2014年04月28日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

4月28日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

会社は道場

 仕事というものは、やはり自分でそれに取り組んで、体得していかなければならないものだと思う。しかし自得していくには、そのための場所というか、道場とでもいうものが必要であろう。

 ところが幸いなことにその道場はすでに与えられている。すなわち、自分の職場、自分の会社である。あとはその道場で進んで修業しよう、仕事を自得していこうという気になるかどうかということである。しかも会社という道場では、月謝を払うどころか、逆に給料までくれるのだから、こんな具合のよい話はない。このような認識に立てば、仕事に取り組む姿も、謙虚に、しかも力強いものになるはずである。


【コラム】筆洗

2014年4月27日東京新聞TOKYOWeb

▼<富は富岡 北甘楽(かんら) いやいや 日本の名の誉れ 富んだ 富んだ みな富んだ 世界の富を引き寄せた>。群馬の富岡製糸場を歌った「北甘楽行進曲」の六番。威勢がいい

▼二十六日、「製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産への登録が確実になった。登録を目指してきた富岡市の関係者には、歌でいえば「世界遺産を引き寄せた」であろう

▼作詞は北原白秋、作曲は弘田龍太郎。製糸場五十年の記念につくったというから一九二二(大正十一)年か。地名とはいえ、短い歌の中に「富」の文字が六つ。富国強兵の「富」、外貨の「富」。日本の近代化という、この工場が背負った期待と役割が分かる。それに応え、品質の高い糸を生産した主役は工女。女性たちである

▼彼女たちも当初は二の足を踏んだ。初代所長の尾高惇忠(おだかあつただ)の伝記『藍香翁』によると西洋人への恐怖心があった。血を吸われる。目撃者もいた。「如何(いか)なる物をか見たる?」「血酒」「そは日用の葡萄(ぶどう)酒なりき」

▼今聞けば、出来の悪い怪談だが、当時は真剣だった。そこで働き、近代化の礎を築いた「工女」を思う時、この工場が女性のこさえた世界遺産に見えてくる

▼白秋には、この工場にちなむ別の歌もある。二九(昭和四)年の「繰絲(くりいと)の歌」。<よりによりかけ からんだ絲よ おまへ切れてもわしや切れぬ>。婀娜(あだ)な文句に工女の人間味があふれる。


昨日のカープ

27日マツダスタジアム、カープ3―0巨人、勝ち投手一岡1勝、本塁打エルドレッド8号 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 06:49Comments(0)

2014年04月27日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆


4月27日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

賢人ばかりでは

 世の中は賢人がそろっておれば万事うまくいく、というものでは決してありません。賢人は一人いれば、それで十分なんです。さらに準賢人が三人、準々賢人が四人ぐらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事がはかどらないといったようなことになりがちです。

 一つの実例をあげれば、ある会社で三人の立派な人物が、お互いに協力しあっていたはずなのにどうもうまくいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッと合って非常にうまくいき、抜かれた人物も他の分野で成功した。そんなことがよくあるものなのです。


【コラム】筆洗

2014年4月26日 東京新聞TOKYOWeb

▼五年前の四月五日午前十一時三十分ごろ、北朝鮮は長距離弾道ミサイルを発射した。その六時間後、オバマ米大統領はプラハで演説した

▼「核保有国として、核兵器を使用したことのある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります。…本日、私は明確に信念を持って表明します。米国は核兵器なき世界の平和と安全を追求していくと」

▼無論、大統領は「目標にはすぐには、恐らく私が生きている間には、到達できないでしょう」と言い、当面は核抑止力で同盟国を守るとも語った。しかし、同時にこうも言った

▼「希望より恐怖を選んだ時の道を私たちは知っています。協力の呼び掛けを非難し、一笑に付すことは簡単ですが、臆病なことでもあります。戦争は、そのように始まるのです」

▼時はめぐり、大統領のアジア歴訪をにらむように北朝鮮は核実験の構えを見せている。直面する厳しい現実があるからこそ、未来に向けた理想の意義もあるはずだが、唯一の被爆国・日本の首相との共同声明を読んでも、かつての熱は感じられない

▼「『武器を取れ』という呼び掛けが、『武器を置け』という呼び掛けより人々の感情をかき立てることを、私は知っています。だからこそ平和と進歩を求める声をともに上げなくてはならないのです」。五年前にプラハから届いた言葉は、忘れるには惜しい言葉である。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

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2014年04月26日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

4月26日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

知識を活用する訓練

 松下政経塾には、優秀な先生方に講師として来てもらうわけですが、普通の学校のような授業はやらない。まず、学生が質問をしてそれを先生に答えてもらう形式をとる。質問するものがなかったら、先生は何も言ってくれないというようにしたいんです。質問をするためには疑問を持たなければならない。疑問を持つに至るまでの勉強は自分でやらなければならないというわけです。

 つまり、知識を与えるのではなく、持っている知識を活用する能力を育てていく訓練を重ねて、自分の考えを堂々と主張できるような人間になってもらいたいという願いを持っているのです。



【コラム】筆洗

2014年4月25日 東京新聞TOKYOWeb

▼岐阜県郡上市の粥川(かゆかわ)清見さん(77)は、鰻(うなぎ)を食べない。嫌いなわけではない。ただの一度も口にしたことがないと言うのだ。「鰻を食べぬこと」。それが生まれ育った粥川谷の掟(おきて)だからだ

▼平安の昔、谷の民は妖鬼に苦しめられた。退治のために都から貴人が遣わされたが、道に迷った。その時案内に現れたのが鰻。見事使命を果たした貴人は、こう命じた。「鰻は神の使い。大切にせよ」

▼民俗学者の佐野賢治さんによると、鰻を食することを禁ずる風習は各地に伝わるという。鯰(なまず)が暴れれば地震が起きるように、鰻が暴れれば洪水が起きると信じ、治水への祈りをこめ大切にしてきたのだ

▼だが皮肉なことに、治水への取り組みが鰻のすみかを奪ってきた。東京大学などの研究者が調べたところ、コンクリート護岸が進んだ川ほど鰻が減っていたそうだ

▼無論、近代的な護岸で救われた地も多いだろうが、鰻の家を奪いつつ食べに食べれば、絶滅の危機に瀕(ひん)するのは当然の帰結。コンクリートで岸を固めることで、川との対話まで封印してきたのだろう

▼粥川谷では、護岸工事をしても鰻がすめるよう人々が意を尽くしてきたと、粥川さんは言う。それにしても本当にあの味を知らないのか。念を押したら、「旅先の宴会でいい匂いの茶わん蒸しが出たんだが、よく見れば鰻が入っていてな。いや、危ないところだった」と笑った。

昨日のカープ
カープVメール

25日マツダスタジアム、カープ7―3巨人、勝ち投手篠田2勝1敗、本塁打丸5号、ロサリオ1号 詳しくは中国新聞朝刊で

今日もカープを応援します。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 06:29Comments(0)

2014年04月25日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

4月25日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
福祉はみずからつくるもの

 お互いの福祉を向上させていくことは好ましいことであり、基本的には大いに推進されていい。しかし問題は誰がそれを生み出すかである。

 今日、一つの風潮として、国民は国がいろいろやってくれるだろうと思い、国は国民の税金を頼り、足りなければ増税したらいいという安易な考えがある。それぞれが何とかなるだろうと考えているわけである。しかし、福祉を高めていくのに必要な資金は、みな国民が営々として働き生み出した税金にほかならない。つまり福祉を行なうのは形の上では国であっても、国民なのである。そういう認識を深くし、福祉の向上のためにお互い何をすべきかを考えることがきわめて大事だと思う。


【コラム】筆洗

2014年4月24日東京新聞TOKYOWeb

▼<妖術という身で握る鮓(すし)のめし>。古い川柳にある。鮨(すし)を握る鮮やかな手さばきがどろんどろんの忍術使いのように見えたか

▼修業当初、「本手返し」と呼ばれる伝統的な握り方が上手にできなかったそうだ。銀座「すきやばし次郎」の鮨職人で「現代の名工」の一人にも選ばれている小野二郎さん(88)。この道六十四年▼不器用で、「本手返し」に苦労した結果、「二郎握り」という独特な技術を編み出した。口に入れると米粒が解(ほど)ける。外側三列の米粒だけを固く握るというから「妖術」めいている

▼二十三日夜、安倍晋三首相とオバマ米大統領が店を訪れた。大統領の鮨好きを聞いて首相がこの店を選んだという。TPP交渉の進む中、大統領がうまい鮨に、日本のコメは守るべき大切な文化、伝統であることを認識してもらえたらいい

▼小野さんに密着した米国人監督によるドキュメンタリー映画「二郎は鮨の夢を見る」(二〇一一年)は米国でも評判になった。その中で小野さんが語っている。「この年齢になっても(技術が)完璧とは思えない」「頂上が分からない」

▼人の二倍、三倍と努力することで技術を伸ばした。練習には卯(う)の花などを使ったという。頂上、結論を強引に急いでも成功しない。大波も立つ。それを二人に語ってやってほしいと思ったが、あいにく、二郎さんは鮨を握っている時はしゃべらない。


今日の誕生日の花と花言葉(ラジオ深夜便より)

今日の花=ライラック Lilac 。花言葉 = 思い出を大切に

昨日のカープ

カープVメール

24日神宮球場、カープ9―2ヤクルト、勝ち投手大瀬良2勝1敗、本塁打田中1号、小窪1号 詳しくは中国新聞朝刊で

今日からの 巨人戦楽しみです。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆   

Posted by kazu at 06:20Comments(0)

2014年04月24日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆


4月24日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
 
心が通った商売

 商売というものは、形の上だけで見れば、品物を売って代金をいただくということですが、それでは自動販売機と変わりません。そこにやはり買っていただいてありがたい、という感謝の気持、お客さまが大事、といった気持を持つことが、商売本来のあり方だと思います。

 よく昔の商人は「お客さまの家の方には足を向けて寝ない」というほどの感謝の気持で客に接したと言います。そうすると、そういうものがおのずと客にも伝わり、同じ品物でもあの店で買おうということになって、両者の心が通い、社会全体が潤いのあるものになってきます。私は商売にも“物心一如”ということがきわめて大切だと思うのです。


コラム】筆洗

2014年4月23日 東京新聞TOKYOWeb

▼ジミーチュウ」と書き出してみる。その名を目にして「えっ、何」と身を乗り出すのは女性の方か

▼聞いたこともないというお父さん層のために説明すると靴を中心にした英国の高級ブランド名。チュウという珍しい名は創設者がマレーシア出身のジミー・チュウさんだからである

▼何やら広告めいてしまうが、履き心地のよさと造形美から「魔法の靴」と呼ばれるそうである。故ダイアナ元英皇太子妃、マドンナさんをはじめ世界の有名人に愛用されているというから、もちろん高価。富と名声の象徴というイメージがある

▼ファッション業界を描いた米映画「プラダを着た悪魔」(二〇〇六年)の中にこんなせりふがあった。「ジミーチュウの靴を最初に履いた時、あなたは悪魔に魂を売ったのよ」。ハイヒールを履かぬ人間には想像できないが、それほどの魅力なのか

▼そのチュウさんが先週、福島市を訪問したのは、会津木綿や川俣シルクなど地元の伝統工芸品を利用してこしらえた六足のハイヒールを公開するためである。福島の伝統工芸の評判を世界に広めて、地元ビジネス、復興へと結びつける構想なのだという

▼マレーシアの靴職人の家に生まれて、初めて靴を作ったのは十一歳の時だという。その靴には悪魔の魅力があるというが、その人自身は復興のためにつかわされた「天使」の一人なのかもしれない。


昨日のカープ

カープVメール

23日神宮球場、カープ6―3ヤクルト、勝ち投手バリントン3勝2敗、セーブ・ミコライオ8S、本塁打広瀬1号、梵2号 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も良い天気です。皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

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2014年04月23日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います。☆

4月23日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

目標を与える

 指導者にとって必要なことは、目標を与えることである。指導者自身は特別な知識とか、技能は持っていなくてもよい。それは専門家を使えばいいのである。しかし目標を与えるのは指導者の仕事である。それは他の誰がやってくれるものでもない。もちろん、その目標自体適切なものでなければならないのは当然である。だからそのためには、指導者はそういう目標を生むような哲学、見識というものを日ごろから養わなくてはならない。

 自分の哲学なり、体験に基づいて、その時どきに応じた適切な目標を次つぎと与える。指導者はそのことさえ的確にやれば、あとは寝ていてもいいほどである。


コラム筆洗

2014年4月22日 東京新聞TOKYOWeb

▼奇妙な一致や偶然を目の前にすると、人は考え込むものだ。天が何かを告げようとしているのではないか。ルビン・カーターさんが二十日亡くなった。七十六歳▼黒人の元ボクサー。冤罪(えんざい)事件を描いたデンゼル・ワシントン主演の映画「ザ・ハリケーン」のモデルといえば、思い出すだろうか

▼一九六六年六月、米ニュージャージー州のバーで三人が殺された。現場近くを車で走っていたカーターさんが逮捕された。無実を訴えたが、有罪の評決が下り、八五年に釈放されるまで十九年間服役した。冤罪事件の背景には人種差別もあった

▼袴田事件も同じ年同じ六月だった。同じ元ボクサー。獄中にあった袴田巌さん(78)は境遇の似たカーターさんが釈放された時、手紙を書いたという。「万歳万歳と叫びたい」。カーターさんの返事は「決してあきらめてはならない」だった

▼<生き地獄の無実の男 それがハリケーンの物語 彼に時間を返してやってくれ。世界チャンプにもなれたのに>。カーターさんの悲劇を歌手のボブ・ディランさん(72)は七五年の「ハリケーン」でこう歌った

▼この一カ月の間に袴田さんが釈放され、カーターさんがこの世を去る。現在ディランさんは来日中である。不思議なめぐり合わせに日本人が考えるべき「メッセージ」があるとすれば袴田事件を、冤罪事件を「絶対に忘れるな」に決まっている。


昨日のカープ

カープVメール

22日神宮球場、カープ7―4ヤクルト、勝ち投手野村3勝1敗、セーブ・ミコライオ7S 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

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2014年04月22日

今日のコラム

☆お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います☆ 

4月22日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

自分の会社を信頼する

 新しく会社に入られたみなさんにとって大事なことはいろいろあるでしょう。しかし、私は基本的に言ってまず一番大事なのは、みなさんが自分の会社を信頼するということではないかと思います。みなさんの会社が、みなさんを迎えたのは、みなさんを信頼しているからです。またみなさんもその会社を信頼して入ったわけです。

 だからみなさんは、自分は会社を信頼しているのだ、そしてよき社員になるのだ、そして会社を通じて、人間として社会奉仕をするのだと考える。

 そう考えていたなら、まず失敗することはないだろうと思います。


【コラム】筆洗

2014年4月21日 東京新聞TOKYOWeb

▼<僕の名はルカ。二階、君の部屋の上に住んでいるんだ>。シンガー・ソングライターのスザンヌ・ヴェガの「ルカ」(一九八七年)という曲。親から虐待を受けている子どものことを歌っている

▼<真夜中に大きな音が聞こえてきても僕に何があったかなんて、聞かないで>。ルカはどんなに親に虐待されていても何も話そうとしない。そんな歌だった

▼八〇年代後半の日本では今ほど児童虐待問題への注意が払われていなかった。日本でもヒットしたとはいえ、大半の日本人はこの歌をどこか遠い場所の物語であって、身の回りの問題とは受け止めていなかった

▼もちろん児童虐待はその後、日本でも大きな社会問題となった。昨年虐待があったとして児童相談所へ通告された十八歳未満の人数は二万一千六百三人。統計を取り始めた二〇〇四年以降で過去最大である

▼あの歌から三十年近くになるが、子どもへの暴力は今なお増え続けている。ヴェガの新作に「ソング・オブ・ザ・ストイック」という曲を見つけた。<十八年間の痛み いくつものあざ それが、自分の人生の事実>

▼大人になったルカの歌だとすぐに分かった。生活は大変だが、愛する女性にも出会った。痛みの記憶は今も残っている。「過去」という重荷。いつか解放されたいと願う。前向きな歌に聞こえるが、ルカの痛みは決して消えていないのである。



【社説】東京新聞TOKYOWeb

配偶者控除 女性就労の壁は本当か

2014年4月21日


 安倍晋三首相の意向で政府税制調査会が始めた「配偶者控除」廃止議論は到底理解できない。女性就労の妨げとの論理の乱暴さもさることながら、廃止による大幅増税は家計への打撃が大きすぎる。

 配偶者控除をめぐっては「百三万円の壁」という言葉が定着している。たとえばサラリーマンの妻がパート勤めで年収が百三万円を超えると、本人に所得税がかかるうえ、夫には配偶者控除が適用されなくなって所得税額が増える。そのため妻が百三万円を超えないよう労働時間を抑え、それが壁になっていることを指す。

 政府は過去に「壁」の解消をねらって「配偶者特別控除」を追加し、百四十一万円未満までは、夫の年収が一千万円以下であれば一定の控除が受けられるようにした。だが、特別控除による恩恵はそれほど大きくないため、「百三万円の壁」が依然として高い。それなら配偶者控除を廃止すれば女性の就労は進むだろうというのが廃止論者の考えであり、女性の社会進出拡大を成長戦略の一つに掲げる安倍首相の意向である。

 しかし、話はそんなに単純ではあるまい。女性の社会進出を阻んでいる大きな要因は、保育所の待機児童や介護施設の定員不足に代表される「子どもを預けられず、介護も女性任せ」で、とても安心して働きには出られない社会構造にあるのではないのか。

 女性の就労促進といいながら、パートなど低賃金労働の選択肢しかない状況で女性を都合よく活用しようという政府や経済界の意図が透けてみえるようである。

 配偶者控除の廃止が女性の就労促進につながるかは、はっきりせず、ほとんど効果がないとの研究もある。逆に、廃止が家計に与える影響の甚大さは明白だ。

 財務省によると、「配偶者控除」の適用者は約一千四百万人で、減税額は六千億円に上る。「配偶者特別控除」も約百万人、三百億円だ。もし配偶者控除が廃止になると、年収五百万円の家庭で約七万円の増税になる。消費税率8%への引き上げと、すでに廃止された年少扶養控除を合わせれば年間負担増は二十五万円を超える。

 相次ぐ増税と物価上昇で家計は疲弊する。増税分をまかなうために女性はもっと働け、ということか。それが成長戦略なのか。

 自民党は昨年の参院選、一昨年の衆院選で「配偶者控除の維持」をマニフェストに掲げていた。公約違反は許されないはずだ。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 06:04Comments(0)

2014年04月21日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

4月21日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

しつける

 日本人は、頭もよく、素質も決して劣っていない。だから何がいいか、悪いかぐらいは百も承知しているはずであるが、さてそれが行動になって表われたりすると、たちまち電車に乗るのに列を乱したり、公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。

 やはりこれはお互いに「しつけ」が足りないからではないかと思う。いくら頭で知っても、それが子どものときからしつけられていないと、いつまでたっても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまりせっかくの知識も「しつけ」によって身についていないと、その人の身だしなみもよくならず、結局社会人として共に暮らすことができなくなってくるのである


【コラム】筆洗

2014年4月20日 東京新聞TOKYOWeb

▼混み合う通勤電車の中で風体のよからぬ中年の男に声を掛けられた。三十年ほど前の話である。若い時の川谷拓三さんに似ていた。たまたま、自分は座っていた。「学生さんか」「ええ」「席をかわってくれねえか」

▼男は健康を害しているようには見えない。むしろ頑強そうである。厚かましいなとは思ったが、断れば面倒なことになる気もした。席を立った

▼自分が座るのかと思っていたらそうではなかった。車内の奥から年老いた小柄な女性を連れてきた。「かあちゃん、席をかわってもらった」。母親はすみません、すみませんと何度も頭を下げた。男は、オロナミンCを自分に差し出した。「疲れちゃうからさ」

▼この男を恐れた自分を恥じた。男のようにあっけらかんと生きたいとさえ思った。男には照れも遠慮もない。車内の好奇の目も気にならない。母親を楽にしてやりたいという気持ちしかなかった。あの母親にはいつまでも長生きしてほしいと本気で思った。あの男のために

▼韓国南西部の珍島(チンド)沖。沈没した船の中に大勢の人が閉じ込められている。つらい。本当につらい。日本政府は支援を申し入れたが、韓国側は今は必要ないといっている

▼事情もあるのだろう。海域が混み合うことを心配しているのかもしれないが、もし変な遠慮であれば、それはあまりにも悲しい。あの男と母親はどうしているか。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:00Comments(0)