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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2013年12月31日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月31日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

総決算

 十二月は総決算の月。このときに当たり、一年の歩みをふり返り、お互いの心のケジメもつけたいものです。この一年、よかったことはよかった、悪かったことは悪かったと、素直に自分で採点しなければなりよせん。

 そしてこの一年は、決して自分ひとりの力で歩んだものではありません。自分で気づかないところで、人びとの協力を得、また思わぬところで迷惑をかけていることもあると思うのです。そんな周囲の人びとの協力に対しては、ありがたく感謝し、迷惑をかけたことに対しては謙虚に謝罪したいと思います。そうした素直な自己反省こそ、次の新しい年の自分の成長にプラスする何かを、必す与えてくれると思うのです。


【コラム】筆洗

2013年12月30日東京新聞TOKYOWeb

▼じゃんけんで決める。大人の社会でもよくある。寒い中、コーヒーを誰が買いに行くのか。嫌な仕事は誰が。大人が子どものように「最初はグー」とやっている。悪い光景ではない

▼じゃんけんの歴史は平安期からというが、紙、はさみ、石などの「三すくみ」を利用した現在のじゃんけんが広がったのは江戸期と比較的新しいようだ

▼『拳の文化史』(セップ・リンハルト著)によるとじゃんけんの「じゃ」は蛇。大当たりを取った、歌舞伎の「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」の大ガマの人気で、蛇、カエル、ナメクジのじゃんけんが流行したそうだ

▼誰だって勝ちたいと思うが、必勝法はない。緊張すると拳を握りやすいのでパーが有利とも聞くが、当てにならない。気分が悪いのは後出しである

▼東京都知事選は辞職した猪瀬直樹さんの後任選びで全国的に注目されるが、出馬を表明したのは宇都宮健児さんだけで、噂(うわさ)の人物たちは沈黙し後出しを狙っている。都知事選にとどまらない。後出しは選挙戦術として、定着しつつある

▼早く手を挙げるとあら探しをされる。遅い方がインパクトが大きい。先に出た候補の主張を分析する時間が稼げる…。知名度がそこそこある人なら、後出しにはいろいろ利点がある。一方、有権者は、出る人の考えを早く知りたい。吟味したい。戦術とはいえ後出しには器の小ささを見せる危険もある。

☆ 今日で今年も終わり、明日からは新しい年の始まりです。今日も皆様にとって良い一日でありますように、来年もよろしくお願いします。☆  

Posted by kazu at 06:13Comments(0)

2013年12月30日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月30日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

静思の時

 何事も合理的でスピーディなものが尊ばれる昨今、それがスピーディであればあるほど、一方で静思の時というか、ゆったりしたものがほしくなる、これが人情というか、人間の本能的とも言える一つの姿でしよう。だから、これを押さえることは人間の身体や生活を、とんでもなくゆがんだものにしかねないと思います。

 ですから、夜やすむ前、床の上に坐って静かに一日を反省する。やり方はどうあれ、そういう時を持って、一日のケジメをきちんとつけてこそはじめて、そこに安らぎが生まれ、明日ヘの新たな意欲が湧いてくるのではないか。世の中が騒々しくなるほど、そういう静思の時が必要になると思うのです。


【コラム】筆洗

2013年12月29日東京新聞TOKYOWeb

▼昨日は門松を飾る人をよく見かけた。門松を立てるのは十三日から二十八日までの間が望ましく、二十九日は、「苦を待つ」「苦立て」につながるので、見合わせた方がいいという

▼三十一日も一夜飾りで望ましくない。三十日も二十九日と三十一日の間で良くないそうで、となると、二十八日が門松を立てるのに適した最後の日ということになる

▼縁起が良いに越したことはないが、忙しい中、本寸法にはいかぬ。<門松を三十日(みそか)の夜に立てしかな>。高浜虚子の句もある。「私の家では、正月の設けというものも、とかく大三十日の晩ぐらいにする…」(『俳句の作りよう』)

▼「紙の門松」。門松の絵を印刷した紙を玄関先に張る。岐阜出身の筆者は子どもの時、門松といえばあれだったが、全国共通ではない。東京では見かけぬ。名古屋、大阪出身者も知らぬという。逆に千葉では「今もある」。高知や岡山では紙の方が一般的と聞く。不思議な分布である

▼高知のある印刷所は昭和二十九年から紙の門松を製作している。松林の保護が目的と説明するが、あの頃、本物はぜいたくだったのか。紙の門松に豊かになりたいと願う、かつての日本人の前向きな熱を思う。しかもあの時の方が幸せだったような気さえする

▼破れやすい紙。気にしない。二十九日でも「苦を絶つ」と読めば、それほど後ろめたくないだろう。

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 06:10Comments(0)

2013年12月29日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月29日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

理想ある政治を

 政治には理想が大事です。日本をこうするんだという一本筋が通ったものがなければいけない。そういうものがいまは見られません。その場を適当におさめてやっている、そういう状態です。

 いまだ日本が世界で二、三十番目ということであるなら、追いつけ追いこせということで目標もできてきますが、すでに世界で一、二位を争うようになっている以上、そこにより高い目標、理想を打ち出す必要があると思います。たとえ世界で一番ということになったとしても、日本にはもっと大きな役割があるんだからということで、より高い理想を持ち、力強い政治を行なっていくことが必要だと思うのです。


【コラム】筆洗

2013年12月28日東京新聞TOKYOWeb

▼昔むかし、牛はお母さんと一緒に、森で暮らしていた。ある日、お母さんは人間に狩り殺されてしまう。「仇(かたき)をうたなくちゃ」

▼牛が考え付いた復讐(ふくしゅう)の手口は、思いも寄らぬものだった。人間に降参し、その乳で人間たちを養ってやるというのだ。「そしたら、やがてわたしたちのありがたさが身にしみてわかるから、仲間同士でけんかをはじめて、殺し合うってわけ」

▼兄弟同士、氏族同士が、民族同士が牛という富をめぐって争い、血を流し続ける。これこそが、牛が仕掛けた復讐。こんな昔話が南スーダンのディンカ族には伝わるという(『ライオンの咆哮(ほうこう)のとどろく夜の炉辺で』青娥(せいが)書房)

▼この不気味な伝説は、かの国の現実を言い当てた予言のようだ。四十年に及ぶ内戦の末、一昨年の夏に南スーダンは独立した。だが、今月始まった政府軍と反政府勢力の戦闘は、もともと牛の牧草地などをめぐり対立していた部族間の憎悪を煽(あお)った。数々の虐殺が起き、すでに千人を超える命が消えていったとされる

▼双方が激しく争うのは、現代産業の乳ともいえる石油の利権だ。人口一千万半数が貧困層というこの国には、豊かな資源がある。国家歳入の98%を石油収入が占め、その多くを軍事費に充てる、そのいびつさ

▼牛の復讐が続く国・南スーダン。私たちが使う石油にも、かの地からの油が含まれているという。


【社説】東京新聞TOKYOWeb
一票の不平等 司法の責任を自覚せよ

2013年12月28日


 参院選での一票の不平等をめぐる高裁レベルの判決は、「違憲状態」が大半だった。「国会の裁量権」に大幅譲歩すれば、議員は安住する。司法はもっと責任を自覚し、厳しく臨むべきだと考える。

 五・〇倍の格差を是正しなさいといわれ、四・七七倍にした。これを一般の人々は是正とは言わない。努力をしたとも感じられない。格差はほぼ変わらないと思うのが普通だろう。どうやら、その感覚が裁判官にはないらしい。

 格差とは、選挙のときに生じる選挙区ごとの一票の重みの違いだ。七月の参院選では、最大四・七七倍あった。鳥取の有権者が「一票」とすると、北海道の有権者は「〇・二一票」しか持たなかった。

 全選挙区で提訴され、十四の高裁・高裁支部で、計十六件の判決が出た。十三件は「違憲状態」判決で、「違憲」は、東京と大阪、岡山だけだ。岡山が「選挙無効」としたことは特筆される。

 違憲状態とは、著しい不平等は認めるけれど、国会が是正するまで、「合理的期間」が経過していないとする意味だ。その期間は裁判官のさじ加減で決まる。約五倍の格差で推移していた参院選について、二〇〇九年の最高裁は「定数を振り分けるだけでは格差縮小は困難」と抜本是正を求めた。

 昨年の最高裁では「都道府県単位で選挙区を設定する現行方式を改めるなどの立法措置が必要」とも踏み込んだ。つまり、〇九年から数えると、三年九カ月もの長い時間があったのだ。

 だが、違憲状態判決を書いた高裁の裁判官は、いまだに「抜本的な制度見直しには相応の時間が必要」などという。これほど国会に甘い裁定はなかろう。

 衆院選を審査した昨年の最高裁も同じだ。国会の裁量権を大幅に認めて、違憲状態とした。衆院の〇増五減を「見直しが行われた」と評価した。参院は四増四減だったから、高裁の裁判官も、国会の“努力”を追認したわけだ。

 常識のある人々は、四増四減を小手先とか、弥縫(びほう)策と呼ぶだろう。是正といっても、国会は何の痛みも伴わないからだ。そもそも、利害の当事者である議員に是正を求めることの方に無理があるのかもしれない。

 それならば、司法権こそ、毅然(きぜん)としなければならない。裁判官は良心に従い、独立して職権を行う。拘束するのは、憲法と法律だけだ。誰かの顔色をうかがうような司法では、失望を買う。


☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 05:55Comments(0)

2013年12月28日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆


12月28日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

ケジメをつける

 お互い人間にとって、責任を明らかにするというか、ケジメをつけることの大切さは、昔からよく言われてきていることだが、これは今日でも変わらないと思う。もちろん、それぞれに会社の社風や仕事の内容が違うから、その会社の独自のやり方があるであろう。しかし、お互いに自分自身の成長のためにも、また自分の会社がさらに飛躍し、社会に貢献してゆくためにも、ケジメをつけるという断固としたものを、一面において持たなければならないと思う。

 いま一度、それぞれの立場でわが身を振り返り、事をアイマイに過ごしていないかどうか、改めて確かめてみることが大事ではないだろうか。


【コラム】筆洗

2013年12月27日東京新聞TOKYOWeb

▼<ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ち上がる…>。石垣りんさんの「弔詞」という詩だ。終戦から二十年たって職場の新聞に掲載された戦没者名簿に寄せて書いた

▼<ああ あなたでしたね。/あなたも死んだのでしたね。/活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨にとじられたひとりの人生。/たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合つて、ドブの中で死んでいた、私の仲間。>

▼靖国神社には、合祀(ごうし)された戦没者名を記した「霊璽簿(れいじぼ)」が収められている。だが、この若い女性の名はそこには書かれていないだろう。神霊とされるのは「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々」だからだ

▼戦争で犠牲になった人を思い、記憶し続けるのは、とても大切なことだ。ただ、どうしても気になるのは、同じ犠牲者でも神とされる人とそうでない人を分ける、弔い方のありようだ

▼しかも例えばキリスト教徒や仏教徒の遺族が故人を「神」にするのはやめてほしいと言っても、聞き入れられない。安倍首相は閣僚の靖国参拝を「心の問題で自由だ」と言うが、合祀を拒む人の心の問題はどうなのか

▼<戦争の記憶が遠ざかるとき、/戦争がまた/私たちに近づく。/そうでなければ良い>と、石垣さんは書いている。


【社説】東京新聞TOKYOWeb

安倍首相靖国参拝 真の慰霊になったのか

2013年12月27日

 安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。国の指導者が戦死者を追悼するのは当然の責務としても、近隣諸国の激しい反発を招いては真の慰霊にはなるまい。

 第一次内閣のとき、靖国神社に参拝しなかったことを「痛恨の極み」としていた安倍首相である。

 昨年暮れ、首相に再び就いてからも、春と秋の例大祭、八月十五日の終戦記念日という節目での参拝を見送った。第二次内閣発足一年に当たるきのうが、積年の思いを遂げる日と考えたのだろう。

 首相は記者団に「この一年の安倍政権の歩みを報告し、再び戦争の惨禍で人々が苦しむことのない時代をつくるとの誓いを伝えるためにこの日を選んだ」と述べた。

◆独り善がりの説明

 国の戦争に駆り出され、戦場に散ることを余儀なくされた戦死者に、その国の指導者が哀悼の誠をささげるのは当然ではある。それが誤った政策判断で突入した戦争だとしたら、なおさらだろう。

 その一方、首相の靖国参拝が、極東国際軍事裁判(東京裁判)によるA級戦犯の合祀(ごうし)発覚後、高度な政治・外交問題と化している現実もある。そのことは、安倍首相も認識しているはずではないか。

 中国は旧日本軍による侵略の、韓国は植民地支配の「被害者」という歴史上の事実は消せない。

 首相が「いわゆる戦犯を崇拝する行為だと、誤解に基づく批判がある」といくら強弁しても、靖国参拝がほかの戦死者と同様、戦争指導者をもたたえる行為だと受け取られても仕方があるまい。

 首相は、すべての戦死者を慰霊する「鎮霊社」にも参拝することで、今回の靖国参拝に「不戦の誓い」を込めたのだろうが、結果として中韓両国の反発を招いた事実は重く受け止めるべきだ。それを誤解に基づくと言い張るのは、あまりにも独り善がりがすぎる。

◆米国が異例の批判

 今回の靖国参拝がより深刻なのは、首相が同盟関係の強化を目指してきたはずの米国が「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに、米国政府は失望している」(在日大使館声明)と、異例の強い調子で首相を批判していることだ。

 アジア・太平洋地域では、中国の軍事的な台頭、北朝鮮の核・ミサイル開発など、安全保障環境が悪化している。日米安全保障体制の信頼性が揺らげば、中国に軍事的冒険の誘因を与えかねない。

 安倍内閣が「対中包囲網」の一環として関係強化に努める東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国が頼りにするのも「アジア・太平洋地域安定の礎石」としての日米安保体制だ。米国との関係を損ねた日本と組んでまで中国と向き合おうとする国があるだろうか。

 中韓両国に加え、米国との関係悪化の先にあるのは、日本の外交的な孤立にほかならない。

 日本がそんな「いつか来た道」を再び歩みだすことを、靖国の杜(もり)に眠る人々が望むはずがない。

 首相は昨年十二月の衆院選に続き、今年七月の参院選でも圧勝して政権基盤を固めた。悲願だった国家安全保障会議(NSC)を設置し、中長期の外交・防衛政策の指針となる国家安全保障戦略を策定するなど、安全保障政策の見直しを着々と進めている。

 経済面では株価が六年ぶりに終値一万六〇〇〇円台を回復。今月の月例経済報告では四年二カ月ぶりにデフレの表現がなくなった。

 特定秘密保護法成立で低下はしたが、安倍内閣の支持率は高止まりしている。就任一年の集大成として靖国参拝に踏み切っても乗り切れるとの「慢心」があるのなら、見過ごせない。

 戦死者、戦没者をどう追悼するかは国内問題であり、外国から干渉されるべきものではないが、靖国神社がその場として今も適切かどうかは、議論が残る。

 首相の靖国参拝や合祀をめぐる訴訟が起きたり、首相や閣僚の参拝に対する中国、韓国などの激しい反発がそれを表している。

◆悪循環を断ち切れ

 首相は高支持率という政治的資産を、靖国参拝という中央突破ではなく、参拝が引き起こす悪循環を断ち切ることにこそ、振り向けるべきではなかったのか。

 首相は、内外の誰もがわだかまりなく戦死者、戦没者を追悼できるような施設、環境づくりにこそ、指導力を発揮すべきである。

 これまでにも、A級戦犯分祀論や千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充、新たな国立追悼施設造営など、さまざまなアイデアが浮上している。

 議論を集約し、実現するには困難を極めるとしても、ドイツの宰相、ビスマルクが言うように「政治は可能性の芸術」であるのなら、不可能はないはずだ。

 首相には勇気を持って、一歩踏み出してほしい。「不戦の誓い」に、魂を込めるためにも。


☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:21Comments(0)

2013年12月27日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月27日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

投げやらない

 成功する会社と成功しない会社の差というものは、私は紙一重だと思います。

 たとえば、今後、価格の競争が激しくなってくれば、われわれの製品のコストを十%引き下げるということを、当然やらなければなりません。もし下がらなければ、なぜ下がらないかということに対して、内外の衆知を集めなければならないのです。それを、自分の知恵の範囲で、会社の知恵の範囲でいろいろ考えて、これは無理だ、できないと言って投げやってしまえば、これは絶対にできないわけです。どうしてもやっていくんだというところに、一つの成功の糸口がだんだんとほどけてきて、必ずその成果が上がると思うのです。


【コラム】筆洗

2013年12月26日東京新聞TOKYOWeb

▼ずるいという意味で「へなまずるい」という言い方が北海道にある。倉本聡さんの「北の国から」で知った。そう言われていたのは「笠松のじいさん」で大友柳太朗さんが演じていた

▼老人が馬を売る場面がある。二十年近く飼っていた馬だが、名前はない。「名を付けると馬に情が移る。手放す時に心が痛む」。かつての富良野の開拓村での厳しい生活と関係があるという

▼農耕などのために馬は欠かせないが、冬になると「食えないから」馬を売る。冬の間、狩猟などでカネを稼いで、春にまた馬を買う。毎年別れがある

▼米軍普天間飛行場の移設問題の話である。沖縄県の仲井真弘多(ひろかず)知事は名護市辺野古の埋め立てを承認する見通しだという。反対する人は天を仰ぐ展開だろう。仲井真さんは県外移設の公約を守れなかった。批判は避けられないが、悪いのは知事一人か

▼「馬小屋から引き出したら急に動かなくなって。涙を流してやんのよ。それから不意に自分からトラックの荷台に上がったもんだ。信じていたオラに何が言いたかったか」。悲しい

▼来年度三千四百六十億円の沖縄振興予算。「へなまずるい」のは馬を手放さざるを得ない状況に追い込む政府と、それを黙認する沖縄以外の日本人全体かもしれぬ。<札束に替えてうま市から戻り>。愛馬を売り払い、札束を手にしても笑えるはずはないのである。


☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:29Comments(0)

2013年12月26日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月26日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

うまくて、早くて、親切

 私がでっち奉公をしていたころ、楽しみの一つはうどんを食べることだった。その当時は、子ども心にも「あのお店のうどんはおいしいし、すうどん一杯のお客でも大切にしてくれる」と感じ、ある一軒の店ばかりに通ったものである。そのうどん屋は、うまくて、親切で、そして早く作ってくれた。

 現代における商売、企業のコツもこのうどん屋さんのやっていたことと何一つ変わらない。りっぱな商品を早くお届けし、親切丁寧に使用法を説明する─―こうした心がけで商売をするならば、私は必ずそのお店は成功すると思う。またそういうお店が成功しなかったら不思議である。


【コラム】筆洗

2013年12月25日東京新聞TOKYOWeb

▼米国民でその人形アニメーションを知らない人はいないのではないか。「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」。一九六四年の初放送以降、この季節になると毎年、三大ネットのどこかで放映される。今年は十一月二十六日にCBSで放送され、約千百万人が見たという

▼「ルドルフ」を実質的に作ったのは日本人である。持永只仁さん。九九年に八十歳で亡くなった。日本の「人形アニメの父」である

▼映像作家で持永さんの弟子、真賀里(まがり)文子さんに聞いた。持永さんが五六年に製作し、国際的に評価された「ちびくろさんぼのとらたいじ」を米製作者が見て、注文してきた。「ルドルフ」はその中の一本だ

▼真賀里さんは「ルドルフ」には参加していないが、持永さんと何本もの米国用作品づくりに携わった。「脚本やコンテなどが米国から送られてくる。それを見て、日本で三、四カ月で作るんです」

▼人形の造形ももちろんアニメも持永さんはじめ日本人の技術によるものなのに、その名は米国はおろか、日本でもさほど知られていない。米国の友人に「日本人が作ったんだよ」と言っても最初、信じてもらえなかった

▼「絵が抜群にうまくて真面目な人だった」。来年は「ルドルフ」五十年。米国民を毎年楽しませる作品が東京・雑司が谷で生まれたことは誇らしい一方、もう少し持永さんらに光が当たればと思うのである。


【社説】政府予算案 国民の痛みに応えたか

2013年12月25日東京新聞TOKYOWeb


 政府の来年度予算案は古色蒼然(こしょくそうぜん)とした自民党色に勇ましい安倍カラーも加わり過去最大に膨張した。財政危機を叫んで決めた消費税増税が国民に痛みを強いるのに、この財政規律の緩みは何なのか。

 十七年ぶりの消費税率引き上げと景気回復に伴う法人税などの増収で、全体の税収は前年度より七兆円多い五十兆円を見込む。いよいよ消費税増税がのしかかってくる国民の思いを酌めば、本来の消費税増税の趣旨である社会保障の維持・充実に努めるのはもちろんのこと、増え続ける国の借金を減らし財政健全化につなげるのは当然のことである。

 ところがどうだろう。本年度補正予算で二兆円規模の公共事業費を決めたばかりなのに、さらに六兆円も積み増す。診療報酬は自民党のスポンサーである日本医師会に配慮して土壇場で増額改定を決める。農業も減反を見直しながら転作などの補助金を増額する。業界団体や既得権益層と結び付いた、これら主要項目は軒並み増額し、旧来のバラマキや利益誘導が顕著である。

 安倍晋三首相の指示で防衛予算も二年連続で増やし、装備増強などに余念がない。普天間飛行場の移設問題を抱える沖縄に対して、要求を上回る振興予算を付けるなど辺野古移転決着もにらむような安倍カラーが随所に表れている。

 せっかく税収が上がっても、歳出に対する切り込みが不足しては財政状況は改善しない。政府は、政策経費を税収でどの程度まかなえるかを示す基礎的財政収支の赤字削減幅が、目標の四兆円を一兆円以上も上回ったと胸を張る。

 しかし、二〇一五年度までに一〇年度と比べた赤字幅を半減するという国際公約の達成や、二〇年度に黒字化するハードルは依然として高い。聖域をなくし、初めて三十兆円に達した社会保障費についても高所得者の給付削減に踏み込むなど一段の改革をしなければ実現できないのは明らかである。

 グローバル化や高齢化により財政赤字に苦しむ先進国の多くは、予算制度改革に乗り出している。法的拘束力のある中期計画づくりや、中央銀行のように独立した機関による検証などだ。

 ひとり日本だけが旧態依然のままである。補正予算や決算に対するチェックも甘く、著しく透明性を欠いている。経済協力開発機構(OECD)から勧告されたことである。どうしていつまでも財政再建の道筋が見えないのか。それは政治の意思の問題である。

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 07:25Comments(0)

2013年12月25日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月25日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

経営者次第

 昔の日本の言葉に「頭がまわらなければ尾もまわらない」というのがあるが、私は、経営者が百人なら百人の人を緊張させて、大いに成果を上げようと思えば、その人の活動が、端の人がみて「気の毒な」と思うくらいにならないといけないと思う。「うちのおやじ、もう一生懸命にやっとる。気の毒や」という感じが起これば、全部が一致団結して働くだろう。けれどもそうでない限りは、経営者の活動の程度に応じてみな働くだろうと思う。

 人間というのはそんなものである。決してぼろいことはない。自分はタバコをくわえて遊んでいながら「働け」と言っても、それは働かない。私はそういうふうに考えてやってきた。


【コラム】筆洗

2013年12月24日東京新聞TOKYOWeb

▼初めて走れるようになった時のことは、さすがに覚えていないが、自転車に乗れるようになった時や、自動車の免許を取った時、ある種の解放感を覚えた気がする。これで今まで行けなかった遠くへも行ける。自分の世界がちょっと広がった、そんな感覚だ

▼東京・神田の岩波ホールで上映中の『少女は自転車にのって』は、十歳の女の子ワジダが自転車にあこがれて、知恵を使い力を尽くして手に入れようとする、ただそれだけの映画だ

▼しかし世界には、女の子が身軽な格好で思い切り街角を駆け抜け、少女が自転車をこぎ、女性が自動車を運転して好きな場所に行くことが許されぬ国もある。ワジダは、そんな国の一つサウジアラビアに生きる

▼自由を求め民衆が立ち上がる「アラブの春」が広がっていった時、サウジでは女性たちが自動車運転の解禁を求めてデモをした。捕まってむち打ちの刑を言い渡された女性すらいたが、それでもなおハンドルを握ろうとする女性がいる

▼東京大学・特任准教授の辻上奈美江さんは「あの国で運転するということは、女性が自分の思いで行動しようとすること。自由を獲得する象徴なのです」と話す

▼自由を阻む壁は、どこにでもある。制度の壁、偏見の壁、先入観の壁、自分で自分はこんなものだと思う壁。ワジダの物語は、そんな壁にしなやかに風穴を開けてくれるはずだ。


【私説・論説室から】東京新聞TOKYOWeb

恐れるべきは民心の離反

2013年12月23日


 馬脚を現す-。隠していた本来の姿が表に現れる、化けの皮がはがれる、などと辞書にある。

 巨額の金銭スキャンダルで発言が二転三転、辞める猪瀬直樹東京都知事に、その言葉を思う人も少なくなかったことだろう。

 徳洲会グループの内紛を端緒に、五輪招致成功で順風満帆だった知事が一転して窮地へ。一寸先は闇を地で行ったようなものだ。

 今日はよくても明日はどうなのか、わからない。

 渡辺喜美氏らの党の仲間割れが見苦しい。出る側が代表の安倍政権へのすり寄りを責め、代表の側は去る者たちの議席返上を求めて会派離脱を許さない。

 どっちもどっちの気もするが、そもそも権力者との近さを誇示する野党党首が野党を名乗ること自体、おこがましい。

 日本維新の会も与党か野党なのか判然としない。安倍政権の補完勢力、自民を超える保守派の印象が定着して往時の勢いはない。

 存在感乏しい民主党も含めてどこも、期待した人々の不信はいかばかりか。

 為政者も政党も、恐れるべきは民心の離反である。

 安倍内閣の支持率が大きく落ちている。特定秘密保護法の強引な成立が一因なのだろう。小沢一郎氏がたしかこの政権を「幼稚さとおごり」と評していた。

 集団的自衛権だ、愛国心だと勇ましい首相の本性が幼稚とおごりだとしたら、民心が離れるのも時間の問題か。 (谷政幸)


☆ 今日はクリスマスの日、サンタさんより良いプレゼント貰いましたか。今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:06Comments(0)

2013年12月24日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月24日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

時を尊ぶ心

 以前、ある床屋さんに行ったとき、サービスだということで、いつもなら一時間で終わるサンパツを、その日は一時間十分かけてやってくれた。つまり、床屋さんはサービスだということで十分間も多く手間をかけてくれたというわけである。そこで私は、サンパツが仕上がってから冗談まじりにこう言った。

「君がサービスしようという気持は非常に結構だと思う。しかし、念入りにやるから十分間余分にかかるということであっては、忙しい人にとって困るようなことになりはしないか。もし君が、念入りに、しかも時間も五十分でやるというのであれば、これはほんとうに立派なサービスだと思うのだが……」


【コラム】筆洗

2013年12月23日東京新聞TOKYOWeb

▼人気馬が居並ぶレース、しかも引退レースで八馬身差の圧勝である。あんな勝ち方を見せられてはオルフェーヴルの話を書かざるを得ないだろう。「オレのことを書けよ」とあの馬が言った気がする

▼なぜあの馬に魅せられるのか。日本にとって本当に辛(つら)かった東日本大震災の二〇一一年に四冠馬になった。嫌な気分を快走で晴らした人もいるだろう。それもあるのだが、最大の魅力はあの馬の持つ「人間くささ」か。「物語」を空想させる、馬だったのである

▼馬に「人間くささ」とは変だが、入れ込みやすく落ち着かない性格。そんな「弱点」がどこか実力はあるのに人生とうまく付き合えない不器用な人を思わせた

▼忘れられないのは、勝ったレースではない。一二年の阪神大賞典。三コーナーで突然大失速したのだ。故障に違いないと思ったが、そこから考えられないような巻き返しを見せ、二着に入った。あんな競馬は見たことがない

▼悲しみも知る。凱旋門(がいせんもん)賞では二年連続で二位。世界一にはどうしても届かなかった。今年の凱旋門賞。直線でオルフェはトレヴを必死に追うが、どんなに追っても差は縮まらない。絶望的な差。あの強気な馬が、レース直後に「すまない」と寂しそうな顔をしていたのを思い出す

▼悲しさを知って大人になったか。その集大成が昨日の有馬記念だろう。さらば。忘れることはない。

【社説】東京新聞TOKYOWeb

天皇誕生日 深まる国民とともに

2013年12月23日

 天皇陛下は傘寿、八十歳の誕生日を迎えられた。長い道のりを顧みてのお言葉から浮かび上がるのは、戦争への悲痛な思いと平和への願い、そして年々に深められる国民とともに歩む姿だ。

 誕生日恒例の宮内記者会との会見。この八十年を振り返って、陛下が最も印象に残っていることとして挙げたのは先の大戦。小学校入学時は既に日華事変、最終学年で太平洋戦争の終戦。陛下は戦争での犠牲者が三百十万人だったとの数字を挙げ「さまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限り」と述べた。

 陛下にとって先の戦争での国民の犠牲は昭和天皇から引き継がなければならなかった負の遺産。終戦記念日、広島と長崎の原爆忌、東京大空襲、沖縄慰霊の日。皇后さまとともに続ける戦没者への慰霊の旅からは、負の遺産の償いきれぬほどの重さが伝わってくる。

 それゆえの平和。「平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法をつくり」「わが国の人々が払った努力に深い感謝」「知日派の米国人の協力も」。お言葉の端々に平和への強い願いと深い思いがこもっている。

 「天皇という立場にあることは孤独とも思えるもの」と陛下。その孤独の一端が、国民の圧倒的多数が戦後世代となり、戦争の悲惨も平和の尊さも知らなくなってしまっていることにあるとしたら、戦争に至った昭和の歴史や日本国憲法の制定過程はあらためて学び直さねばならないだろう。国として国民として忘れてはならないからだ。

 象徴天皇としての在り方を探ってきた陛下は、国民とともにあることを一段と深めているようにみえる。ことしも東日本大震災の被災者を見舞い、十月、初めて訪れた熊本県水俣市では水俣病患者と懇談、差別を恐れて病気を隠してきた患者に「真実に生きられる社会をみんなで」と異例の言葉をかけた。そして、自らの葬儀は、国民の生活に影響しないよう、陵の規模は小さく、土葬から火葬に-とも。それは理想とされる古来の天皇、無私の存在に通じるといわれる。

 年三百を超える公務、宮中行事。天皇、皇后両陛下が八十歳代となる再来年からこどもの日と敬老の日の施設訪問は若い世代に譲るという。皇室の未来のためにも公務は引き継がれ、宮家存続も考えられなければならないだろう。


☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆
  

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2013年12月23日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月23日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

運命に従う

 人には人に与えられた道があります。それを運命と呼ぶかどうかは別にして、自分に与えられた特質なり境遇の多くが、自分の意志や力を越えたものであることは認めざるを得ないでしよう。そういう運命的なものをどのように受けとめ、生かしていくかということです。

 自分はこのような運命に生まれてきたのだ、だから、これに素直に従ってやっていこう、というように、自分の運命をいわば積極的に考え、それを前向きに生かしてこそ、一つの道が開けてくるのではないでしようか。そこに喜びと安心か得られ、次にはほんとうの意味の生きがいというものも湧いてくるのではないかと思うのです。


【コラム】筆洗

2013年12月22日東京新聞TOKYOWeb

▼ロックが若者の音楽だったのは過去のことで現在、その市場を支えているのは間違いなく中高年である。人生を季節にたとえれば、二十歳代は盛夏だろうが、日差しの強い季節を取り返したくて中高年はあの音楽と手を切れない

▼一枚二万円近い海外アーティストのコンサートへ出かけ、昔のCDのリマスター盤を大量購入する。楽器店でフェンダー社製のギターを買おうかどうかで悩んでいるのは若者ではなく、人生を折り返した人たちである

▼コンサートは観客にとって同窓会と同じでアーティストの健在ぶりを確認し、客同士がお互いの老いた姿を見て時の経過を思い、人生を振り返る

▼ムーンライダーズのかしぶち哲郎さんが十七日亡くなった。六十三歳。一九七五年結成のライダーズは無期限休止中だが、解散はしていないので現存する日本最古のロックバンドの一つである。ずっと、追いかけてきた人もいるだろう

▼二年前の休止コンサートで、リードボーカルの鈴木慶一さんは「進化したら、またお会いしましょう」と言っていたが、かしぶちさんの死でそれもかなわないのか

▼かしぶちさんの「リラのホテル」は八三年。名盤といえる。幻想的で耽美(たんび)な「大人のロック」を書く人だった。今年、ルー・リードさん、山口冨士夫さんも亡くなった。そしてかしぶちさん。真冬に夏が本当に終わった気分である。

☆ 今日は(12月23日)東京タワーが開業して55周年だそうです。
今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆  

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2013年12月22日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月22日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

小事を大切に

 ふつう大きな失敗は厳しく叱り、小さな失敗は軽く注意する。しかし、考えてみると、大きな失敗というものはたいがい本人も十分に考え、一生懸命やった上でするものである。だからそういう場合には、むしろ「君、そんなことで心配したらあかん」と、一面励ましつつ、失敗の原因をともども研究し、今後に生かしていくことが大事ではないかと思う。

 一方、小さな失敗や過ちは、おおむね本人の不注意や気のゆるみから起こり、本人もそれに気がつかない場合が多い。小事にとらわれるあまり大事を忘れてはならないが、小事を大切にし、小さな失敗に対して厳しく叱るということも一面必要ではないか。


【コラム】筆洗

2013年12月21日東京新聞TOKYOWeb

▼童謡「サッちゃん」などで知られる阪田寛夫さんに、「クリスマスだから」という詩がある。<クリスマスだから/かんがえる/たくさんたくさん たくさん/かなしんでいる/ひとの こと>

▼もうすぐクリスマス。どんなプレゼントを贈るか、もらえるか。あれこれ考えるのは、幸せな悩みだ。この週末そろって買い物に出かける家庭も多いことだろう

▼だが、あしなが育英会の奨学金を受ける家庭に暮らしぶりを聞いた調査によると、「十分なおこづかいやお年玉をあげられない」との答えが六割、「クリスマスプレゼントや誕生祝いができない」家庭が三割余あった

▼そういう家庭の子どもたちの四人に一人は、高卒後に就職を志望している。しかし、そのうちの半数は進学したいと思いつつ、経済的理由で希望を断ち切っているという

▼母子家庭の六割は非正規雇用で、平均月収は手取り十三万円弱との調査結果もある。働き盛りの夫に先立たれ、無理を重ねわが子を大学に通わせる母さんが言っていた。「とにかく切り詰めるのは自分のこと。本当に困る時は自分の食事を一日一食にします。娘には『お母さん、やせたよ。食べてないでしょ?』と聞かれるけど、『ちゃんと食べているよ』と、笑って答えます」

▼<どうしてどうして どうして/かなしい ことが/あるのかな/クリスマスだから/かんがえる>


☆ 今日は冬至です。ゆず湯にはいて身体を温めましょう。皆様にとって良い一日でありますように ☆
  

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