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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2013年04月30日

松下幸之助一日一話

4月30日
困難から力が生まれる

 人間というものは恵まれた順境が続けば、どうしても知らず識らずのうちにそれに馴れて、安易になりやすい。昔から“治に居て乱を忘れず”ということが言われ、それはきわめて大切な心構えであるけれども、そういうことがほんとうに百%できる人はおそらくいない。やはりどんな立派な人でも無事泰平な状態が続けば、つい安易になる。安心感が生じ、進歩がとまってしまう。

 それが、困難に出会い、逆境に陥ると、そこで目覚める。気持を引き締めて事に当たる。そこから、順調なときに出なかったような知恵が湧き、考えつかなかったことを考えつく。画期的な進歩、革新もはじめて生まれてくる。
  

Posted by kazu at 06:01Comments(0)

2013年04月29日

松下幸之助一日一話

4月29日
心を遊ばせない

 指導者というものは、常に心を働かせていなくてはいけない。もちろん、それは四六時中仕事に専念しろということではない。それではとても体がもたない。だからときに休息したり、あるいはレジャーを楽しむこともあっていいと思う。ゴルフをするなり、温泉に行くのもそれなりに結構である。

 しかし、そのように体は休息させたり、遊ばせたりしていても、心まで休ませ、遊ばせてはいけない。お湯のあふれる姿からも何かヒントを得るほどに、心は常に働いていなくてはならない。全く遊びに心を許してしまうような人は、厳しいようだが、指導者としては失格だと思う。  

Posted by kazu at 05:50Comments(0)

2013年04月28日

松下幸之助一日一話

4月28日
会社は道場

 仕事というものは、やはり自分でそれに取り組んで、体得していかなければならないものだと思う。しかし自得していくには、そのための場所というか、道場とでもいうものが必要であろう。

 ところが幸いなことにその道場はすでに与えられている。すなわち、自分の職場、自分の会社である。あとはその道場で進んで修業しよう、仕事を自得していこうという気になるかどうかということである。しかも会社という道場では、月謝を払うどころか、逆に給料までくれるのだから、こんな具合のよい話はない。このような認識に立てば、仕事に取り組む姿も、謙虚に、しかも力強いものになるはずである。  

Posted by kazu at 06:29Comments(0)

2013年04月27日

松下幸之助一日一話

4月27日
賢人ばかりでは

 世の中は賢人がそろっておれば万事うまくいく、というものでは決してありません。賢人は一人いれば、それで十分なんです。さらに準賢人が三人、準々賢人が四人ぐらい。そんな具合に人が集まれば上々でしょう。賢人ばかりですと議論倒れで一向に仕事がはかどらないといったようなことになりがちです。

 一つの実例をあげれば、ある会社で三人の立派な人物が、お互いに協力しあっていたはずなのにどうもうまくいかない。そこで一人を抜いてみた。すると残る二人の仲がピタッと合って非常にうまくいき、抜かれた人物も他の分野で成功した。そんなことがよくあるものなのです。  

Posted by kazu at 07:45Comments(0)

2013年04月26日

松下幸之助一日一話

4月26日
知識を活用する訓練

 松下政経塾には、優秀な先生方に講師として来てもらうわけですが、普通の学校のような授業はやらない。まず、学生が質問をしてそれを先生に答えてもらう形式をとる。質問するものがなかったら、先生は何も言ってくれないというようにしたいんです。質問をするためには疑問を持たなければならない。疑問を持つに至るまでの勉強は自分でやらなければならないというわけです。

 つまり、知識を与えるのではなく、持っている知識を活用する能力を育てていく訓練を重ねて、自分の考えを堂々と主張できるような人間になってもらいたいという願いを持っているのです。  

Posted by kazu at 11:19Comments(0)

2013年04月25日

松下幸之助一日一話

4月25日
福祉はみずからつくるもの

 お互いの福祉を向上させていくことは好ましいことであり、基本的には大いに推進されていい。しかし問題は誰がそれを生み出すかである。

 今日、一つの風潮として、国民は国がいろいろやってくれるだろうと思い、国は国民の税金を頼り、足りなければ増税したらいいという安易な考えがある。それぞれが何とかなるだろうと考えているわけである。しかし、福祉を高めていくのに必要な資金は、みな国民が営々として働き生み出した税金にほかならない。つまり福祉を行なうのは形の上では国であっても、国民なのである。そういう認識を深くし、福祉の向上のためにお互い何をすべきかを考えることがきわめて大事だと思う。  

Posted by kazu at 06:49Comments(0)

2013年04月24日

松下幸之助一日一話

4月24日
心が通った商売

 商売というものは、形の上だけで見れば、品物を売って代金をいただくということですが、それでは自動販売機と変わりません。そこにやはり買っていただいてありがたい、という感謝の気持、お客さまが大事、といった気持を持つことが、商売本来のあり方だと思います。

 よく昔の商人は「お客さまの家の方には足を向けて寝ない」というほどの感謝の気持で客に接したと言います。そうすると、そういうものがおのずと客にも伝わり、同じ品物でもあの店で買おうということになって、両者の心が通い、社会全体が潤いのあるものになってきます。私は商売にも“物心一如”ということがきわめて大切だと思うのです。  

Posted by kazu at 06:12Comments(0)

2013年04月23日

松下幸之助一日一話

4月23日
目標を与える

 指導者にとって必要なことは、目標を与えることである。指導者自身は特別な知識とか、技能は持っていなくてもよい。それは専門家を使えばいいのである。しかし目標を与えるのは指導者の仕事である。それは他の誰がやってくれるものでもない。もちろん、その目標自体適切なものでなければならないのは当然である。だからそのためには、指導者はそういう目標を生むような哲学、見識というものを日ごろから養わなくてはならない。

 自分の哲学なり、体験に基づいて、その時どきに応じた適切な目標を次つぎと与える。指導者はそのことさえ的確にやれば、あとは寝ていてもいいほどである。  

Posted by kazu at 07:38Comments(0)

2013年04月19日

松下幸之助一日一話

4月19日
社会人としての義務

 われわれお互いが、みずから進んで常識を豊かにしてゆくとか、仕事の力をさらに高めてゆくということは、もちろん自分自身のためではありますが、それは同時に、社会に対する一つの義務でもあると思います。たとえば、われわれの社会で、すべての人が一段ずつ進歩したとするならば、社会全体も一段向上します。ところが他の人がみな三段進歩したのに自分は一段も進歩しなければ、社会全体の平均の段数は三段上がらないことになります。自分ひとりのために全体の水準の向上が犠牲になるわけです。

 われわれは、このような社会人としての義務感をしっかり認識し、日々努めなければならないと思います。
  

Posted by kazu at 06:41Comments(0)

2013年04月17日

松下幸之助一日一話

4月17日
人をひきつける魅力を持つ

 指導者にとって、きわめて望ましいことは、人をひきつける魅力を持つということだと思う。指導者に「この人のためには……」と感じさせるような魅力があれば、期せずして人が集まり、またその下で懸命に働くということにもなろう。

 もっともそうは言っても、そうした魅力的な人柄というものはある程度先天的な面もあって、だれもが身につけることはむずかしいかもしれない。しかし、人情の機微に通じるとか、人を大事にするとかいったことも、努力次第で一つの魅力ともなろう。いずれにしても指導者は“ひきつける魅力”の大切さを知り、そういうものを養い高めていくことが望ましいと思う。  

Posted by kazu at 07:01Comments(0)