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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2013年07月05日

今日のコラム

7月5日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

責任を生きがいに

 人は成長するにつれて、だんだんその責任が重くなっていきます。そして、成人に達すると法律的にもはっきり少年のころとは違った責任を問われます。また、次第に高い地位につくようになると、それだけ責任が重くなります。

 しかし、人はもともと責任を問われるところに、人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きいほど、それだけ価値が高いということが言えましょう。ですから、責任を問われるところに、生きがいもあろうというものです。責任を背負い、そのことに生きがいを覚えないとしたら、年齢は二十歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。

2013年7月5日天声人語(OCN朝日新聞デジタル)

天声人語

▼このところ色あせてしまったが、英国発祥のマニフェストが日本に紹介されたのは意外に古い。123年前、明治23年の第1回衆院選挙のあとで「選挙檄文(げきぶん)」と訳されて報告書に載ったそうだ。この訳語、なかなかセンスがいい

▼檄文とは、主張を述べて人心を喚起する文書のこと。「檄を飛ばす」と言えば、決起や賛同を促す意味になる。きのうは各地で檄が飛んだ。各党党首が気迫をこめた第一声は、まずは有権者にどう届いただろう

▼この参院選の勝ち負けは国会の緊張感を左右する。自公が勝てば衆参の「ねじれ」は消え、政府与党は数の上で意のままだ。これを「安定」と見るか、危ういフリーハンドと見るか。この辺りの判断が、一つの分かれ目になる

▼民主党は崖っぷちに立つ。4年前に大勝して政権交代をなしながら、「勝ちの使い方」を知らなかった。拙政と内紛に明け暮れて貴重な支持を蕩尽(とうじん)した。その点、自民は巧者である。勝ちの使い方がうまい。ただ、それは「正しさ」を保証するものではない

▼期待をこめた民主党政権にダメを出し、再チャレンジの首相を選び直して半年がたつ。世論調査は自民の独走だが、株高と円安が隠す七難もあろう。見まわせば檄文は百家争鳴、選択肢は案外多い

▼このところの参院は政争にかまけ、「良識の府」ならぬ「良識の腐」さながらだった。党利党略から賢く間(ま)を置ける、政治屋ではない政治家を送りたいものだ。選挙戦の低調は困るが、熱狂よりも熟慮がふさわしい。  

Posted by kazu at 05:47Comments(0)