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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年09月29日

今日のコラム

☆ 9月29日は招き猫の日 (招き猫は挙げている前脚や毛色によって、招く運が変わります。

右脚は金運、左脚は人(客)を招くとされ、両手を挙げている招き猫もいます。また、毛色は黒が厄除け、赤は病除けなど災厄を除ける意味があり、ピンクは恋愛、青は交通安全や学力向上の運気を招くものとされています。)

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆



9月29日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

商品はわが娘

 私どもが日々扱っている商品は、言うなれば永く手塩にかけたわが娘のようなものだと思います。ですから商品をお買いあげいただくことは、自分の娘を嫁にやることであり、お得意先はかわいい娘の嫁ぎ先だとも言えましょう。

 そう考えると、その商品が十分お役に立っているかどうか心配になって、ちょっと様子を見てみようという気が起きてくるのではないでしょうか。そういう思いで日々仕事に取り組んでいるならば、お得意先との間に単なる商売を越えた、より深い信頼開係、力強い結びつきが生まれてくると思います。お互い商品を自分の娘というほどに考えているかどうか、改めて考え直してみたいものです。


【コラム】筆洗

2014年9月28日 東京新聞TOKYOWeb


▼日本における山岳信仰の背景は、火山による噴火や鳴動に対する恐怖心である。関東大震災を予見したといわれる地震学者の今村明恒(あきつね)(一八七〇~一九四八年)が、「火山の話」の中で、書いている

▼いにしえの民は、噴火口に神が住んでいると考え、霊場と心得ていた。噴火活動は火山の持ち主である神の怒りであり、神は霊場を穢(けが)されるのを嫌って「時々爆発を起こし、鳴動によって神怒のほどを知らしめた」

▼あまりに突然で、容赦のない「神怒」であった。長野県と岐阜県にまたがる御岳山が噴火した。巨大な白煙があっという間にのしかかる。運悪く、山頂付近で噴火に遭遇した登山者の恐怖は想像さえできない。美しい山が突然、顔色を変え、秋の山を楽しんでいたにすぎぬ人に襲いかかる

▼御岳山は常時観測されている火山の一つである。自然の力を前に人間があまりに無力であることを、あらためて思い知らされるのは御岳山の噴火警戒レベルが直前まで「平常」の1だったことである

▼レベル1での火山活動は「静穏」となっている。人間の能力では、神が顔色を変え、噴火に至ることに気づけなかったのか

▼「敵情偵察」。今村博士は火山や地震の災いを免れるための第一にこれを挙げている。敵情が分かれば「かの暴力を打ち砕く」こともできる。なぜ神の怒りを察知できなかったか。研究を続けなければ。



【社説】東京新聞TOKYOWeb

週のはじめに考える 新幹線と安全思想

2014年9月28日


 新幹線の高速正確な運行は、世界に誇るべき日本技術の一つです。十月一日で開業から五十年。安全を追い求めてきた半世紀といってもいいでしょう。

 東日本大震災の二〇一一年三月十一日。大地が揺れ始めた時、東北新幹線は十九本の列車が走っていました。震源に近い宮城県の仙台-古川間を時速二百七十キロで走行中の列車も。

 その十九本は、間もなく、いずれも脱線することなく無事に停車しました。
◆5秒早く地震を検知

 新幹線は、早期地震検知システムを備えています。沿線のみならず海岸部にも地震計を設置し、初期微動の検知により、送電を遮断。電気が止まれば列車には非常ブレーキがかかり、主要動の前に停止動作が始まるわけです。

 金華山の海岸地震計は、沿線の地震計より五秒早く大地震を検知しました。この五秒の余裕が時速二百七十キロで疾走していた列車を救った、ともいいます。

 こうして、東海道新幹線開業から続く「列車事故による乗客の死傷者ゼロ」の記録を更新できたのです。

 世界に冠たる安全実績をもたらしたものは、どこまでも事故を恐れることで鍛えられた安全思想でしょう。

 安全記録途絶の危機は、幾度も繰り返されてきました。

 一九九五年の阪神大震災で、山陽新幹線は高架橋八カ所が倒壊。午前六時に始発列車が出る直前でした。幸運だった、と言うべきでしょう。

 〇四年の新潟県中越地震では、上越新幹線を走行中の下り列車が脱線し、上り線側に大きく逸脱しました。対向列車との衝突を免れたのは、列車密度の低い上越新幹線ならではの幸運、とも言われています。
◆運転士の目では遅い

 新幹線を運行するJR各社は、阪神大震災を教訓に橋脚など構造物の耐震性強化を進め、中越地震を教訓に非常ブレーキ作動までの時間短縮を図りました。

 東日本大震災で全列車が無事に停車できたのは、阪神、中越両地震後にきちんと地震対策をした成果でもあるのです。

 では、その安全思想は、どこから生まれてきたのでしょう。

 新幹線の生みの親といわれるのは、当時の国鉄総裁だった十河(そごう)信二氏と技師長の島秀雄氏(ともに故人)です。

 五〇年の朝鮮戦争特需を機に日本経済の復興が始まり、五六年に全線電化が完了した国鉄東海道線も輸送力が追い付かなくなりました。既存路線の複々線化、別ルートでの新線建設などが議論される中、スピードの出せる広軌での新線建設を主導したのが十河総裁、島技師長でした。

 目指したものは、従来の鉄道とは異次元といっていい高速鉄道のシステムでした。

 鉄道事故は踏切で多発する-ならば、踏切のない完全立体交差の路線にすればよい。

 時速二百キロ以上の高速走行では、運転士の目による判断は間に合わない。では、どうするか-運転士が非常ブレーキをかけるのではなく、その必要をなくすシステムを考えればよい。

 自動列車制御装置(ATC)、列車集中制御装置(CTC)など、幾重にも張り巡らされた新幹線の安全装置は、このような考え方から生まれました。

 在来の国鉄線では、五一年に根岸線の桜木町駅で架線作業ミスから死者百六人を出した車両火災「桜木町事故」、六二年に常磐線三河島駅構内で死者百六十人を出した「三河島事故」など大事故が続きました。

 桜木町事故の責任を取って国鉄から去ったのが、当時の車両局長だった島氏でした。新幹線建設のため十河総裁に呼び戻された島技師長は、だからこそ、どこまでも安全を追い求めたのでしょう。

 新幹線計画が発表されたのは五八年。世界の大勢は、船と鉄道は斜陽化し、飛行機と自動車へ、という時代でした。国内でも、巨費を投ずるなら高速道路整備を、と新幹線反対論が噴き出しました。

 鉄道ファンの作家、阿川弘之さんも、後にその発言は撤回していますが、「世界の三バカ」と言われた万里の長城、ピラミッド、戦艦大和に例えて計画の再検討を求めたほどでした。
◆リニアは人に優しく

 逆風も吹く中で構想された新幹線が、その後の日本社会にどれほど影響を与えたか、あえて書くまでもないでしょう。

 次の半世紀は、リニア新幹線の時代になるのでしょうか。

 リニアが継承すべきは、まず、これまでの半世紀で磨き上げてきた安全思想です。それに、半世紀前にはなかった環境の重視です。つまり、人に優しい、ということではないでしょうか。


☆ 今日も秋晴です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆



Posted by kazu at 06:26│Comments(0)
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