京つう

日記/くらし/一般  |日本

新規登録ログインヘルプ


QRコード
QRCODE
インフォメーション
【京つうからのお知らせ】
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
kazu
kazu
東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年02月25日

今日のコラム

2014-02-25

☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

2月25日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

七十点以上の人間に

 完全無欠な人間などあり得ないと思う。だから、お互い人間として、一つのことに成功することもあろうし、ときにはあやまちもあるだろう。それは人間としてやむを得ないというか、いわば当たり前の姿だと思う。

 しかしあやまちと正しいこととを通算して、正しいことのほうが多くなるような働きなり生活を持たなければ、やはり人間として、望ましい姿とは言えないのではなかろうか。

 かりに自分を点数で表わすとどうなるだろう。三十点のマイナス面はあるが、少なくともプラスの面が七十点ある、というようなところまでには到達するようお互いに努力したいものである。


【コラム】筆洗

2014年2月24日東京新聞TOKYOWeb

▼椎名誠さんのデビュー作『さらば国分寺書店のオババ』(一九七九年)は古本屋のオババと若き日の椎名さんとの「対決」を描いた「昭和軽薄体」の代表作である。オババが時に腹立たしくも魅力的である

▼立ち読みの若い客を容赦なく叱る。無礼な客には「二度と来るな」と罵倒する。怒りにはもちろん理由がある。一冊一冊がわが子のようにかわいい。本をぞんざいに扱う人間が許せないのだ。本には神様が住んでいるとオババがいう。「昔は、またいだだけで叱られたもんだ」

▼オババならすすり泣くだろう。東京都内の図書館が所蔵する「アンネの日記」と関連本が切り裂かれた。ユダヤ人迫害の日々を描いた本の被害は、三百冊を超える。誰も死んでいない。「紙」が破られたにすぎない。それでも事件に身を引き裂かれるような痛みを感じるのはなぜか

▼どんな本も人類の「記憶」である。人が生きた証し。切り裂かれたのは紙ではなく、それはやっぱり人であり、心なのだ

▼レイ・ブラッドベリの『華氏(かし)451度』は本の所持を禁止した世界を描く。題名は本が燃える温度。本という記憶、記録を許さぬことで市民を支配する国家。本を守ることは、人類を守ることである

▼心配なのは、本を破った「君」である。なぜ黒い心に支配された。「どうして」。裂かれても笑ったままのアンネ・フランクの写真が尋ねる。


☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日で有りますように ☆


Posted by kazu at 07:00│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。