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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年10月21日

今日のコラム

☆10月21日はあかりの日 白熱電球が完成したのが1879(明治12)年のこの日です。

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


10月21日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

競争相手に学ぶ

●今日、たとえば企業などにおいて、非常に力もあり、立派な経営をしている相手と競争していくというような場合、ともすれば、困った、大変だと考えがちではないだろうか。しかしこれは「相手の経営のいいところは大いにとり入れてやろう。また、こういう相手と競争していくのは一面大変だけれども、同時に非常に励みにもなる。結局自分のところの発展にプラスになるのだ」と考えたらどうだろうか。そうすれば、相手の良さも素直に吸収でき、さらに心ものびのびとして、相手に負けないような知恵もでてくるかもしれない。

●指導者は、競争相手からも学ぶ心構えが大切だと思う。


【コラム】筆洗

2014年10月20日 東京新聞TOKYOWeb

▼サスペンス映画などで、観客にじわっと恐怖を与えるため、イメージの差を利用するという「手口」がある。温和な人物が冷酷な殺人犯だったという展開はその例か

▼北野武監督の映画「その男、凶暴につき」に出てくる、「殺し屋」が実に怖い。運転中、カーステレオで何かをずっと聴いている。耳を澄ますと、古今亭志ん生の「黄金餅(こがねもち)」。「殺し屋」と落語は結び付かないもので、観客はこの差によって、男の異常さや不気味さを覚え、震える

▼浦沢直樹さんの漫画「20世紀少年」。秘密結社の名は「ともだち」だった。テロ組織がその温かい名を帯びれば、気味の悪さや得体(えたい)の知れなさは深まる。これもイメージのズレを利用した恐怖である

▼「失神ゲーム」。イメージの合わぬ呼び方に総毛立つ。その「ゲーム」を使い、中三男子にいじめを加えた少年三人が逮捕された。説明は控えたいが、特定の状況で胸部を圧迫された人は失神してしまう

▼何が楽しいのか分からないが、子どもの間でまん延し、米国では死亡例もかなり出ていると聞く

▼「ゲーム」の語源はゲルマン語の「楽しみ」や「娯楽」。人の意識を奪い、場合によって死に至らしめるような行為は間違っても「ゲーム」ではない。「ゲームだよ」と仕掛ける人間がいれば、友人でも何でもない。愚かな行為を止めるため、そのらしからぬ呼び方をまずやめたい。

☆ 今朝は曇り空です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆


  

Posted by kazu at 05:54Comments(0)

2014年10月20日

今日のコラム

☆10月20日はリサイクルの日 10月20日は語呂合わせでリサイクルの日です。

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


10月20日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

小異を捨て大同につく

 明治維新の立役者は勝海舟と西郷隆盛である。当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり、複雑な情勢であった。しかし、勝海舟も西郷隆盛も戦うことを決して軽視はしなかったけれども、それ以上に、日本の将来ということを深く考えたわけである。そういう両者の一致した思いが、江戸城無血開城を可能にしたのだと思う。

 結局、指導者が目先のこと、枝葉末節にとらわれず、大所高所からものを見、大局的に判断することがいかに大切かということである。何が一番大事であり、何が真に正しいか、たえず小異を捨て大同につく、それが指導者としてきわめて大切な心がまえだと思う。

【コラム】筆洗

2014年10月19日 東京新聞TOKYOWeb

▼歌舞伎の世界には「お弁当をつける」という符丁があるそうだ。誰かにそう指示されたら、そそっかしい人は弁当屋に駆け出すかもしれぬが、大恥をかくことになる

▼せりふや動きに独自の工夫を加えて演じることでこれを「お弁当をつける」という。その反対が「おなまにやる」。余計な演出を加えず、あらかじめ指定された通りに演じることをいう

▼どうも、「お弁当」と「おなま」を演じ分けられなかったか。小渕優子経済産業相の進退が問われている。観劇会が騒動の発端という。小渕さんの政治団体が地元の支援者向けに観劇会を開催したが、その帳尻がまるで合わない。実費の一部を支援者に、「おごったのではないか」と疑われている

▼法に従った「おなま」の観劇会ならば、騒ぎにはなるまいが、ひいきを目当てに、妙な「お弁当」をつけたとなれば、「名門」出の将来の名題役者だろうと、大向こうからは「引っ込め」の声が飛ぶ

▼事実解明を待つが、聞いている限り、何とまあ「昭和」の臭いのする古い手か。地元からバスを仕立てて東京へ行き、食事付きの観劇会。お代の一部は…

▼四十代の女性議員とは結び付かない「お弁当」の内容である。地元の支援者に「おごる」という古い演出方法が実は今も政界全体の常識=「おなま」になっていないのか。小渕さんに限らず、舞台をくまなく調べる必要がある。


☆ 今朝は曇り空です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆

  

Posted by kazu at 06:50Comments(0)

2014年10月19日

今日のコラム

☆2014年10月19日 バーゲンの日
 1895(明治28)年のこの日、日本初の本格的なバーゲンセールを東京の呉服店が開催したのが10月19日だったといわれています。
 呉服の安売りは江戸時代からあったといわれています。

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆

10月19日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

良識を養う

★この世の中ではお互いがさまざまな言説を唱えています。しかし自由のもとに自説を主張する場合には、自説にとらわれて対立のみに終始するということではいけません。対立しつつも調和してゆかなければならないと思います。

★そのためには、お互いがそれぞれにみずからの良識を養い高めていくことが大切です。公共の福祉に反してはならないということは、もちろん法律にも定められてはいますが、やはり法律だけでは律し切れないものがあるわけです。そういうものについては、個々の人びとがみずからの良識で事を判断することによって、自由を真の自由たらしめていかなければならないと思うのです。


【コラム】筆洗

2014年10月18日 東京新聞TOKYOWeb

▼食事は大地に近いほどうまい」。食べることにこだわった小説家・開高健氏の言葉だ。東京を皮切りに各地で上映されている『聖者たちの食卓』は、インドの大地の滋味が、じわじわとにじみ出るドキュメンタリー映画だ

▼舞台は、シク教の聖地「黄金寺院」。無数の人が映し出されるが、彼らが何か印象的な言葉を発するわけでも、劇的な展開があるわけでもない

▼身を清め寺院に入った人々は、ニンニクの薄皮を一つ一つ丁寧にむき、山と積まれたショウガやタマネギを黙々と刻む。巨大な釜が熱せられ、カレーが作られていく。黄金寺院では日々、十万人分の食事が用意されるという

▼インドにはカーストという厳しい身分制度がある。生まれながら貴賤(きせん)を決められ、それを運命として受け入れることを強いられてきた。だがシク教は「人間が子宮の中にいるうちは、カーストなどありはしない」と教える

▼その象徴が何百年も受け継がれてきたランガルと呼ばれる無料の食堂。地位や性別、年齢に関係なく、ともに料理をし、同じ床に座って食べ、後片付けをする。誰もが公平に働き、おなかを満たし、幸せな気分になる。それ自体が「聖なること」なのだ

▼スクリーンの中でカレーをほおばる人々の瞳の輝きを見るうち、開高氏のこんな言葉を思い出した。「心に通ずる道は胃を通る」。じっくり噛(か)みしめたい至言だ。

☆ 今朝も良い天気です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆

  

Posted by kazu at 06:05Comments(0)

2014年10月18日

今日のコラム

☆ 10月18日 フラフープの日 

 1950年代の後半、一世を風靡したフラフープが1958(昭和33)年のこの日、日本で初めて発売されました。

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


10月18日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

独断は失敗につながる

◆仕事でお互いが注意すべきことは、会社の伝統、方針を無視した自分ひとりの考えで行動しないということです。人ひとりの知恵は、いかにすぐれていても、伝統もかえりみず、方針を等閑視して、せまい自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば、かえって会社をマイナスに導きます。

◆私たちはとかく、ものの一面にとらわれて自己の考えのみを主張していると、その背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。そこから大きな失敗が表われてきます。常に自己の背後にある流れ、つながりを見通す目、心を培い、その中で自己を生かすよう訓練していかなければなりません。


【コラム】筆洗

2014年10月17日 東京新聞TOKYOWeb

▼福島県の大熊町は、福島第一原発が立つ町。今も一万八百人の町民全員が、避難生活を強いられている。事故から三年半がたち、町は最近ようやく、復興整備計画を書き上げた
▼その目玉の一つは、再生可能エネルギーの活用だ。汚染された農地に、太陽光の発電所を造る。電気を東北電力に売って、利益を「植物工場」の運営に充てる。密閉した施設で野菜を作れば、汚染の心配もない。町民が安心して働ける場をつくる。それが、復興の一歩だ

▼政府は今年四月に決めた「エネルギー基本計画」で<福島の再生可能エネルギー産業拠点化>という目標を掲げた。国の方針にもかなう復興計画を手にして、大熊町の職員らは「やっと、復興の兆しを見いだした」との思いだったそうだ

▼だが東北電力が「もう再生可能エネルギーの買い取り契約は結べない」と言いだした。経済産業省は、再生可能エネルギー拡大の柱となる制度を、抜本的に見直すと言いだした
▼日本の太陽光や風力への依存度は、欧米に比べ著しく低い。優れた技術力はあるのに、それを生かすための政策が朝令暮改では、思い切った投資のしようもない

▼国策で造られた原発の事故で、大熊町は汚された。再出発のための針路図も国の手で消されるのか。町の職員は「国にはしごを外されてしまって、つかまるところがない。涙が出そうです」と言葉少なだ。

☆ 今朝は良い天気です。寒いです。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆   

Posted by kazu at 06:17Comments(0)

2014年10月17日

今日のコラム

☆ 10月17日 貯蓄の日

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


10月17日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

臨床家になれ

 経営、商売というものは、これを医学にたとえれば、臨床医学に当たると思います。その意味では、これに当たる者はみな、実地の体験をつんた臨床家でなくてはなりません。

 ですから、かりに販売の計画を立てる人が、自分自身、販売の体験を持たずして、その知識、才能だけに頼って、いわゆる机上のプランをつくっても、それは生きたものとはならず、失敗する場合が多いのではないでしょうか。やはり、臨床の仕事をしていく以上、実地の体験から入らなくては、一人前の仕事はできにくいと思うのです。

 この臨床の仕事をしているという心根をお互いいつも忘れないようにしたいものです。

【コラム】筆洗

2014年10月16日 東京新聞TOKYOWeb


▼「オリンピックの身代金」の作家奥田英朗さんがテレビドラマについてこんなことを書いていた。「つらい時代だな、と中年になったわたしは思う。今の若者は誰に救われるのだろう。わたしには山田太一がいた。陰気臭くても、山田さんのドラマが『それでいいじゃないか』と言ってくれた」

▼「岸辺のアルバム」(一九七七年)、「想(おも)い出づくり」(八一年)、「ふぞろいの林檎(りんご)たち」(八三年)など山田さんのドラマを制作したテレビプロデューサーの大山勝美さんが先週、亡くなった。作品名にしみじみとする人も大勢いるか

▼奥田さんがいう通り、大山・山田作品は決して陽気ではない。扱っているテーマは家族の崩壊であり、適齢期を過ぎた女性群像、冴(さ)えない大学生の日常と、派手さはない
▼「つまらない人間のつまらない日常をいかにリアルに描くか」。「人生は哀(かな)しい。泣きたくなる。その機微をリアル」に描きたい。大山さんはこう書いている。その手法が共感を呼んだ

▼引き合いに今のドラマを批判するのは公平ではない。日常の陰気臭さを嫌がるのは視聴率であり、とりもなおさず現在の日本人である

▼時代自体が悲しく、陰気なせいか。陽気で悩みのない主人公、突拍子もない犯罪ドラマが人気と聞くが、それが浮世の憂さを忘れる「救い」になっているとすれば、確かに「つらい時代」かもしれない。


☆ 今朝も晴れています。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆

  

Posted by kazu at 05:55Comments(0)

2014年10月16日

今日のコラム

☆10月16日は世界食糧デー

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


10月16日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

諸行無常の教え

 その昔、お釈迦さまは、“諸行無常”ということを説かれました。この教えは、一般には“世ははかないものだ”という意味に解釈されているようですが、私はむしろ“諸行”とは“万物”、“無常”とは“流転”と考え、諸行無常とは、すなわち万物流転であり、生成発展ということであると解釈したらどうかと思うのです。言いかえますとお釈迦さまは、日に新たでなければならないぞ、ということを教えられたのたということです。

 これはたんに仏教だけの問題でなく、お互いの日々の仕事をはじめ、お互いの人生、社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。


【コラム】筆洗

2014年10月15日 東京新聞TOKYOWeb


▼ 一九七〇年代半ば、パニック映画ブームがあった。高層ビル火災の「タワーリング・インフェルノ」、客船が転覆する「ポセイドン・アドベンチャー」など大災害や事故の中で不安と恐怖に怯(おび)える人間を描いた作品が次々と製作され、当たりをとった

▼「カサンドラ・クロス」(七六年)を覚えている方もいるか。米軍が兵器用に開発した細菌にテロリストが感染し、長距離列車に逃げ込む。車内の乗客に感染し、当局はこれ以上の拡大を防ぐためと列車を谷底へ転落させることを企てる

▼ 映画を連想したのは十三日の米国下院議員のエボラ出血熱をめぐる発言で、被害が広がる西アフリカ地域から米国への渡航を全面的に禁じるべきだと主張した。感染国を国際社会から孤立させてしまえと言っているのと、同じであろう

▼ 専門家によると渡航禁止などは感染防止にはつながらないし、むしろ事態を悪化させる。山火事と同じで自分だけ助かろうと壁を立てても、飛び火は回避できない。そこへ行って国際社会が協力して消火に当たらなければ、火は収まらない

▼ また孤立化は「感染国」の国際社会に対する不信の念を強め、感染防止にも協力しなくなる可能性もある

▼「孤立させよう」。ラガルドIMF専務理事が着用していたバッジの文句は正しい。「感染国ではなくエボラを」。列車を見捨て、谷底へ転落させてはならぬ。


☆ 今朝も良い天気です。寒いです。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆  

Posted by kazu at 06:06Comments(0)

2014年10月15日

今日のコラム

☆10月15日 世界手洗いの日(Global Handwashing Day)

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


10月15日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

紙一枚の差

◆ 社会に対する責任ということを同じように考えてやっていても、その徹し方には差がある。一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。

◆もう十分だと考えると、苦情があっても「ああ言うが、うちも十分やっているのだから」ということになって、つい反論する。けれどもまた足りないと思えば、そうした苦情に対しても敏感に受け入れ、対処していくということになる。

◆そういうことが、商品、技術、販売の上に、さらに経営全般に行なわれれば、年月を重ねるにつれて立派な業績を上げることになるわけである。

【私説・論説室から】さよならダイエー

2014年10月1日 東京新聞TOKYOWeb


◆ ダイエーを興した中内功さんには一度だけお目にかかったことがある。

◆ 駆け出しの経済記者で流通業界を担当していた一九八〇年代後半、芝公園のダイエー本社でインタビューした。大正生まれの中内さんは六十代で、上り坂のダイエーが一時、赤字基調になり、ヤマハから川島博さんを副社長に迎えていたころだった。「価格破壊」の経営者は思ったよりも小柄で、目力は強いけれどスーパーのオヤジらしい気さくさで語り、初対面とは思えない温かさがあった。

◆ 当時、経済はバブルの入り口にあり、流通業界は個性的な経営者が覇を競い合っていた。ライフコーポレーションの清水さん、ヤオハンの和田さん、ジャスコの岡田さん、イトーヨーカ堂の鈴木さん-。

◆ セゾングループを興した堤清二さんには池袋のサンシャインビル本社でお目にかかった。すでに詩人、作家として知られていた。流通業と前衛的な文化をパルコなどで結び付けた革命児は穏やかで、役員室の静謐(せいひつ)、にこやかな丸顔を思い出す。

◆ 流通業界の群雄割拠はバブル崩壊で長い大再編時代に入り、ついにダイエーの看板が消える。一騎当千、時代とともに希代の経営者が現れ、確かな足跡を残しては去って行く流通業界は、振り返ると大河ドラマを見るようだ。これからの経営者たちはどんな時代を演出し、何を残すだろうか。 (安田英昭)


☆ 今朝は快晴です。少し寒いです。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆
  

Posted by kazu at 06:21Comments(0)

2014年10月14日

今日のコラム

☆ 10月14日は鉄道の日

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


10月14日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

商品を発意する

 商売をしている人は、その商品を買って使われる人の立場というものが一番よくわかります。ご需要家のみなさまが商品について日ごろ抱いておられるご不満、ご要望というものを聞く機会が一番多いのが商人でしょう。したがって、真にお客さまの要望にそった商売をするためには、そのご不満なりご要望を聞きっぱなしにするのでなく、それを自分で十分に咀嚼し、商人としての自分のアイデアを考え出す。いわば、みずから商品を発意してそれをメーカーに伝え、改善、開発をはかるよう強く要望していくことが大切だと思います。そこまでしてこそはじめて、真に社会に有益なほんとうの商売というものも可能になるのではないでしょうか。


【コラム】筆洗

2014年10月13日 東京新聞TOKYOWeb


▼人類の祖先は木の上で生活していたが、ある時、草原に下り立って歩くようになった

▼両手が空いた。荷物を運べるようになった。ホモ・サピエンスとは「知恵のあるヒト」の意味だが、文化人類学者の川田順造さんによれば「ホモ・ポルターンス」(運ぶヒト)でもあり、運ぶという能力がヒトをヒトたらしめているという(『<運ぶヒト>の人類学』)

▼なるほど、身の回りのモノが運べれば、旅に出られる。アフリカ大陸から歩いて、ヒトは拡散していった。商品やカネ、サービスを「運び、届ける」ことは人類の経済活動そのものだろう

▼運ぶとは、自分の荷物を運ぶことばかりではなく、「誰か」に届けるという行為でもある。届けられることを待っている人がいる。その願いを理解し、一刻も早く届けたいと相手を考える。人類学とは離れるが、誰かを思う気持ちこそが、人を人たらしめている気がしてならぬ

▼御嶽山。灰のぬかるみに足を取られ、何度も転びながらも登山者の遺体を運んでいた自衛隊員たちの映像を見る。噴火から二週間が過ぎたが、なお七人の登山者の安否が分からぬ。悪天候や火山ガスと闘いながらの捜索。家族の元に帰してあげたい。その思いが捜索の糧なのか。頭が下がる

▼台風19号が迫る。雪の季節も近い。人間の運ぶという行為を阻む自然に対して、目こぼしを乞わずにはいられない。

☆ 今朝は曇り空です。皆様の処は台風の被害はありませんでしたか。風が強かったです。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆

  

Posted by kazu at 06:07Comments(0)

2014年10月13日

今日のコラム

☆ 10月13日は体育の日

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


10月13日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

国土を大切にする

 日本の国土ほど風光明媚で、気候が温和な国はそうないのではないでしょうか。しかも長年にわたって、非常にすぐれた日本独自の文化と国民性とを養い育ててきました。今後ともこの国土の存するかぎり、日本のすぐれた文化と国民性は永遠に失せないでしょう。

 とは言え、日本国民全体が、自分たちのこの国土を大切にするという強い意識を持つことがきわめて大事だと思います。そして、この国土によって今までにはぐくまれてきた伝統の精神というものを十分に理解、認識し、そしてさらにすぐれた文化の花を咲かせるよう努めていくことが、今日の日本人の尊い使命だと思います。


【コラム】筆洗

2014年10月12日 東京新聞TOKYOWeb


▼<夕焼、小焼のあかとんぼ>の「赤とんぼ」(作詞・三木露風、作曲・山田耕筰)は童謡の中でも人気が高い。好きな童謡調査で上位の常連と聞く

▼一九二一(大正十)年発表。もちろん、今の人は子守の「姐(ねえ)や」におんぶされることはない。桑の実を手に取った体験がある人がどれほどいるか。見たこともない過去の光景なのに懐かしさを感じる。歌の力であろう

▼劇作家の寺山修司さんはあの歌を苦手だと書いている。小学校の音楽の時間。初めて「赤とんぼ」を歌った時、校務員さんが突然やって来て、先生に耳打ちした。先生は寺山さんにすぐに帰れといった。帰宅すると、父親の死を告げられた。以来、あの歌を聞くと「必ず良くないことが起こり、落第し大病した」

▼それだけ思い入れがあったか。その証拠に寺山さん編さんの「日本童謡詩集」にも「赤とんぼ」は収録されている。良くない出来事、嫌な記憶。それも含め大切な思い出で、それにあの歌が結び付いている

▼赤とんぼの「アキアカネ」が全国で激減している。原因は分からぬ。いつの間にか姿を消してしまった。温暖化、農薬が原因という指摘もあるが、減少を止めたい

▼「姐や」も桑の実も分からない時代になってもあの歌は生き続けることができたが、アキアカネが消えればどうなるか。あの歌を、日本の風景を「まぼろしか」にしてはならぬ。


☆ 今朝は曇り空ですが、風が強いです。台風が近づいています、注意して下さい。

今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


  

Posted by kazu at 05:59Comments(0)

2014年10月12日

今日のコラム

☆ 10月12日 豆乳の日

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


10月12日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

経営は総合芸術

 経営者の仕事は、画家などの芸術家の創造活動と軌を一にするものだと考える。一つの事業の構想を考え、計画を立てる。それに基づいて資金を求め、工場その他の施設をつくり、人を得、製品を開発し、それを生産し、人びとの用に立てる。その過程というものは、画家が絵を描くごとく、これすべて創造の連続だと言えよう。

 なるほど、形だけみれば単に物をつくっていると見えるかもしれないが、その過程にはいたるところに経営者の精神が生き生きと躍動しているのである。その意味において、経営はきわめて価値の高い、いわば総合芸術ともいうべきものだと思います。


【コラム】筆洗

2014年10月11日 東京新聞TOKYOWeb


▼パキスタンの少女ペカイさんは、六歳の時に学校に通い始めたが、一年もたたずにやめてしまった。周りで学校に通っている女の子などいない。どうせ大人になったら、家の中の仕事をするだけ。学校に行っても、意味はないだろう

▼だから、大きくなって恋に落ちたジアウディンさんから詩を献(ささ)げられても、読めなかった。ただ、この人の夢を支えていこうと思った。彼の夢は、貧しい家の子も女の子もみんな学校に行けるようにすること。そのために学校を作ることだった

▼二人の間に生まれた女の子も、両親と同じ夢を抱くようになった。だが、そのために少女が学校に行くことを認めないイスラム過激派に撃たれ、死の淵(ふち)まで追いやられた

▼それがマララ・ユスフザイさん。手記『わたしはマララ』が世界的ベストセラーとなった少女だ。彼女が瀕死(ひんし)の状態から回復し、「すべての子に教育を」と訴え始めると、過激派は「また狙う」と脅した

▼再び襲われたら、どうするか。そう尋ねられたマララさんは、こう答えたそうだ。「教育の大切さについて話し、彼(過激派)の子どもにも教育を与えたいと話します。それから、好きなようにしなさいと言います」

▼マララさんの母ペカイさんは学校に通い直し、読み書きを学び始めたという。愛娘(まなむすめ)にノーベル平和賞が贈られるという記事を読めば、あふれる思いがあるだろう。


☆ 今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆


  

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