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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年09月16日

今日のコラム

☆ 9月16日はマッチの日 1948(昭和23)年、配給制だったマッチの自由販売が認められました。

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆

9月16日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

人の責任

 会社が発展するのも失敗するのも、結局はすべて社長一人の責任ではなかろうか。というのは、もし社長が“東へ行け”と言うのに、“いや私は西へ行きます”と言って反対の方向に行く社員はまずいないからである。ほとんどの社員は、社長が東へ行こうと言えば、みな東へ行く。だから、“東へ行け”と言って、もし間違ったとしたら、それは社長一人の責任に他ならないわけである。同じように、一つの部、一つの課が発展するかしないかは、すべて部長一人、課長一人の責任である。

 私は、いままでいかなる場合でも、そう考えて、自問自答しながら事をすすめるよう努めてきた。


【コラム】筆洗

2014年9月15日 東京新聞TOKYOWeb


▼「親子」という英単語は存在しない。もちろん表現できないことはないが、親のペアレントと子のチャイルドという二つの言葉を組み合わせなければならない。家族は「ファミリー」。だが、「親子」にはそのまま、ひと言で表せる英単語がない

▼通りかかったギャラリーで「親子」の写真だけを飾った展覧会をやっていた。米国の写真家ブルース・オズボーンさんという方の作品という。これまでに五千組もの「親子写真」を撮り続けていらっしゃるそうだ

▼若い夫婦と赤ん坊。老いた母と、それなりに老いた娘。ひとり親とその息子。いろいろな親子の形がある。写真のどこかに流れている親子の日常を思い、自然と頬が緩む。親一人子一人の親子写真を見れば、声をかけたくなる

▼きょうは敬老の日である。考えてみれば「親子」と同じで、「敬老」という日本語にも、ひと言で置き換えられる英語がなさそうだ

▼年老いた親をいたわる。赤の他人でも困っているお年寄りを見掛ければ、手を貸してあげたい。この国には、そういう特別な関係や感情を重んじるため、特別な言葉が用意されていると考えるべきなのだろう

▼昼間の空(す)いた電車。「オレは空いていてもシルバーシートには座らないんだ」。高校生が友人に宣言していた。優先席に座ろうと誘われたのだろう。いいやつだな君は。君の親子写真が見たくなった。


☆ 昨日のカープ

カープVメール

15日マツダスタジアム、カープ4―0巨人、勝ち投手前田健11勝8敗、本塁打ロサリオ11号 詳しくは中国新聞(あすの夕刊・あさっての朝刊)で


今朝も良い天気で、気持ちの良い朝です。

 今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆

  

Posted by kazu at 06:25Comments(0)