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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年07月29日

今日のコラム

☆ 7月29日 アマチュア無線の日

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


7月29日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

力の限度にあった仕事を

 二、三人の人を使っての個人企業の経営者としては立派に成績を上げたけれども、十人、二十人と人が増えてはもうやっていけないという人もあろう。

このことは、ひとり経営者についてだけでなく、部とか課の責任者、さらには一人ひとりの社員が仕事と取り組む上での心構えといった点で大事な教訓を含んでいると思う。

それは一言でいえば、お互いが自分の能力を知り、その上に立って自己の適性というか、力の限度にあった仕事をしていかねばならないということである。

自分の能力を常に検討し、適性にあった仕事をしていくということになってこそ、自分自身、ひいては会社や世の中にも貢献することができると思うのである。


【コラム】筆洗

2014年7月28日東京新聞TOKYOWeb

▼打ち上げ花火の掛け声といえば、玉屋に鍵屋ということになる。花火大会の季節である

▼花火の掛け声というのは難しい。打ち上がって、花が開き、それが落ちていくまで「たーーーまやーーー」と声を出し続けるのが本寸法と聞くが、現在のようにひと晩に二万発も打ち上がるとあっては、そんな声の掛け方も無理であろう。享保十八(一七三三)年の両国での花火大会はせいぜい二十発程度だったという

▼<橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋といわぬ情(じょう)なし>。花火商では玉屋、鍵屋の二軒が有名だったが、江戸の人がほめる掛け声は玉屋ばかりだったそうだ。古い川柳の<玉屋だと またぬかすわと 鍵屋いい>。それほど玉屋びいきが目立っていた

▼「江戸東京地名辞典」(講談社学術文庫)によると、鍵屋弥兵衛の鍵屋は江戸花火商の元祖で、その六代目の時、番頭だった人物が独立してできたのが玉屋なのだという

▼気の毒に玉屋は天保十四(一八四三)年、自火を出し、罪に問われてつぶれてしまった。玉屋への掛け声は、弱い者に心情を寄せる江戸っ子が玉屋の悲劇を思ってのことかもしれぬ

▼判官びいきは日本人の美徳の一つと信じるが、当世は政治、社会そして学校でも弱きが助けられるどころか、くじかれてはいまいか。鍵屋には悪いが、闇に輝く花火には、やはり「玉屋」と大きな声を掛けたい。


☆ 今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆

  

Posted by kazu at 06:52Comments(0)