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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年07月05日

今日のコラム

☆ 7月5日の記念日 穴子の日 (大阪の株式会社グリーンフーズが制定)

お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆


7月5日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

責任を生きがいに

 人は成長するにつれて、だんだんその責任が重くなっていきます。そして、成人に達すると法律的にもはっきり少年のころとは違った責任を問われます。また、次第に高い地位につくようになると、それだけ責任が重くなります。

 しかし、人はもともと責任を問われるところに、人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きいほど、それだけ価値が高いということが言えましょう。ですから、責任を問われるところに、生きがいもあろうというものです。責任を背負い、そのことに生きがいを覚えないとしたら、年齢は二十歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。


【コラム】筆洗

2014年7月4日東京新聞TOKYOWeb

▼<パーマネントに火がついて/見る見るうちに禿(は)げ頭/禿げた頭に毛が三本/ああ、恥(はず)かしや恥かしや/パーマネントはやめましょう>。戦争中こんな囃(はや)し文句が流行した

▼「われら腕白(わんぱく)どもは隊伍(たいご)を組んで町を闊歩(かっぽ)しながら、パーマの麗人を立ち往生させ、ぐるぐる回りながらはやしたてた」。作家の半藤一利さんが『荷風さんの昭和』(ちくま文庫)の中で、書いている

▼時局柄、「婦女のちぢらし髪」は禁止。子どもは純粋だが、純粋とは一面、情けを知らぬ容赦のなさでもある。禁止のはずの「ちぢらし髪」をからかうことに、ためらいはなかっただろう

▼同級生へのいじめを見かねた小学校三年生の女の子が「いじめるなら、私をいじめろ」とかばった。三人の子は「いじめてもいいんだって」とかばう子をたたき、けがをさせた

▼いじめられた子を心配する。我(われ)先の時代にあってかばった女の子の優しさに手を合わせたくなる。その一方でいじめた三人が気掛かりである

▼「自分をいじめろ」の言葉を聞けば、大人なら感に打たれてひるむだろうが、相手は小三である。子どもの容赦のなさが出てしまったとはいえ、ひどい子とは思えぬし、思いたくもない。大人の尺度で測ってはならぬ。大切なのはこれから三人にどう教えてあげるか。「いまはひどくきまり悪く思っている」。半藤さんは囃し文句を反省している。


昨日のカープ

カープVメール

4日マツダスタジアム、カープ7―1ヤクルト、勝ち投手前田健8勝4敗、本塁打丸11号、エルドレッド27号・28号 詳しくは中国新聞朝刊で

今日も暑くなるそうです、水分を補給して、熱中症に気をつけましょう。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 05:56Comments(0)