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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年06月08日

今日のコラム

☆6月8日 鳴門大橋開通記念日
 お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

6月8日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

富の本質

 時代によって富についての考え方も変わってきます。これまでは単に蓄積された物が富と考えられてきましたが、経済の進歩した今日では、その物を生産し得る能力、生産力こそが真の富だとも考えられます。

 それでは生産力だけを増やせばいいかというと決してそうではありません。生産は必ず消費に相応じなければなりません。いくら生産しても、それが消費されなければ何の値打ちも持ちません。すなわち、消費力があればこそ、生産力があるのです。したがって生産力と消費力のバランスをとりつつ増大させていくことが、富の増大であり、繁栄の道もそこから生まれてくると言えるのではないでしょうか。


コラム筆洗

2014年6月7日東京新聞TOKYOWeb

▼詩人・千家元麿(せんげもとまろ)に「小さい笑ひ」という短い詩がある。<赤ん坊の頬にくぼみが出来る/針でつゝいたより小さい笑ひが/一番遠い星よりももつと小さい笑ひが/浮んでは消える。/小さな喜びの火がともつては消えるやうだ。/誰か側からつゝいて笑はしてゐるやうだ>

▼確かに赤ん坊の頬にぽっと浮かぶ笑みには、自然の神秘を感じさせる何かがある。親になった者への大自然からの贈り物のようにすら思える。やがて親はまた別の笑いを、子どもから贈られるようになる。例えば六歳の子の詩…

▼<おとうさんがさんぱつをしてきたから/おかあさんが/「おとこまえになって」といったら/おとうさんはかがみをみていました/わたしは/「かおとちがうで。あたまやで」/といいました>(『子どもの詩集たいようのおなら』)

▼この少女が生きていたら、もう高校一年生。お父さんお母さんに、いろんな笑いを贈り続けていただろう

▼栃木県の小学一年生、吉田有希ちゃんが殺されて八年半。容疑者逮捕を受け、ご両親が公表した手記に、こうあった。<有希の思い出は七歳で止まったままです>。胸の中の有希ちゃんは、「行ってきます」と言って振り向き手を振った笑顔のまま。時は止まったままなのだろう

▼ご両親のこころの中の時計が、少しずつ、ほんの少しずつでも動き始めればと、願わずにはいられない。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 06:13Comments(0)