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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年05月22日

今日のコラム

☆ 5月22日(木)国際生物多様性の日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月22日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

感心する

 同じように人の話を聞いても、「なかなかいいことを言うなあ」と感心する人もあれば、「なんだ、つまらない」と思う人もいる。どちらが好ましいかというと、もちろん話の内容にもよるだろうが、「いいなあ」と感じる人の方により多く、その聞いた話の内容から仕事に役立つような何かヒントを得て、新しい発想をするといったようなプラスの価値が生まれてくるだろう。ちょっとしたことだけれども、人生とか事業の成否のカギは、案外こうしたところにあるのではないかと思う。人の意見を聞いて、それに流されてはいけないが、お互いにまず誰の意見にも感心し学び合うという柔軟な心を養い高めていきたいものである。

【コラム】筆洗

2014年5月21日 東京新聞TOKYOWeb

▼幸せなら手をたたこう」の発売は一九六四(昭和三十九)年五月。半世紀である。坂本九さんが歌い、ヒットした。小学校の遠足でも、よく歌われていた。「手をたたこう」の歌声に続いて「ぱん、ぱん」と手拍子を入れるのが「決まり」である

▼この歌に関係するちょっとした事件があった。昭和四十年代の話。泥棒が家へ忍びこんだ。家人に見つからないよう隠れていたところ、テレビから九ちゃんの歌が聞こえてきた。「たたこう」の声に思わず、「ぱん、ぱん」と手をたたき、御用になったという

▼立川談志さんが『現代落語論』の中で実話として紹介している。「世知辛い世の中にこんな間が抜けた楽しい奴(やつ)はまたとない」

▼同じ、自分の「失敗」でばれてしまった話でもPC遠隔操作事件の方は笑えない。「真犯人」のメールを発信したのは無実を訴えていた片山被告。これでは言い逃れはできず「投了」となったか。スマートフォンを埋めた「穴」は文字通りの「墓穴」である

▼心にやましさを隠した人は偽装に走る。悪事が露見しないか。もっと上手にごまかす方法はないか。ところが、ごまかせば、ごまかすほど、話はいびつになる。悪事はやっぱり発覚するのである

▼偽装について母親を心配させたくなかったというが、考え違いで、母を思えば、早く真実を告白すべきだった。親孝行の「決まり」である。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 06:09Comments(0)

2014年05月21日

今日のコラム

☆ 5月21日(水)京都に日本初の小学校開校
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います☆

5月21日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
自分が社長の心意気を持つ

 戦争中に、ある青年が会社の業務として、一つの工場を売りに私の所へきました。私は話を聞いた結果、「君が私の会社へ入って、その工場の経営を引き受けてくれるのなら、買おう」と言うと、彼は「私は社長ですから現在の会社をやめるわけにはいきません」と言下にそれを否定したのです。「君は社員ではなかったのですか」と聞くと、「いや、自分は社員ですが、心持は社長のつもりでいます」と言うのです。この返事を聞いて、えらい人だなと思いました。

 われわれも一人ひとりが、それくらいの心意気を持って仕事をすれば、いろいろ新しいことも発見できるでしょうし、日々新たに成長もしていくと思うのです。


【コラム】筆洗

2014年5月20日東京新聞TOKYOWeb

▼<彗星(すいせい)過ぐといふなる星の下憂へて住めば事はなかりき>。作者は詩人、歌人の尾上柴舟(おのえさいしゅう)。一九一〇(明治四十三)年五月十九日、ハレー彗星が地球に最接近した

▼柴舟が詠んだのは彗星が過ぎ去った後なので、それほどの緊張はないが、当日は大騒ぎだったろう。太陽と地球の間を通過する時、彗星の尾に地球が包まれ、一時的に大気が失われるという説があった

▼当時の大衆雑誌「風俗画報」によると「甚しきは世界滅亡の時至れりと為(な)し、痴なるは祈祷(きとう)を為し、愚なるは花柳界に遊蕩(ゆうとう)せしものありしよしなる」。最後の日となれば、人間は「騒ぐか、祈るか、遊ぶか」なのか

▼岸田國士(くにお)の戯曲『麺麭(パン)屋文六の思案』(二六年)は巨大彗星と地球が衝突する前日を描く。世界が終わるというのに、文六は娘の妻子ある男との交際に気を揉(も)んでいる。祈りもしない。遊びもしない。明日が来ないと分かっていても、ただ子どもが心配なのである

▼毎日毎日が同じことの連続。「これでいいのか」と考え込む日は誰にでもある。若い時は特にそうだろう。世界の終わりなんてまっぴらだが、明日滅びると思えば、違った日常が見えてこないか

▼明日一日。人の悪口に費やす人はいない。何をするか。考え、そこで見えたものこそ自分にとって大切なこと。若くして亡くなったアップル創業者のスティーブ・ジョブズさんの教えである。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 05:59Comments(0)

2014年05月20日

今日のコラム

☆ 5月20日(火)成田空港開港記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆


5月20日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

公平な態度

 国における法律の適用には万が一にも不公平があってはならないが、会社や団体における規律や規則についても、これまた同じことが言える。会社の規則というものは、一新入社員であろうと社長であろうと等しくこれを守り、それに反したときは等しく罰せられるということで、はじめて社内の秩序も保たれ、士気も上がるのである。

 だから、指導者は常に公平ということを考えなくてはならない。利害とか得失、相手の地位、強弱にかかわりなく、何が正しいかというところから、公平に賞すべきものは賞し、罰すべきものは罰するという姿勢を遵守しなければならないと思う。


【コラム】筆洗

2014年5月19日東京新聞TOKYOWeb

▼<咄家(はなしか)は世間のあらで飯を食い>。魚の「あら」。失敗、間違い、余計なものの意で、世の中の愚かなこと、とんまな振る舞いを材料に人間を語るのが落語家の商売である

▼近頃、「あら」を求めているのは咄家だけではない。世間全体で「あら」を探している。落語が「世間のあら」で人間のおかしみや哀(かな)しさを伝えるのとはわけが違う。とことん、とっちめるためである

▼「美味(おい)しんぼ」への批判が強い。休載という。鼻血の原因が被ばくとは一方的で不穏当な表現だったか。風評被害が拡大するというのであれば地元には気の毒なことで作品には、「あら」があったということか

▼怖いのは、この種の「あら」への過剰な反応である。「ばかだねえ」「おれはそう思わない」でおしまいにならぬ空気である

▼「風立ちぬ」の喫煙場面が気に入らない。ドラマでの児童施設の描き方が許せぬ。鼻血の科学的知見がない。批判は理解できるし、頭から否定するものではないが、「あら」に血眼になる世間はやはり窮屈すぎないか

▼作品表現などへの不寛容さ。ネットの群衆による加減を知らない批判。その「潔癖さ」にたじろいでしまう。衝動的、興奮しやすい、大げさ、単純、極端-。フランスの社会心理学者ル・ボンが群衆の性質をそう指摘しているが、今の世間にも一部当てはまる。「あら」の妙味は群衆には伝わらない。

【私説・論説室から】東京新聞TOKYOWeb

不安が隔離されていく

2014年5月19日

 人気漫画「美味しんぼ」の福島第一原発事故を題材にした表現が波紋を広げる中、一本の電話がかかってきた。事故の直後に取材した双葉町民の男性(50)だった。

 男性は事故後、「フクイチ」を取材した作品の主人公のように鼻血が出た。原発から四キロにある双葉町の家は放射線量が高い。現在暮らしている南相馬市から帰宅するたびに体調を崩してしまう。

 この間には心筋梗塞も患った。放射能の影響ではないかと不安でたまらないのに、国や県は「安全」を繰り返す。事故で出た放射線による健康被害は「確認されていない」、鼻血が出たという相次ぐ訴えにも「被ばくと因果関係はない」と言い切る。

 「原発推進が国策では、何を言っても無駄だ」。怒りが萎(な)えていたところに漫画の騒動が起きた。科学的根拠がないなどと、作品に対する批判は過剰とさえ思え、怖くなった。被災者の不安は封じこめられるのではないか。それが電話の訴えだった。

 人々は被ばくの不安を抱える一方で、大丈夫だとも信じたい。そんな行き場のない思いをどこにやればいいのか。

 男性は記者の私に伝えたかった。表現に配慮がないと憤るよりも、口にできなかった不安が描かれていることに共感が勝った双葉町民がいることを。被ばくへの不安をタブーとしたり、隔離してはならない。 (佐藤直子)


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆


  

Posted by kazu at 06:03Comments(0)

2014年05月19日

今日のコラム

☆ 5月19日(月)ボクシング記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月19日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

戦乱の中での商売よりも

 昔の商人たちは、洋の東西を問わず、戦乱のちまたの中にあって、いつ流れ玉に当たって死ぬかもわからないという状態の中でも、立派に商売を進めてきました。

 しかし、今日では流れ玉に当たるというようなことはまずありません。ですからそのような時代に比べると、今日は困難であるとか経済危機であるとか言っていますが、まだずいぶん楽である。むしろ非常に商売のしやすい絶好の機会と言えるのではないでしょうか。

 そう考えて自分の商売をもう一回見直し、必要のあるところに創意工夫を加えていくことによって、難関を切り抜けていくこともできるかと思います。


【コラム】筆洗

2014年5月18日東京新聞TOKYOWeb

▼初夏に、おかしな話だが、手袋のミトンを考える。あの二股の手袋に不幸や悲しみを想起する人はあまりいないだろう。赤ちゃんが自分の顔を引っかかないように両手にはめてあげる。寒い日の小学生の手袋。母親が使ったオーブン用ミトンを思い出す人もいるか

▼やりきれぬミトンもある。延命治療で高齢者の両手にミトンをはめられることがある。鼻の酸素チューブなどを嫌がって無意識に抜いてしまうのを防ぐためである

▼特別養護老人施設の芦花(ろか)ホーム(東京都世田谷区)の常勤医師、石飛(いしとび)幸三さんを訪ねた。終末期の高齢者への過剰な延命医療措置を批判し、自然な生命力に任せる「平穏死」を提唱する

▼親の死が迫る場合、家族は一日でも長く生きてと願うが、胃ろうなどの延命医療は、身体への負担が大きい。苦しい。「それは本当に親のためなのか」「最期は穏やかに逝かせてやる方がいい」

▼助かる者への救命措置や苦しむ人の痛みを軽減する緩和ケアはもちろん必要だが、逝きたいのに逝けないのが延命医療ならば、こんなにむなしいことはない。チューブをつかめぬミトンの悲しさ

▼世田谷文学館に寄る。詩人の茨木のり子さんを振り返る展覧会。<逝くときのあまりにひどい肉体の刑罰 それはないでしょう なんのための罠(わな)><心配しないで 死をしそんじた者は今までに一人もいない>。噛(か)みしめる。

昨日のカープ

カープVメール

18日東京ドーム、カープ10―3巨人、勝ち投手バリントン5勝4敗、本塁打菊池5号、エルドレッド14号・15号、木村1号 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆  

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2014年05月18日

今日のコラム

☆ 5月18日(日)国際親善デー
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います☆


5月18日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

国際化時代と日本人

 日本という国は、資源なき工業国として、今後とも世界の諸国との密接なつながりの中で生きていかなければならない。だから、いたずらに警戒されたり嫌われたりするようでは非常にマイナスである。そうならないためには、日本人お互いが、これまでの行き方を大いに反省し、また誤解があれば誤解をといてもらえるように、日本と日本人の考え方を正しく伝えていくことが必要である。そのためにもまず大事なことは、お互いにこの国日本と日本人自身というものの特性なり背景を、みずからしっかり把握することではないだろうか。そしてその上に立って、国際化時代に処する道を、ともども真剣に考え合うことだと思う。


【コラム】筆洗

2014年5月17日東京新聞TOKYOWeb

▼通り掛かった小学校の窓から校歌が聞こえてきた。一年生の教室だ。入学式から一カ月余。あの時には歌えなかった校歌がもうこんなに上手に歌えるようになった。誇らしい顔が見える思いがした

▼こんな校歌もある。♪いきいき生きる いきいき生きる ひとりで立って まっすぐ生きる 困ったときは 目をあげて 星を目あてに まっすぐ生きる…。井上ひさしさんが作詞した岩手県釜石市の釜石小学校の歌だ。よくある校歌と違い、校名もその土地の描写もなく、十年余前に作られた時は戸惑いもあったという

▼だが東日本大震災で学校に避難した数百人の人たちは校歌を歌い励ましあったそうだ。♪困ったときは
 手を出して ともだちの手を しっかりつかむ 手と手をつないで しっかり生きる…

▼大震災を経てあらためて痛感したのは、学校の大切さだ。いざとなれば避難所となる学舎は、地域の要石。校歌は地域の人たちを結ぶ力も持ちうる

▼詩人の谷川俊太郎さんも数多くの校歌を書いてきた。例えば福島県いわき市の郷(さと)ヶ丘小学校の校歌。原発事故直後、外遊びもままならなくなって、ふさぎがちだった子どもたちを、元気づけてくれた歌だ

▼♪かんがえるのって おもしろい どこかとおくへ いくみたい しらないけしきが みえてきて そらのあおさが ふかくなる…。初夏の青空のような歌である。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 05:42Comments(0)

2014年05月17日

今日のコラム

☆ 5月17日(土)世界電気通信記念日

お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月17日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

悩んでも悩まない

 われわれ人間は、たえずといっていいほど悩みにつきまとわれる。しかし私は、悩みがあるということは、人間にとって大事なことではないかと考えている。なぜかというと、常に何か気にかかることがあれば、それがあるために大きなあやまちがなくなる。心がいつも注意深く活動しているからである。

 だから、悩みを持つことは、むしろプラスにつながる場合が多い。したがって悩みに負けてしまわず、自分なりの新しい見方、解釈を見出して、その悩みを乗り越えていくことが大切である。悩んでも悩まない、そういうように感じることができれば、人生は決して心配することはない。


【コラム】筆洗

2014年5月16日東京新聞TOKYOWeb

▼今そこに、大量破壊兵器や弾道ミサイルの脅威が差し迫っている。そう言って始めたイラク戦争の大義がまやかしだったと分かった時から、英国ではこの戦争の検証が始まった

▼強い権限を持つ調査委員会が機密文書を調べ、公聴会も重ねてブレア元首相らにも証言を求めた。検証の一つの焦点となったのが、英政府の「法の番人」たる法務長官を務めたゴールドスミス卿の言動だった

▼彼は当初、イラクへの武力行使は、国際法上「違法」だと明言していた。だが二〇〇三年二月に訪米したことで考えを変える。ブッシュ政権の法律担当者らに「合法」だと説得されたのだ

▼英外相らからも再考を促されていた長官は、ついに英国の参戦に青信号を出した。法の番人が政治家や米国の言いなりとなって法解釈を歪(ゆが)めたことで、〇三年三月二十日、英国は泥沼の戦争に突入した

▼日本政府の法の番人・内閣法制局長官は集団的自衛権の行使は憲法が許さないと言ってきた。その番人を自分の意を汲(く)む人物にかえた安倍首相はきのう、これまた自分の意を汲んだ有識者らの提言を受け、集団的自衛権行使に向け舵(かじ)を切った

▼日本も米国の求めでイラクに航空自衛隊などを派遣した。後に裁判所は空自の活動は違憲だったと断じたが、政府はあの戦争の検証すらまともにしていない。過去に学ばず、どんな未来に向かうというのだろう。


昨日のカープ

カープVメール

16日東京ドーム、カープ7―2巨人、勝ち投手大瀬良5勝1敗、本塁打エルドレッド13号、菊池4号、小窪2号 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:00Comments(0)

2014年05月16日

今日のコラム

☆ 5月16日(金)旅の日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月16日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

人間観を持つ

 人間の幸せを高めていくためには、まず人間が人間を知ることが大切だと思う。言いかえれば、人間とはどういうものであり、どういう歩み方をすべきであるかという正しい人間観を持つということである。そうした人間に対する正しい認識を欠いたならば、いかに努力を重ねても、それは往々にしてみのり少ないものになってしまい、ときにはかえって人間自身を苦しめることにもなりかねない。

 そういう意味において、指導者がまず正しい人間観、社会観といったものを生み出し、それに基づく指導理念を打ち立てていくならば、それはきわめて力強いものになってくると思うのである。


【コラム】筆洗

2014年5月15日東京新聞TOKYOWeb

▼初物を縁起物として好んだ、江戸の人は特に初鰹(がつお)にこだわった。買ったのは男である。家計も顧みず、現在の価値でいえば数十万円のカツオをポンと買ったという。古い川柳の<女房と半いさかいで初鰹>。おかみさんが腹を立てたのも分かる

▼「初物七十五日」。初物を口にすれば、二カ月半長生きできる。七十五日は字引によると「それほど長くない期間」とある。「人の噂(うわさ)も七十五日」は人はいずれ忘れてしまうから気にするなという慰めとして使われる

▼艶っぽい都々逸にこんなのがある。<広い世間を 意地ゆえせまく 七十五日を すだれ越し>。何があったか知らないが、周囲が反対する恋路を歩む二人は七十五日間、人目を忍ぼうというわけか

▼七十五日という言い方は江戸初期以降のものでそれ以前は「人の上は百日」。他人のことなんて百日で忘れる。時代が下って、二十五日も縮んだか

▼現代の感覚では七十五日もかからない。どんなに世間を騒がせようともあっという間に消える。三月に消息を絶ったマレーシア航空機。依然として行方は分からないが、話題にならない。「偽作曲家」はもはや飲み屋の冗談にもならない

▼技術進歩。「きょう」の情報の洪水が「きのう」の情報を容赦なく押し流す時代。ほとぼりが冷めるのは早くなる。為政者には実に好都合で何をやろうが、世間はすぐに忘れてくれる。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 05:41Comments(0)

2014年05月15日

今日のコラム

☆ 5月15日(木)ヨーグルトの日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月15日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

業界の信用を高める

 どんな商売もそうでしょうが、自分の店が発展、繁栄していくには、そのお店の属している業界全体が常に健全で、世間の人びとから信用されていることが非常に大事だと思います。

 もしそうではなく、業界の中に不健全な店が多ければ、「あの業界はだめだ、信用できない」ということになって、その業界に属する個々の店も、同じような評価を世間から受け、商売は成り立っていきにくくなるでしょう。

 ですから、お互い商売を進めていく上で、自分の店の繁栄をはかることはもとより大事ですが、それと同時に、他の店ともうまく協調して、業界全体の共通の信用を高めることを配慮することが、きわめて大事だと思うのです。


【コラム】筆洗

2014年5月14日東京新聞TOKYOWeb

▼夏目漱石の<時鳥厠(ほととぎすかわや)半ばに出かねたり>。なぜ厠を出たかったか。昔の人はトイレでホトトギスの声を聞くことを縁起が悪いと考えていたという▼聞きなし。鳥の声の節回しを似た言葉に、置き換えることで、ウグイスなら「法華経」。ホトトギスは「テッペンカケタカ」「トッテカケタカ」。昔の人にはそう聞こえた

▼ホトトギスの聞きなしには物語がある。ホトトギスはモズに何かを貸したが、返済しない。それで貸した物を木に「掛けたか」と催促しているという(『日本語オノマトペ辞典』)。借金取りのようで、厠でのホトトギスが嫌われる理由もこれと関係があるのか

▼妙な聞きなしもある。フクロウは、「ボロキテホーコー」と鳴く。ボロ着て奉公とは口が悪いが、もちろん悪気はない。ホトトギスもモズを追い込むつもりはない。いずれも人間がそう鳴いていると思い込んだにすぎない

▼米家庭用品大手がドイツで、ある洗剤の販売を中止した。容器に表記した「88」の数字が問題になった。アルファベットの八番目はH。「88」はHHだから、「ハイル・ヒトラー」になる

▼ネオナチの隠語として、使われているという。会社側は知らなかったが、ナチに敏感なドイツ人には「ヒトラー万歳」と聞こえるのである。歴史や文化によって特定の数字が人を傷つけ不安にさせる。「聞きなしだよ」では決してまない。


【社説】東京新聞TOKYOWeb

美味しんぼ批判 行き過ぎはどちらだ

2014年5月14日


 被災者の切実な声が届くのか。それとも風評被害を増すのだろうか。漫画「美味しんぼ」が物議を醸している。何事にせよ、問題提起は必要だ。だがその表現には、もちろん思いやりも欠かせない。

 「美味しんぼ」は一九八三年から週刊漫画誌上で連載されており、昨今のグルメブームの発信源とされている。東日本大震災後は、被災地を取り巻く食の問題などにほぼ的を絞って、問題提起を続けてきた。

 前号で、主人公の新聞記者が東京電力福島第一原発を取材直後に鼻血を流す場面が論議を呼んだ。

 そして今週号では、福島第一原発のある双葉町の井戸川克隆前町長や関係する学者らが実名で登場し「大阪が受け入れたがれきの焼却場周辺でも眼(め)や呼吸器系の症状がある」「福島にはもう住むべきではない」などと訴えて、騒ぎはさらに広がった。

 福島県の佐藤雄平知事は「風評被害を助長するような印象で極めて残念」と強く批判した。

 漫画作品だけに、創作部分も多いだろう。表現の隅々にまで、被災者の心と体に寄り添うような細心の注意が必要なのは、言をまたない。その意味で、配慮に欠けた部分もある。

 しかし、時間をかけた取材に基づく関係者の疑問や批判、主張まで「通説とは異なるから」と否定して、封じてしまっていいのだろうか。

 東電が1号機の格納容器から大量の放射能を含んだ蒸気を大気中に放出するベント作業をした後も、住民にそれを知らせなかった。「そうとは知らず、われわれはその放射線を浴び続けてたんです」と、前町長は作中で訴える。

 SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射能の拡散情報が、住民に伝えられなかったのも事実である。

 またそれよりずっと以前から、原発は絶対安全だと信じ込まされてきたというさらに強い疑念がある。それらが払拭(ふっしょく)できない限り、被災者の心の底の不安はぬぐえまい。素朴な疑問や不安にも、国として東電として、丁寧に答える姿勢が欠かせない。情報隠しの疑念こそ、風評の温床なのである。

 問題提起はそれとして、考える材料の提供である。登場人物が事故と被害をどう見ていくのか。作品を通じ、作者は社会に訴えようと試みる。行き過ぎはないか。もちろん、過剰な反応も。

美味しんぼは好きで読んでいます。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

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2014年05月14日

今日のコラム

☆ 5月14日(水)種痘記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います☆

5月14日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

母の愛

 私は今でも、大阪へ奉公に出る息子の私を駅まで送ってきてくれた母の姿を、はっきりと心に浮かべることができる。涙で語ってくれた注意の言葉、汽車が出るまでしっかり握って離さなかった手のあたたかみ……。そのときの母の思いは、大阪へ行ってからの私の幸せ、私の健康を、言葉では言いあらわせないくらい心に念じていてくれたんだ、としみじみ感じる。

 このように、あふれるようなというか、ひたすらな母の愛というものは、今も私の心に脈々と生き続けているのであって、これまで仕事を進めてこられたのも、私の将来というものを心から祈ってくれた母の切なる願いの賜ものであろうと思っている。



【コラム】筆洗

2014年5月13日東京新聞TOKYOWeb

▼大半の男性は小学校のクラス対抗リレー徒競走の苦い記憶を引きずっているのではないか。そうでない人は幸運である

▼告白すれば、六年間で代表に選ばれたことが一度もない。足が速くない自覚はあったが、子どもの時は選ばれなかったという事実を受け入れるのが下手で、衝撃を受ける

▼サッカーのW杯ブラジル大会の日本代表が発表された。小学校のリレーと日本代表を一緒にするなと叱られそうだが、選ばれなかった選手たちの無念さを想像してしまう

▼人の一生は「選ばれる」「選ばれない」の連続なのか。受験、就職。結婚。人事。行く手には、数え切れぬ「篩(ふるい)」が待っている。どう頑張っても選ばれぬこともある。納得できない結果もある

▼「悔しさをバネに」とはなかなか思えないが、絶望することはない。この世の終わりではない。命を失うこともない。別の「篩」に挑むだけである。作家の山口瞳さんが書いている。人生は残酷だが、「正直にマジメにやっていれば何か良いことがあると信じている」。次の文句に納得する。「第一、そうするよりほかに手立てがないじゃないか」

▼別の新聞社の男。小学校の六年間ずっとリレーの選手だった。五年の時「トップでバトンをもらったが、自分のせいで最下位になった」。クラスの女子の冷たい視線が忘れられないそうだ。選ばれた方もやっぱり大変なのである。


昨日のカープ

カープVメール

13日米子市民球場、カープ2―1阪神、勝ち投手フィリップス1勝、本塁打梵3号 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

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2014年05月13日

今日のコラム

☆ 5月13日(火)カクテルの日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月13日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

プロの自覚

 私は以前、寄席で短剣投げを見たことがある。それは、女の人を壁の前に立たせ、そのからだスレスレのところに次から次へと、二十本あまりの短剣を投げるのである。そのときに私は“これがプロだな”と感じた。わずかでも手もとが狂えば、人の命にかかわるのである。それを毎日毎日やり続けて一つの失敗もないというのは、実に大変なことである。しかし、それをやり遂げるのがプロである。

 考えてみれば、サラリーマンの仕事でも一緒である。こういう厳しい境地に立って、はじめて一人前として給料がもらえるということであろう。今日のサラリーマンに要求されるのは、アマチュアではない“プロ”の仕事である。


【コラム】筆洗

2014年5月12日東京新聞TOKYOWeb

▼その数、千三百三種類。『ドラえもん』が単行本四十五冊の中で、おなかの「四次元ポケット」から、出した秘密道具ののべ総数という。用途が同じで名前が違う道具も含まれるというが、相当な数である

▼『ドラえもん』の全米でのアニメーション放映が決まった。ディズニー系列の放送局。ネズミ嫌いのドラえもんがミッキーマウスの会社と手を組むというのが面白い。政府のクールジャパン戦略はともかくとして米国でも、子どもの心をつかむことを期待する

▼米国向けに一部の設定などを見直すという。なるほど畳の部屋や押し入れは米国では通じないか。米国版だろうと忘れてはならぬのは『ドラえもん』があくまでのび太の成長の物語であることか

▼「コンピューターペンシル」。試験に使えば正解を書いてくれるが、のび太は悩んだ末、使わなかった。ドラえもんに休日を過ごしてほしかった、のび太は大ピンチにもドラえもんを呼び出さなかった

▼人として正しくありたい。成長したい。それが『ドラえもん』のテーマである。しずかの父親がのび太について語る場面があった。「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それが一番人間にとって大事なことなんだからね」

▼便利な機械で相手を倒せ。勝利、成功、効率化。それが「米国好み」とまではいわぬが、そんな話なら遠慮したい。


【社説】東京新聞TOKYOWeb

歳費減額終わる 「身を切る」は空約束か

2014年5月12日


 「身を切る改革」は空約束だったのか。二割減額されていた国会議員の歳費を五月から元の額に戻すという。消費税増税をはじめ国民の負担が増えている最中だ。特権意識に毒されてはいまいか。

 国会議員の給与に当たる歳費は通常、月額百二十九万四千円。賞与に当たる年二回の期末手当を加えると年間約二千百六万円に上るが、四月までは20%、年間約四百二十万円が減額されていた。

 二〇一一年三月に起きた東日本大震災の復興財源に充てるためにまず約13%が削減され、一二年の衆院選直前には、議員定数削減が実現するまでの間、「身を切る姿勢を示す」として約7%の削減が上乗せされたためだ。

 ただし四月末で期限が切れた。日本維新の会、みんなの党、結いの党は削減幅を30%にする法案を衆院に共同提出、公明党も7%の減額は続けるよう主張したが、新たな立法措置に至らなかった。

 そもそも国会議員の歳費は、主要国の中では高水準とされる。

 歳費以外にも議員には、非課税で領収書の添付義務のない「文書通信交通滞在費」が年間千二百万円支給され、公設秘書三人の給与は国費で賄われる。議員の所属会派には一人当たり七百八十万円の立法事務費、各政党には合計三百二十億円(共産党は請求せず)の政党交付金も支給される。

 財政状況が厳しい折だ。国から得るお金は減らす方向に、と考えるのが筋ではないのか。時間切れを待ち、手取りを増やそうというのは、いかにも狡猾(こうかつ)だ。

 歳費の減額継続に難色を示す自民党は「議員が生活に困窮するのはいかがか」(石破茂幹事長)と説明する。真に受ける国民が、どれほどいるのだろうか。

 四月の消費税増税だけでなく、年金保険料も引き上げられた。復興財源捻出のため、所得税の2・1%上乗せは昨年一月から二十五年間、個人住民税の一律千円上乗せも今年六月から十年間続く。

 国民の負担は増すばかりなのにその痛みを共有しようとせず、国民の代表といえるのか。そもそも7%削減は議員定数を削減するまでの「代替措置」でもある。議員定数の安易な削減には反対だが、約束を守れない国会議員など国権の最高機関の名に値しない。

 歳費の減額を続けるのは当然として、政党交付金などの削減にも努めるべきではないか。国民が「政治とカネ」に向ける視線は依然厳しい。すべての国会議員がいま一度、襟を正さねばならない。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 07:26Comments(0)