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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年01月21日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月21日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

当たってくだける

 ある時会社で社員が集まってさかんに議論している。どうしたのかと尋ねると、「この製品を新しく発売するのですが、これが売れるかどうか検討しているのです」と言う。

 そこで私は「それはさぐるより仕方がないのではないか。売れるか売れないかを、ある程度議論することは必要だが、ある程度以上は議論してみてもはじまらない。あとは“当たってくだけろ”だ。それは買ってくれる人に尋ねるより仕方ないのではないか」と言ったのである。

 ある程度考えた後は、勇気を持ってやる。そういうことが商売だけでなく政治にも、その他あらゆる日常生活の分野においても、ときに必要だと思うのである。


【コラム】筆洗

2014年1月20日 東京新聞TOKYOWeb

▼捕らぬたぬきの皮算用」と似たような言い回しは世界各地にあるようで、西洋では「卵がかえる前に、ニワトリを数えるな」と言う。まだ手に入れぬものをついあてにしてしまうのは、人間の業。皮算用を戒めるこんなことわざも、西洋にはあるらしい。「清潔な水を手に入れぬうちに、汚い水を捨てるな」

▼東京電力の新しい経営再建計画は、皮算用のいい見本だろう。新潟県にある柏崎刈羽原発をこの夏に再稼働させ始めて、年一千億円以上のもうけを出すという

▼だが、再稼働にあたってその了解が必要な新潟県知事は「福島の事故の検証と総括が終わっていない。再稼働の議論をするべき時期ではない」と言っている。国の原子力規制委員会も、原発の敷地内にある断層についてきちんと調べるように求めている

▼規制委のメンバーからは、こんな声すら出ていたはずだ。「(福島原発の)汚染水問題などで東電の話を聞いていると、放射性物質を扱うノウハウが十分にあるとは思えない。(再稼働申請を)出してきたことに、驚きを感じる」

▼そうであるのに、政府は東電の再建計画を是とした。それではまるで、「規制委や地元が何と言おうと、動かすものは動かす」と言っているようなものではないだろうか

▼くだんのことわざを、東電のために書き換えよう。「汚い水を捨てているうちは、新しい水に手を出すな」


☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 06:02Comments(0)

2014年01月20日

今日のコラム



☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月20日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
苦情から縁がむすばれる

 需要家の方からいただくおほめの手紙はもちろんありがたいけれども、苦情の手紙をいただくのもありがたいことだと思います。かりに苦情を言わない方はそのまま「あそこの製品はもう買わない」ということで終わってしまうかもしれません。しかし不満を言ってくださる方は、そのときは「もう買わない」というつもりでも、こちらがその不満を丁重に扱って、不満の原因をつかむとともに、誠心誠意対処すれば、その誠意が通じ、かえって縁がむすばれる場合が多いと思います。

 ですから、苦情を受けたときは「縁がむすばれる好機」と考え、一つの機会として生かしていくことが大事だと思うのです。

【コラム】筆洗

2014年1月19日東京新聞TOKYOWeb

▼「入学試験」「受験生」の季語は春だが、イメージは冬の方がぴたっとくる。<真四角な消しゴムをのせ受験票>森田公司 試験会場の静かな緊張が伝わってくる。大学入試センター試験が十八日、始まった

▼志願者は五十六万余人。受験は本人だけでなく、家族や周囲を嫌でも巻き込んでしまう。試験の出来に気をもむ人はその何倍、何十倍ということになる。受験生は今は勉強で頭がいっぱいだろうが、家族の励まし、用意してくれた夜食のこともやはり忘れないでほしい

▼そうはいっても試験である。誰も助けてくれぬ。入試に人生上の意味があるとすれば「結局自分でやるしかない」という現実を学ぶ最初の機会ということか。受験はまだ公平な方で、慰めにもならぬが、大人になれば努力だけでは勝てない競争もある

▼ひとつ笑って緊張をほぐしてもらおう。作家の遠藤周作さんは数学が苦手だった。ある試験で「三角形の二辺の和は他の一辺より大である。三角形の内角の和は百八十度である。これを証明せよ」という問題が出た

▼頭をひねっていると、ひらめいた。その答えが「まったく、そうである、そのとおり」。そう書いた。もちろん先生に怒られた

▼受験シーズンは三月まで続く。だから春の季語になるのだろうが、試験日を人生の大切なレッスンを終えた日と考えても春の方がふさわしいのかもしれない。

☆ 今日は大寒です。今日も寒いですが皆様にとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 06:09Comments(0)

2014年01月19日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月19日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

人情の機微を知る

 人間の心というものは、なかなか理屈では割り切れない。理論的にはこうしたらいい、と考えられても、人心はむしろその反対に動くということもあろう。一面まことに厄介といえば厄介だが、しかし、やはりある種の方向というか、法則的なものがあるとも考えられる。そうしたものを、ある程度体得できるということが、人情の機微を知るということになるのだと思う。

 では、人情の機微を知るにはどうしたらいいか。それはやはり、いろいろな体験を通じて、多くの人びととふれあうことである。そうした体験に立ちつつ、常に素直な目で人間というものを見、その心の動きを知るということが大切だと思う。


【コラム】筆洗

2014年1月18日東京新聞TOKYOWeb


▼大自然の前で近代文明とはなんともろく頼りないものなのか」。一九九五年一月十七日の阪神大震災についてその人は書いている。物質的な繁栄を疑っていた。十六日、九十一歳で亡くなった小野田寛郎さんである

▼敗戦から三十年近い七四年までフィリピン・ルバング島のジャングルで「戦争」を続けた。日本の敗戦を信じなかった。「米軍のカイライ政権が続いている」「日本は新しい政府を満州に樹立した」と思っていたという

▼「どんな生き恥をさらしても生き延びよ。生きて任務を遂行せよ」。陸軍中野学校の教えも元少尉の長期間潜伏につながったのだろう

▼五十一歳で帰還した時、作家の阿川弘之さんはその旧陸軍式の敬礼を見て「大勢の人が不思議な感動を覚えたはずだ。それは、日本人がとつくの昔に忘れてしまつたものを見せられたからだ」と書いた

▼逆に小野田さんの方は経済大国となった戦後日本に「精神的断絶」を覚えた。「何でもカネ、カネの戦後日本人」。苦労の末、帰ってきたのは「なじめない祖国」。悲劇である

▼二枚の写真を十七日付夕刊で見た。一枚はジャングルを出た当時のもの。怖い目で敬礼している。もう一枚は最近のものか笑っている。なんでもカネの世の中は続く。それでも、柔和になった小野田さんの表情が戦後日本の良い部分を少しでも見た結果であることを祈りたい。

【社説】東京新聞TOKYOWeb

ノロウイルス 油断せず流行に備えを

2014年1月18日


 ノロウイルスが原因とみられる感染性胃腸炎の感染が広がっている。インフルエンザも流行期に入った。感染症対策は、予防と拡大の防止が重要だ。正しい知識を身に付け警戒を続けたい。

 浜松市の市立小学校多数で、ノロウイルスとみられる集団感染が発生している。千人を超える児童らが嘔吐(おうと)や下痢を訴え、学校閉鎖や学級閉鎖が相次いでいる。

 ノロやロタウイルスなどによる感染性胃腸炎は冬に流行する。今シーズンは十一月以降増加しており、過去五年間の同じ時期より多い。学校のほか高齢者がいる介護施設でも例年感染が報告される。

 子どもや高齢者は重症化することがあるが、治療は対症療法しかなく予防に注意を払いたい。

 ウイルスは感染力が強い。ウイルスに汚染された食品を加熱不足のまま食べたりすると感染することがある。消化器に感染するため患者の便や吐いた物にもウイルスは含まれる。処理する際に手などに付着しないよう注意が必要だ。マスクと手袋を着用したい。アルコール消毒は効果がなく、塩素系の漂白剤を使う必要がある。

 浜松市保健所と市教委は、感染経路や感染の実態を早く把握するとともに、学校や保護者にもこうした対応策を広く情報提供し感染拡大を抑え込むべきだ。

 インフルエンザは昨年末に流行期に入った。国立感染症研究所によると、今月上旬の一週間に全国の医療機関を受診した患者の推計は約三十四万人になる。

 対策ではまずワクチン接種を心掛けてほしい。抗インフルエンザ薬は開発が進み四種類が使える。

 ただ、一部の薬に耐性を持つウイルスが見つかった。薬剤への耐性が疑われたら別の薬の使用を検討する必要がある。服用後も症状など注意深く見守りたい。

 海外では鳥インフルエンザの感染が発生している。現在は人から人へ感染するタイプではないようだが、警戒は欠かせない。

 昨年十一月、日中韓保健閣僚会合がソウルで開かれ新型インフルエンザなどの感染症対策で連携強化を決めた。三国関係は尖閣諸島問題などで冷え込んでいるが、この分野では協力に積極的だ。政府は海外の感染症に関する情報を集め迅速に正確に国民に公表するよう努めるべきだ。

 感染症対策は個人でできる具体的な対策が重要になる。うがいと手洗いはもちろん、正確な情報を集め対応したい。

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:31Comments(0)

2014年01月18日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月18日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

水道の水のように……

 加工された水道の水は価値がある。今日、価あるものを盗めばとがめられるのが常識だが、通行人が門口の水道の栓をひねって存分に飲んだとしても、とがめたという話はきかない。直接、生命を維持する貴重な価値ある水でさえ、その量があまりに豊富であるゆえに許されるということは、われわれに何を教えるか。

 それは、すなわち生産者の使命は貴重なる生活物資を、水道の水の如く無尽蔵たらしめることである。いかに貴重なるものでも、量を多くして無代に等しい価格をもって提供することにある。

 われわれの経営の真の使命はまさにここにあると思うのである。



松下幸之助「見方・考え方」クイズ(毎週金曜日更新)

◇◆古さと新しさ◆◇

 問題2 : この幸之助の言葉の〇〇に当てはまるのは?

「古い老舗に新しい〇〇」

 1 理念   2 看板   3 主人

解答&解説コラム


2 の「看板」が正解です。そして「店の構え」「宣伝」「品質」といったものも同様に新しさが必要だと幸之助は考えました。


では幸之助はなぜこう言ったのでしょうか。自らの事業再建もままならない戦後の混乱期に、PHP研究を開始した幸之助は、人間という存在を超えて、広大な宇宙に視野を拡げるようになりました。人間の幸せ、社会の平和、繁栄を考えるにはまず人間を知らないといけない。しかし人間を知るためには、人間を発生せしめ、包んでいる宇宙をよく知らなければならないと考えたのです。そうして宇宙に存在するすべてが常に変化、流転し、日に新たな姿を生みだしていること、人間も大昔から行きづまることなく進歩・発展し続けていることに気づきます。その姿に限りない繁栄の道をひらくヒントを得て、幸之助は日に新たな姿でなすべきことをなしていけば、商売も経営も必ず成功するものだと説くようになりました。

お得意先と世間からの厚い信用を得て古くから栄える老舗は、概して立派な家訓や店是店訓をもち、そこに息づく商道徳・商習慣を自らの経営に生かしているものです。そうした老舗の良き伝統の上に立って、過去の体験に縛られず、時代に即した日に新たな思考・行動をとり、進歩し続けることで、老舗は老舗であり続けることができると、幸之助は言いたかったのでしょう。



【コラム】筆洗

2014年1月17日東京新聞TOKYOWeb

▼今なら「家庭内暴力を容認している」と苦情が出るかもしれぬ。それほど向田邦子さん脚本のドラマ「寺内貫太郎一家」にはおやじがせがれを殴る場面がひんぱんに出てくる▼放送開始は一九七四(昭和四十九)年一月十六日。東京・谷中の石材店の三世代同居家族を描いた。小林亜星さんが演じた武骨で口下手な貫太郎は向田さんの父親がモデルだという

▼ホームドラマのコツとして向田さんは登場人物が集まる茶の間を「狭くて小汚い日本式の畳の部屋にする」と書いている。モダンな洋室では人物が泣いても笑っても絵空事になってしまうという。貫太郎一家の茶の間も汚い

▼「ホームドラマ」を書きにくい時代になっている。大家族という設定自体、三世代世帯が一割もない現在では成立しにくい

▼ドラマから四十年。日本人は清潔で広めのリビングルームを手に入れたかもしれぬが、引き換えに狭い茶の間にひしめく家族の「温かみ」を失いつつある。昔は良かったという気はない。それでも独居世帯が三割という今の日本の家族の光景は寒い。ウチは違うという人は恵まれている

▼「欠点はあるが、気のおけないだけいいや、といった家族。小汚い茶の間は気楽な人生の休息時として一番ふさわしい」。向田さんはそう言ったが、そこにいるのは年老いた母親一人というのは珍しくないのだ。これでは喜劇は書けない。

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:14Comments(0)

2014年01月17日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月17日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
決意を持ち続ける

 指導者にとって大事なことの一つは、志を持つということである。何らかの志、決意というものがあってはじめて、事は成るのである。だから志を立て決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て、決心すればそれでいいというものではない。むしろ大事なのは、そうした志なり決意を持ち続けることであろう。そのためには、やはり、たえずみずからを刺激し、思いを新たにするようにしなくてはならない。

 一度志を立て、決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志、決心をなかなか貫き通せない弱さをあわせて持つのも、これまた人間である。


【コラム】筆洗

2014年1月16日 東京新聞TOKYOWeb

▼ダイナマイトを発明して巨万の富を築いたアルフレド・ノーベルは晩年も、新兵器の開発にいそしんだ。彼は、その発明が悲劇を生もうとも科学者には責任はないと考えていたが、科学の進歩と平和に貢献した人たちに賞を贈るべしと遺言した

▼先月、九十四歳で死去したロシアのミハイル・カラシニコフ氏も語っていたという。「私はもうすぐ世を去るが、遺産は人類に貢献する未来の優秀な発明家のために使ってくれ」などと言えたらどんなに幸せだろう、と(『カラシニコフ自伝』)

▼その名を冠した自動小銃は高性能なのに安価で頑丈な銃として世界を席巻し、「人類史上、最も多くの人を殺した武器」とも呼ばれる。今日もシリアなどでは、その銃弾で散っていく命があるだろう

▼カラシニコフ氏は、自分の発明品が悲劇を生み続けることについて繰り返し言っていた。「責められるべきは、平和的に問題を解決できない政治家。私はぐっすり眠れる」

▼しかし安眠はできなかったようだ。ロシア紙によると、彼は昨年の四月、教会にざんげの手紙を書いていた。「私の魂の痛みは耐え難い。私の銃が人々の命を奪ったことは、それがたとえ敵の死であっても、私の罪なのか」

▼彼に銃の特許料は支払われず、賞を創設するような巨万の遺産もない。だが、その最期の告白は、平和のための遺言として記憶されるはずだ。

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 05:50Comments(0)

2014年01月16日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月16日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

武士道と信頼感

 昔、武士は庶民の上に置かれ、尊敬されていた。これは一つには、武士が武力を持っていたからとも考えられるが、それだけではない。やはり武士は道義に厚く、武士としての精神を忘れず、いわゆる武士道に徹することにより、庶民の信頼と尊敬をかち得ていたものと思う。

 これは会社の中でも言える。経営者には経営者道、従業員にはいわば従業員道ともいうべきものがあると思う。それぞれ当然やるべきことがある。これをお互いに責任を持って貫いてゆくというところに、信頼関係の基礎があり、その信頼関係を高めてゆく推進力があるのではないだろうか。まずお互いの立場で、それぞれの道に徹したい。


【コラム】筆洗

2014年1月15日東京新聞TOKYOWeb

▼福島県に、できたてほやほやの電力会社がある。会津電力。昨年八月に資本金三百万円で設立された会社だが、「国際社会の指針となる事業を構築し世界の平和と安定に寄与し続ける」というのが創業の理念というから、気宇壮大だ

▼その理想に向かう一歩が脱原発を前提としたエネルギーの自給だ。会津には豊富な水資源がある。水力発電所も多いが、そこで生まれた電気はほとんど首都圏に行く

▼小規模水力発電や太陽光発電から始め、ゆくゆくは東電が持つ発電用の水利権も取り戻す。そうすればエネルギーを自給するだけでなく、それを都会に売り、地域の自立も図れる。夢物語のように思えるが、国際社会に目をやれば、産油国が歩んだ道にも重なる

▼福島は原発が止まった今でも県内消費量の三倍以上を発電する「電力大国」だ。「ですが、原発事故が起きるまで電力のことなど国に任せっぱなし。ただ使うだけで関心もなかった」と会津電力の折笠哲也常務は言う

▼「無論、事故への国や東電の責任はある。でもそれを黙認してきた福島県民の責任もある。だからこそ、次世代のために私たち自身が電力供給のありようを選択しなくてはならないのです」

▼「エネルギー政策は地方選の争点ではない」と言う閣僚がいる。だが、福島の人々が自ら問い掛ける選択は、一大消費地・東京の人たちへの問いでもあるはずだ。

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 06:19Comments(0)

2014年01月15日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月15日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

青春とは心の若さ

 “青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり、青春は永遠にその人のものである” これは私があるヒントを得て座右の銘としてつくった言葉である。当然ながら、人はみな毎年歳をとってゆく。それはいわば自然の掟である。しかし私は、精神的には、何歳になろうとも青春時代と同じように日々新たな気持を持ち続けることができるはずだと思う。その精神面での若さを失いたくないというのが、かねてからの私の強い願いなのである。特に最近は、心は絶対に老いさせないということが、個人的にも、また周囲の環境からも要請されていることを強く感じている。

【コラム】筆洗

2014年1月14日東京新聞TOKYOWeb

▼傷の手当てに使うあの白い布は、なぜガーゼと呼ばれるか。かつて織物の産地だったパレスチナの港町ガザが語源となったとの説があるらしい。皮肉なことに、ガザは紛争の地、いくらガーゼがあっても足りない町になってしまった

▼本当に怖いのは、ガーゼでは覆えない傷だ。英国の政治家は「体の傷は侮辱よりも早く忘れられる」と言ったが、侮辱というものは時限爆弾のようなものだと、パレスチナで取材して実感した

▼そこには、家に踏み込んできたイスラエル兵に、父親らが殴られ蹴られ侮辱されるのを、目の前で見せつけられた子どもたちが大勢いた。現地で子どもの心の傷を癒やそうとしてきた心理学者は言っていた。「こういう経験を持つ子どもたちが大きくなったら、どうなるか。いつか憎悪と暴力が爆発するのです」

▼西欧には「憎悪の建物は、侮辱の石で造られる」という格言がある。まさにその象徴ともいえるのが、イスラエル政府がパレスチナの人々を封じ込めるように建てた長さ七百キロもの分離壁だ

▼その壁を造り始めたのが、八十五歳で逝去したシャロン元首相。彼は入植者の子として育ったが、父親は隣人といさかいばかり起こし、不信のあまり、自分の農地を柵で囲い込むような人だったという

▼こわもてでならした政治家もひょっとしたら、子ども時代の心の傷に苦しみ続けたのかもしれない。


☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆  

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2014年01月14日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月14日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

不景気またよし

 好景気は結構だが、不景気は感心しないという。たしかに、その時点時点で見るとそうであろう。

 けれども、そういう一コマ一コマであっても全体について見たら、不景気の過程もまた偉大なる生成発展の一つであるとも考えられる。

 不景気のときには苦しく困難ではあるが、不景気なるがゆえにはじめて得られるものがある。不景気になったために知らなかったことを知った、ある悟りを開いたということがある。それによって次の手が打てる。だから不景気のときには、伸びているところも少なくない。そういう見方をするならば、不景気もまた結構ということになると思うのである。

松下幸之助 「見方・考え方」クイズ(WEBコラム)

◇◆限りない向上心◆◇ (毎週金曜日更新)

問題1 : この幸之助の言葉の〇〇に当てはまるのは?


「最善の上にさらに〇〇というものがある」

  1 完全   2 理想   3 最善


解答&解説コラム

3 が正解です。幸之助ファンはすぐにわかる問題でしょう。

昭和50年代、幸之助が松下電器(現パナソニック)の相談役だったころのこと。会議に列席した社員に語りかけるなかでこう言ったのです。このとき、幸之助は自分宛に送られてきた販売店主からの手紙を社員に代読させています。あわせて手紙で指摘されている会社の問題点を、社員それぞれが、会社の代表として聞き、その是非を自ら考え、解釈してほしいと要望します。

そして、自身の見解を語りはじめました。当社はいまも最善を尽くしているつもりである。けれども最善の上にさらに最善がある、限りなく上には上があると考えるべきではないか。なにか訴えがあるたびに、素直に耳を傾け、考え直し、改めるべきは改めて、永遠に最善を目指していくことが必要なのではないか、と述べたのです。

ともに働き、ともに栄え、ともに社会の繁栄に尽くしていこう――そうした心根と限りない向上心が、幸之助にこの言葉を言わせたのでしょう。


【コラム】筆洗

2014年1月13日 東京新聞TOKYOWeb

▼さすが、超一流のスポーツ選手は、プレーだけでなく、言葉でもしびれさせてくれる。イタリアの名門チーム入りを果たしたサッカー日本代表、本田圭佑選手が先日、移籍会見で口にしたひと言には、舌を巻いた

▼移籍の理由を聞かれて、ひと言。「簡単なことだ。心の中のリトル本田に聞いた。おまえはどのクラブでプレーしたいのか、と。リトル本田が、ミランでプレーしたいと答えた」

▼「ぼくは大人になったら世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる」と小学校の卒業文集に書いた夢を、愚直なまでに大切にするその心。スーパーゴールのような鮮やかな答えを聞き、思い出したのが、谷川俊太郎さんの言葉だ。「大人」になるということは、どういうことなのか、大人と子どもの違いは何かと聞かれ、詩人は答えた

▼「自分のうちにひそんでいる子どもを怖(おそ)れずに自覚して、いつでもそこからエネルギーを汲(く)み取れるようになれば 大人になれるんじゃないかな」

▼どんな大人も百パーセント大人ではなく、必ず何パーセントかの子どもが含まれている。自分のなかの子どもをきちんと見つめ、大切につきあえる。それが大人だと、詩人は言う(『谷川俊太郎質問箱』東京糸井重里事務所)

▼きょうは、成人の日。百二十一万人が大人の仲間入りをするという。自分の中の子どもとじっくり話すには、いい日だ。

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように。☆  

Posted by kazu at 06:26Comments(0)

2014年01月13日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月13日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

枠にとらわれず

 私たちは仕事を進めていく際に、ともすれば自分で自分の枠を決めてしまってはいないか。

 たとえば、ラジオのデザインにしても、元来、デザインは固定したものでないのだから、三角でも円でもよいはずなのに、ほとんど箱型である。このことに限らず、不思議なことに人間は自ら枠をつくり、その中に入ってしまうという悪い傾向がある。これも自己を保身する一つの行き方かもしれないが、窮屈な枠の中で窮屈なものの考え方をしていては、心の働きも鈍くなり、自由自在なよい智恵が出てくるものではない。ものにはいろいろな見方がある。時と場合に応じて自在に変えねばならない。そこにこそ発展が生まれるのである。

【コラム】筆洗

2014年1月12日東京新聞TOKYOWeb

▼頭のいい子がいるもんだねえ」。テレビを見ていた母親が言った。天才少年が現れたという。言いたいのは「それに引き換えおまえは」「宿題しろ」である。年が近いとはいえ「天才」と比べられても子どもは困る▼将棋の谷川浩司九段(51)は同じ世代の平凡な人間にとっては、比べられてちょっと「迷惑」な存在でもあった。一九七六年、十四歳でプロ。中学生棋士は当時二人目だった

▼八三年、二十一歳の最年少で名人になった谷川さんは「天才と呼ばれると、それまでの努力がかわいそうだ」と嫌がるが、やはり天才と呼ぶしかない

▼その谷川さんがトップ棋士十人の順位戦A級から陥落した。イチローが成績不振で解雇されるようなものだろう。大山康晴永世名人に次ぐ三十二期の連続在籍の方をほめるべきだが、どうにも寂しい

▼引退はしないそうだが、集中力、記憶力、創造力、体力を総動員する棋士の年齢的なピークは四十歳前後という。しかも、来期挑むB級1組には「鬼の棲家(すみか)」の異名がある。かつてのタイトルホルダーがひしめくからで五十歳を超えた天才はどんな戦いを見せるか

▼将棋用語で「暴れる」とは困難の中でも攻め続けることをいう。暴れてほしい。もがいてほしい。「五十歳をすぎているのにえらいねえ。それに引き換え…」。そんな言葉を家人から聞きたい。今度は喜んで悔しがるだろう。

☆ 今日1月13日は成人の日です。新成人の皆様おめでとうございます。
  今日も寒いですが皆様にとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 06:19Comments(0)

2014年01月12日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

1月12日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

人生を設計する

 毎日、なにがなしに仕事をしている、ということでは困ると思います。何でもいい、何か一つの目的を持つ。そういうものを日々持ってそして同時に、一ヵ月先、あるいは一年なら一年の間には、こういうことをやってみるのだ、という一つの自己設計とでもいうものを持つことが大切だと思います。

 そして、それはうまくいく場合もありますし、うまくいかない場合もあります。しかし、これはもう仕方がありません。仕方がないけれども、そういうものを持っているということ、次つぎに生んでいくということ、それが、私は生きがいというものにつながっていくと言ってもいいと思うのです。

【コラム】筆洗

2014年1月11日東京新聞TOKYOWeb

▼幕末、明治期の歌舞伎役者、七代目の市川団蔵は芸に厳しい人で門弟が演技指導を求めると「自分で考えろ」としか言わない。それでやってみると「面白くない」と言う

▼では、どうすればと教えを請うても、やはり「自分で考えろ」。見かねた人が指導を頼むと「教えたところで、オレのやる通りにできるわけではない」。門弟は泣きたいだろう

▼演劇研究者の河竹登志夫さんは「決して教えず、自分で悟らせて体得させるというのは、日本芸道の大きな特徴」と書いたが、芸に限ったことではない。程度に差はあれ、伝統工芸から最新の工業技術まで日本には技術は教えられるものではなく、自分で努力し、「盗むもの」「体得するもの」という考え方がどこかに残っている

▼三菱マテリアル四日市工場の爆発事故。石油コンビナートの事故は年々増加している。背景には大量退職した団塊世代からのノウハウ継承がうまくいっていない可能性もあるという

▼勘や「感触」、コツなど目に見えにくいものを教えるのは難しい。それでも効果的に技術を伝承していく方法を考えなければ「宝」は朽ちる。命にも関わる

▼盗ませるのではなく、こちらから、徹底的に教え込む。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」。芸道とは違うが、山本五十六元帥の方が今の若い人には向いているだろう。

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 05:47Comments(0)