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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2013年11月20日

今日のコラム

☆お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます☆

11月20日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

覚容の心で包含

 世の中にはいい人ばかりはいない。相当いい人もいるが相当悪い人もいるわけです。ですから、きれいな人、心の清らかな人、そういう人ばかりを世の中に望んでも実際にはなかなかその通りにはなりません。十人いたらその中に必ず美ならざる者も正ならざる者も入ってくる。そういう状態で活動を進めているのが、この広い世の中の姿ではないでしょうか。そこに寛容ということが必要になってきます。

 力弱き者、力強き者があるならば、両者が互いに包含し合って、そこに総合した共同の力を生み出してゆく。そういうところにわれわれ人間のいき方があるのではないかと私は思うのです。


筆洗

2013年11月19日(東京新聞TOKYOWeb)


▼英語のサスペンスの元来の意味は宙につるされた状態のことをいう。高くつるされた不安と恐怖。落ちたらどうなってしまうのか

▼イブ・モンタン主演の映画「恐怖の報酬」(フランス・一九五三年)はサスペンス映画の傑作の一つに数えられる。大金で雇われた男たちは数百キロ先の油田まで大量のニトログリセリンをトラックで運ばなければならない。もしニトロに少しでも衝撃を加えれば爆発する。狭い山道、落石。死と隣り合わせの恐怖と緊張が続く

▼それ以上に最悪の「サスペンス」を、日本人は見させられている。次から次へと登場人物を苦しめるアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督も思いつかない設定だ。しかも現実である。東京電力は福島第一原発4号機の使用済みプール内の核燃料を取り出す作業を始めた

▼クレーンの二重ワイヤで核燃料を一本ずつ、慎重につり上げて輸送容器に移し替える。プール内には細かいがれきも残っているという

▼核燃料が何かに引っ掛かって落下しないか。もし、損傷したらどうなるのか。考えたくもない。「つるされた状態」のサスペンスを祈りながら見守るしかない

▼「これは運搬に対する報酬ではない。恐怖への報酬なのだ」-。映画にこんなせりふがあった。ニトロを運ぶ男たちは恐怖の報酬を支払われる側だが、日本国民は恐怖を感じるだけでもちろん報酬はない。

☆今日も皆さまにとって良い一日でありますように☆
  

Posted by kazu at 06:01Comments(0)

2013年11月19日

今日のコラム

☆お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます;

11月19日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

くり返し訴える

 経営者が、その思うところの考え、意志を社員に十分伝え、浸透させようとするにはどうすればいいだろうか。

 それは、何よりもまずくり返し話すことである。大切なこと、相手に覚えてもらいたいことは、何度も何度もくり返して言う。くり返し訴える。二度でも三度でも、五へんでも十ぺんでも営う。そうすれば、いやでも頭に入る。覚えることになる。

 またそれとあわせて、文字をつづって文章にしておく、ということも大切だと思う。文章にしておけば、それを読みなさい、と言えば事が足りる。読んでもらえば、くり返し訴えるのと同じことになる。

筆洗

2013年11月18日(東京新聞TOKYOWeb)

▼<口ぶえ吹いて空き地へ行った。知らない子はもういない。みんな仲間だ。なかよしなんだ>。歌詞に覚えがある人は四十、五十歳代か。小学三、四年生向け道徳教育番組「みんななかよし」のテーマ曲だ

▼NHKの教育テレビで一九六二年から八七年まで放映された。道徳の時間にこれを見せられた。短いドラマの中で学校や家庭内で起こる問題が提示される

▼飼育係の子どもの不始末で小鳥が死んでしまった。三、四年生となれば、どう答えれば、先生が悪い顔をしないか知っている。飼育係も悪いが、私たちも、もっと助けてあげればよかった。そう言えば問題ない。子ども心にそう思っていた

▼文部科学省の有識者会議が小中学校の道徳の教科格上げを提唱している。検定教科書、記述式評価も加えたいという。やめておいた方がいいだろう

▼子どもを甘く見てはいけない。評価が付く教科になれば、子どもは先生の顔を見て大人の「正解」を答えるようになる。「正解」に疑問を持った子は空気が読めない人間として扱われるかもしれない。教室から本音や異論が消えることの方が怖い

▼<知らない子はもういない>。知らない子は追い出されて空き地からいなくなったと、不気味な思いこみをしていた同僚がいた。いろんな考えがあった方がいい。異なる考え、価値をどう守っていくか。それこそ道徳の問題だ。

☆今日も良い一日でありますように;  

Posted by kazu at 06:17Comments(0)

2013年11月18日

今日のコラム


11月18日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

民主主義と勝手主義

 民主主義というものは、自分がよければ人はどうでもいい、というような勝手なものでは決してないと思うのです。今日の日本の民主主義はわがまま勝手主義である。勝手主義を民主主義の如く解釈している人が随分あるのではないか、というような感じがします。

 民主主義というものは、自分の権利も主張することは認められるが、それと同時に他人の権利なり、福祉なりというものも認めてゆかなければならない。そういうことをしなかったならば、法律によってぴしっとやられるというような非常に戒律の厳しいものだと思います。それがあってはじめて民主主義というものが保ち得るのだと思うのです。


筆洗

2013年11月17日(東京新聞TOKYOWeb)

▼鉄腕アトムと鉄人28号はどっちが強いか-。子どもの時、そんな議論を戦わせた人もいるだろう。いずれも五十年前の一九六三(昭和三十八)年にテレビでアニメ放映が始まった

▼能力分析はともかく、米国防総省ならば、アトムではなく鉄人を間違いなく選択する。最大の違いは感情の有無だ。アトムは戦いに際して時にためらい思い悩む。鉄人は悩まない。正太郎少年の「リモコン」に命じられたまま、敵を攻撃する

▼パキスタンなどでの米国の無人機攻撃への批判が高まる。民間人が巻き込まれている。モニターの精度の低さなどによる誤爆。それ以上に人の命を奪うことへのためらいを感じにくいことに原因がある

▼操縦は現地から遠く離れた、米国の基地内で行われる。オペレーターはモニターを見てミサイルを発射する。相手のおびえた目を直接見ることも叫び声を聞くこともない。無人機は鉄人と変わらぬ

▼人殺し方法は相手との距離をいかに取るかで進化してきた。直接殴る。剣で切る。銃、爆弾。そして無人機、やがては殺人ロボットへ進む。人間の関与は減る。人の感情を失った戦いはより冷酷になる

▼「アトムは完全ではないぜ。悪い心を持たないからな」。悪党が、お茶の水博士に指摘したアトムの「欠陥」。あれは「欠陥」ではなく、知恵だった。<心やさし科学の子>を米軍が気に入るはずもない。
  

Posted by kazu at 07:06Comments(0)

2013年11月17日

今日のコラム


11月17日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

権威を認める

 一つの会社の経営でも、また個々の責任者が一つの部署を運営する場合でも、そこにみなが認めるような権威というものを求めて、それに基づいて事を成していくことが能率的、効果的な運営をしていく上できわめて大切だと思う。

 会社の創業の精神、経営理念なり使命感、あるいは経営者自身の人徳なり熱意、そういったものをみなが得心して権威として認めるようになれば、物事が能率的に治まっていく。今日では権力というものを否定する風潮が強く、さらにそれが進んでいい意味の権威までも認めないような傾向もみられるが、それはかえって非能率を生むものであるとも言えるのではないだろうか。


筆洗

2013年11月16日(東京新聞TOKYOWeb)

▼ケネディ大統領が凶弾に倒れた時、長女のキャロラインさんは五歳だった。世界を震撼(しんかん)させたダラスでの暗殺から、来週の二十二日でちょうど半世紀。五十五歳になったキャロラインさんが、新大使としてやって来た

▼ケネディ家にとり十一月は喜びの月であった。キャロラインさんの誕生日は二十七日で、弟ジョンさんは二十五日の生まれ。六歳と三歳のお祝いを心待ちにしていた二人に届いたのは、最悪の報だった

▼この悲劇ほど、真相が渇望されつつ、その思いが満たされない事件もないだろう。マフィアや軍産複合体の陰謀説、ソ連やキューバの影…。数々の臆測には、政治と外交の闇が投射されてきた

▼真相究明にあたった最高裁判事を長とする調査委員会のスタッフたちも、闇の中で苦闘した。今は老いた当時の調査員らの最後の告白や秘密文書などを基に闇に挑んだのが、シノン著『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言』(文芸春秋)だ

▼そこに浮かび上がるのは、秘密の陰で肥大化し硬直化した情報機関の姿だ。大統領に危機が迫りうるという情報すら隠し、責任逃れのためなら証拠隠滅もいとわない組織至上主義…

▼半世紀前の悲劇は、国家の権力に潜む魔物の恐ろしさを教えてくれる。そして国が秘そうとするファイルには、政治家や官僚にとって都合の悪い事実がどっさり含まれていると。
  

Posted by kazu at 05:56Comments(0)

2013年11月16日

今日のコラム

11月16日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

成功するまで続ける

 何事によらず、志を立てて事を始めたら、少少うまくいかないとか、失敗したというようなことで簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗でくじけたり諦めるというような心弱いことでは、ほんとうに物事を成し遂げていくことはできない。

 世の中は常に変化し、流動しているものである。一度は失敗し、志を得なくても、それにめげず、辛抱強く地道な努力を重ねていくうちに、周囲の情勢が有利に転換して、新たな道が開けてくるということもあろう。世に言う失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまうところに原因があるように思われる。最後の最後まで諦めてはいけないのである。


筆洗

2013年11月15日(東京新聞TOKYOWeb)

▼十五世紀に活版印刷を発明したとされるグーテンベルクは、悩んだという。この技術は、本当に人々に幸せをもたらすのか。悪書をはびこらせることになるのではないか

▼二十一世紀に生きる私たちも、新たな印刷技術を前に悩むべき時が来たようだ。オバマ米大統領が言うように、3D(三次元)プリンターは、「ものづくりを革命的に変える可能性を持つ」からだ

▼人でもモノでも姿形を読み取り、そのデータを基に樹脂や金属などを少しずつ積み重ね立体的に“印刷”する。パソコンとスキャナー、3Dプリンターを使えば、工場でしか作れなかったものが、家庭でもできる。ドラえもんがポケットから取り出す「夢の機械」のようだ

▼ただ、夢には悪夢もある。米国の若者らが3Dプリンターを使い、プラスチック製の拳銃を作るデータをネットで公開し物議をかもしたと思ったら、今度は米企業がこの技術で市販のものをコピーし、金属製の拳銃を作ることに成功したという。家庭でも拳銃を作りうる時代が来つつあるのだ

▼問題の3Dプリンター製プラスチック拳銃は、技術革命を象徴する品として英国のビクトリア&アルバート博物館に収められたそうだ。主任学芸員が、その理由をこう語っている

▼「当博物館の務めとは、人々が自ら問うことを助けることなのです…この世をどんな世界にしたいのか、と」
  

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2013年11月15日

今日のコラム


11月15日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

自分の働きの価値は

 皆さんは自分の働きの価値というものをどのように考えているでしょうか。かりに月給が十万円の人であれば、十万円の仕事をしたのでは会社には何も残らないことになります。

私は自分が十万円もらっていれば、少なくとも三十万円、できれば百万円ぐらいの仕事をしなくてはいけないと考えます。そうすれば会社に金が残ります。その金は会社だけでなく社会へ還元されるわけです。

会社から十万円もらって八万円の仕事をしていたなら、会社は二万円損ですから、そういう人ばかりだと、その会社は潰れてしまいます。会社に働く者としては、そういうことを絶えず頭に置いておく必要があると思います。


筆洗

2013年11月14日(東京新聞TOKYOWeb)

▼十一月も半ば近く、駅のプラットホームに立てば、風は冷たい。町並みを見下ろす。灰色の煙突が立っている。あの煙突もなくなる。東京・阿佐ケ谷駅近くの「観音湯」が店を畳む

▼「時代には勝てないものです」。おかみさんは言った。失礼ながらどこにでもある町の銭湯である。一九三三(昭和八)年創業だからちょうど八十年

▼戦争も見た。戦後復興、高度成長期やバブルも大震災も見た。長い年月、煙突や湯船は庶民の何を見聞きしてきたのか。そう考えると、ニュースにもならない、ごく普通の銭湯の廃業がさびしい

▼自宅に風呂は当たり前で、若い人には内風呂の意味もフルーツ牛乳の味も通じにくいのではないか。六八年、東京二十三区内に二千七百あった銭湯は現在、七百前後まで減った。客足は衰えているのに維持運営にはお金がかかる

▼江戸の湯屋の歴史は一五九一年に始まる。町内には銭湯、そば屋一軒ずつという決まりがあったという。競争を避けるためだが、いまや町内にそば屋、銭湯が一軒もない所が、ほとんどだ

▼子どもの時にかけ湯を省いて大人に叱られた記憶。水でぬるくして、熱い湯を好むおじいさんに怒られた人もいるだろう。湯を共有する。銭湯は他人との関わりや「公共」を学ぶ教室だったかもしれぬ。近くの銭湯は大切にした方がいい。今年の冬至、「観音湯」の柚子(ゆず)湯はない。
  

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2013年11月14日

今日のコラム


11月14日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

自分を戒めるために

 松下電器では、昭和八年に“遵奉すべき五大精神”を定め発表して以来、毎日の朝会で唱和している(十二年に二精神を加え七精神)。これはもちろん、社員としての心がまえを説いたものであるが、それと同時に私自身を鞭撻するためのものである。みんなで確認しあった使命であっても、何もなければついつい忘れていきがちになる。だから毎日の仕事のスタート時にかみしめる。言ってみれば自分への戒めである。

 人間は頼りないものである。いかに強い決意をしても、時間がたてばやがてそれが弱まってくる。だからそれを防ぐためには、常に自分自身に言い聞かせる。自分に対する説得、戒めを続けなければならない。
筆洗

2013年11月13日(東京新聞TOKYOWeb)

▼その人はいかなる人物か。とっかかりをつかみたい。どんな映画が好きかを尋ねるのは一つの手である。どんな価値を大切にしているかが、ぼんやりと見えてくることがある

▼正直に答えない場合もある。こんな経験がある。その政治家は「ディズニーのバンビ」と語った。この人は有能な政策通だったが、半面、どうも人情味に欠けるという定評もあった。「バンビ」で人間味や「かわいい自分」を演出する計算が見えた。そういう人なのだろう

▼米映画「ショーシャンクの空に」を挙げた政治家がいた。こっちは本心かもしれない。いい作品だが、評判を気にする政治家が犯罪者や脱獄を扱った映画を「自分の一本」に挙げることは大げさではなく勇気がいる

▼ショーシャンクは刑務所の名。主人公は無実の罪で服役している。看守や囚人の暴力、所長の不正、途方もない刑期-。そこには絶望しかない。それでも主人公は希望を捨てない。主人公の友人は忠告する。「希望は危険だ。希望は人を狂わせる」

▼筋は明かさないが、主人公のこんなせりふが最後に用意されている。「希望はいい。たぶん最も素晴らしい。最も素晴らしいものは死なないんだよ」

▼この映画を選んだから信用できるとはいえない。ただ希望の物語に胸がときめく人ではある。その政治家は十二日、原発ゼロを訴えた小泉純一郎元首相なのだが。


【社説】(東京新聞TOKYOWeb)

違法自転車逮捕 走る凶器とわきまえよ

2013年11月13日


 ブレーキのない自転車で公道走行を繰り返していたとして運転者が逮捕された。自転車は気軽で便利な乗り物だが、走行は危険と隣り合わせだ。安全意識が欠落していれば走る凶器となる。

 警視庁は、違反を繰り返し度重なる出頭要請にも従わなかった点を悪質と判断、運転者の男(31)を道路交通法違反容疑で逮捕した。

 男は昨年六月、東京都内の車道を後輪にブレーキのない競技用自転車で走行していたという。

 道交法は前後輪にブレーキの装着を義務付けている。男は「足でブレーキをかければ止まると思った。逮捕されるとは思わなかった」と話している。止まる装置がないのでは安全上、問題がある。自転車の危険性を考えていなかったのではないか。

 警察庁によると、昨年の自転車関連の事故件数は約十三万二千件で二〇〇五年から減少傾向ではある。だが、交通事故全体に占める割合は約二割あり増加傾向だ。

 自転車乗車中の事故で死傷者の64%になんらかの違反があった。

 危険運転は本人が事故でけがを負うだけではない。加害者になる可能性があることを知るべきだ。

 自転車運転者の事故責任を重くみて、検察が起訴するケースが目立つ。今年七月には、信号無視して衝突したバイクの男性を死亡させたとして自転車の少年が有罪判決を受けている。

 高額賠償を認める判決もでている。神戸市内の坂を自転車で下っていた小学五年の男子児童が、散歩中の女性に衝突、女性は寝たきりになった。神戸地裁は七月、児童の母親に計約九千五百万円を支払うよう命じた。高額な賠償を認める判決はほかにもある。

 自転車でも信号無視、夜間の無灯火、飲酒は違反になる。走行は原則車道の左側と決められている。歩道では歩行者が優先される。なぜなら自転車は「車両」であり、こうした運転は危険だからだ。

 安全意識は不可欠だが、小学校などで行われている安全教育は十分とはいえない。事故に遭わないためだけでなく、危険な運転をすれば加害者にもなるとの視点も要る。

 大人がルールを学ぶ機会はもっと少ない。道交法改正で悪質自転車の講習義務化は決まったが、広くルールを学ぶ場がほしい。

 歩道と車道から分離して安全に走行できる自転車レーンの整備も引き続き進めるべきだ。

 安全に利用できてこそ自転車の利便性が生きる。



  

Posted by kazu at 06:42Comments(0)

2013年11月13日

今日のコラム


11月13日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

部下に使われる

 一般に、形の上では指導者が人を使って仕事をしているようにみえるが、見方によっては指導者の方が使われているのだとも言える。だから、口では「ああせいこうせい」と命令しても心の奥底では、「頼みます」「お願いします」さらには「祈ります」といった気持を持つことが大事だと思う。
そういうものを持たずして、ただ命令しさえすれば人は動くと思ったら大変なまちがいである。指導者は一面部下に使われるという心持を持たねばならないのである。こうした心境があって、はじめて部下に信頼される大将になり得るのである。

 特に大きな組織、集団の指導者ほど、この心がまえに徹することが必要だと言えよう。


筆洗

2013年11月12日(東京新聞TOKYOWeb)

▼台風の怖さをよく知っている日本人でさえその被害の大きさに驚かされただろう。フィリピンを襲った台風30号。大戦の激戦地だったレイテ島という日本の過去と関係する地名にも鼓動が速まる

▼陸に打ち上げられた巨大な船を見て東日本大震災の記憶に結び付いた人もいるかもしれない。死者数は一万人超という残酷な推測もある

▼米国の専門家は過去に上陸した台風の中で最も強力だったのではないかと分析する。最大瞬間風速は九十メートルで竜巻の風力に匹敵するという。異常な「化け物」台風だった

▼怖いのは「化け物」の出現が当たり前になっていく可能性があることだ。温暖化が原因だという。『図解 台風の科学』(上野充、山口宗彦共著)は温暖化によって台風の数は減る一方、巨大化するという実験データを紹介する

▼専門家の中には二一〇〇年までに海水温度が二度上昇し、その結果、台風の風力を10%強くすると警告する意見もある。台風巨大化の裏には温暖化を引き起こした人間の手がある

▼フィリピンは毎年大きな台風被害に苦しむ。昨年十二月の台風24号の死者は千人を超える。「魂はいかなる台風よりも強い」。今回の被害にも国民はこの合言葉で支え合っている。そのがまん強さに世界は頼っていてはならない。あの地を、「化け物」との「激戦地」にしない道を協力して探るよう期待したい。
  

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2013年11月12日

今日のコラム


11月12日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

立場を交換する

 たとえば経営者と労働組合、与党と野党の関係など、社会では対立して相争うという姿が各所に見られる。その結果、精神的にいがみ合いがあるばかりでなく、物事の円滑な進行が妨げられ、そこから大きなロスが生まれている。

 そういう傾向になりがちなのは、やはりそれぞれが自分の立場中心にものを見るからではないだろうか。自分の立場中心に考えれば、どうしても自分というものにとらわれてものの見方がせまくなり、全体が見えにくくなってしまう。

だからときに相手の立場にわが身を置く気持で、お互いの立場を交換して考えてみてはどうか。そうすることによって相互の理解も深まり、合意点も見出せるのではないだろうか。

11月12日は、洋服記念日です

 「洋服記念日」は、明治4年に発布された勅諭により、明治5年11月12日付で「爾今礼服には洋服を採用す」という太政官布告令が出されたのにはじまります。

 注文洋服業者により明治19年に設立された東京都洋服商工協同組合では、昭和4年にこの日を「洋服記念日」として制定しました。

 組合では、昭和4年11月12日以来、和服から洋服への採用を決断された明治天皇の御遺徳を崇敬し、毎年11月12日に明治神宮へ参拝し、明治神宮参集殿において記念式典を挙行しています。  

Posted by kazu at 05:59Comments(0)

2013年11月11日

今日のコラム


11月11日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

企業は儲けるべし

 企業というものは、終始一貫、どうすれば合理化できるか、どうすればムダな経費が省けるかと、一生懸命汗を流し、工夫し、そして苦心惨憺してやっと一定の利益を上げているのです。そして利益の大半を税金として納めています。企業も国民も、みんなが働いてプラスを生んで、税金を納めているから国の財源ができるわけです。どこも儲けなければ、税金もおさめられない。とすれば国の財源はどこから集め得るのでしょうか。

 企業は儲けてはいけないということであるなら、経営は簡単です。努力もいらなければ創意工夫もしなくていいのですから。それで国が成り立っていくのであれば何も苦労はいりません。

筆洗

2013年11月10日(東京新聞TOKYOWeb)

▼東京・有楽町にあるゴジラ像のプレートにこんな言葉が刻まれている。「このゴジラが最後の一匹だとは思えない」

▼映画「ゴジラ」が封切られたのは一九五四(昭和二十九)年十一月のことだった。怪物が都市を破壊する映画は大当たりした。生誕六十年の来年には米ハリウッド版の新作公開も予定されている。世界の「ゴジラ」である

▼怪物は、水爆実験によって出現する。公開と同じ年の三月、ビキニ環礁で水爆実験の「死の灰」を浴びた、第五福竜丸事件が下敷きになっている。原作ではゴジラは第五福竜丸の帰還とともに日本にやってくる

▼「水爆などいい気になっていたら、人間は自分たちの力で完全に滅びる」。監督の本多猪四郎さんは著書『ゴジラとわが映画人生』で語る。訴えたかったのは進んだ科学を持った人間の恐ろしさだった

▼大戦中の原爆投下の記憶もまだ生々しい「あの時」からの警告は、残念ながら現代に生かされていない。核兵器や原発に限った話ではない。インターネットで知り合った一味がその日のうちに誘拐を働く。スパイ機関が別の国の首相の携帯電話を盗聴する。ネット上の憎悪発言。ゴジラは科学技術を使う人間の心の闇の中にすみ続けている

▼像の言葉は登場する科学者のせりふで、まだ続きがある。「同類が世界のどこかに現れてくるかもしれない」。ゴジラだらけである。


今日は介護の日だそうです。
厚生労働省において,平成20年度から11月11日が「介護の日」として設定されました。

  

Posted by kazu at 05:41Comments(1)