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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2013年10月22日

今日のコラム


10月22日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

成功のコツ

 よい会社だと思って入った会社でも、一から十まで何もかもいいとは限りません。ときには欠点もあるでしょう。しかしそれをはじめから“こんな会社はあかん”と決めてかかるか、それとも“どうもこの点だけはよいとは思わないが、これは自分の問題として改善向上させていこう”という熱意をもって当たるかによって、対応の仕方が全く変わってくるでしょう。

 “よし、自分の会社をいまよりもっとよい会社にしてやるぞ”という意欲を持ち、すべてのことを前向きにとらえる姿勢を持つ人は、信頼もされ、頼もしい社員として嘱望されるでしょう。成功のコツはそのようなところにあると思うのです。


筆洗

2013年10月21日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼野球のナックルボールは実に不思議な変化球だ。「指節球」と戦争中は書いた。指の関節を折り曲げてボールを握ることに由来する。ボールの回転を極限まで抑えることによって予測できない変化を見せる

▼ナックル投手が登板した時、捕手はその複雑な変化に対応するため、大きいサイズのミットを使用する。大リーグ中継でディッキー投手のゆらゆらと動くボールを見た人もいるだろう

▼ねじめ正一さんが中央公論に連載している小説「六月の認知の母にキッスされ」の中に不思議な男が出てくる。六十歳は超えている。突然、絵本作家の仕事をやめ、ナックルボールをマスターするため、練習を続けている

▼理由も目的もよく分からない。男は「ナックルを投げているときがいちばん自分らしいと思う」と、胸を張る。もちろんナックルを投げるのは難しい。どうしても回転してしまう。制球も定まらない

▼ねじめさんは認知症の母親の介護を、男のナックルに重ねている。男は語る。「思うようにならないのがナックルボールだよ。思うようにならないことを楽しまないと、ナックルを投げてもしょうがない」

▼介護は思うようにならない。それならば、難しさを楽しもうよと、ねじめさんは言いたいのだろう。もっと早くこの言葉に会えれば、良かった。楽しめなかった。自分には登板の機会が二度と与えられない。
  

Posted by kazu at 06:28Comments(0)

2013年10月21日

今日のコラム


10月21日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

競争相手に学ぶ

 今日、たとえば企業などにおいて、非常に力もあり、立派な経営をしている相手と競争していくというような場合、ともすれば、困った、大変だと考えがちではないだろうか。しかしこれは「相手の経営のいいところは大いにとり入れてやろう。また、こういう相手と競争していくのは一面大変だけれども、同時に非常に励みにもなる。結局自分のところの発展にプラスになるのだ」と考えたらどうだろうか。そうすれば、相手の良さも素直に吸収でき、さらに心ものびのびとして、相手に負けないような知恵もでてくるかもしれない。

 指導者は、競争相手からも学ぶ心構えが大切だと思う。



筆洗

2013年10月20日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼ドン・ガバチョの未来を信ずる歌」を思い出している。一九六四(昭和三十九)年放送開始の人形劇「ひょっこりひょうたん島」の中でガバチョ大統領が歌っている

▼<今日がダメなら明日にしまチョ/明日がダメならあさってにしまチョ/あさってがダメならしあさってにしまチョ/どこまでいっても明日がある> 「ひょうたん島」の原作者、井上ひさしさんと山元護久さんが作詞した

▼なんとかなる。人生は楽しい。そう聞こえる。歌を聴いて一家心中を思いとどまった家族がいたと井上さんが語っている

▼がっかりするかもしれないが、実は井上さん、そんなつもりで歌詞を書いていない。嫌なことは「どんどん先延ばしにしちゃえとガバチョが言い訳している歌」(井上さん)だったという

▼オバマ米大統領の一般教書演説に日本人として初めて招待された藤田浩之さん(47)と話す機会があった。米国で医療機器メーカーを起業し、成功を収めた。「道なき道を行け」(小学館)でその苦心を語っている。幼い時、お母さんに「やれることは、今すぐやれ」と教えられ、現在もやり残したことがあると気持ち悪くて、眠れないという。見習いたい

▼見習いたいが、あの歌が離れない。先延ばしを勧めているのではない。でも、それぞれのペースで進めばいい。井上さんの意図は別として人生の応援歌に聞こえる。
  

Posted by kazu at 05:28Comments(0)

2013年10月20日

今日のコラム


10月20日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

小異を捨て大同につく

 明治維新の立役者は勝海舟と西郷隆盛である。当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり、複雑な情勢であった。しかし、勝海舟も西郷隆盛も戦うことを決して軽視はしなかったけれども、それ以上に、日本の将来ということを深く考えたわけである。そういう両者の一致した思いが、江戸城無血開城を可能にしたのだと思う。

 結局、指導者が目先のこと、枝葉末節にとらわれず、大所高所からものを見、大局的に判断することがいかに大切かということである。何が一番大事であり、何が真に正しいか、たえず小異を捨て大同につく、それが指導者としてきわめて大切な心がまえだと思う。


筆洗

2013年10月19日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼あの時、父に正確に何と言ったかは覚えていない。だが、その時の気持ちは覚えている。「この非国民が…」だ

▼安田純治さん(82)は、軍国少年だった。一刻も早くお国の役に立とうと一九四四年に十二歳で航空機乗員養成所に入った。硬骨の弁護士だった父ははっきり口にこそしないが、戦争に否定的だった

▼純治少年が飛行士を目指すと言った時も、父は「そうあせるな」と引き留めた。少年は心の中で父を非国民と罵(ののし)りつつ、「それでは間に合わない」と志を貫いた

▼戦争が終わって大人たちは突然、民主主義者になった。故郷の福島に帰り、途方に暮れていた安田さんは終戦の年の秋、新聞を読んでいて衝撃を受けた。軍国主義に抗(あらが)って獄につながれていた政治犯が、釈放されたとの記事だった

▼「絶望的な状況の中で反戦を唱えていた人がいた。時流に抗した人がこの国には存在したのだ」。その時の思いが安田弁護士の背骨だ。三十年前には「故郷への反逆者」と罵られながら、福島原発の設置認可取り消し訴訟の弁護団長を務めた。難しい裁判とは分かっていたが、福島にも原発に反対する人がいたという証しを残したかったからだ

▼その時の裁判で指摘した原子炉の水素爆発が、現実に起きた。いま安田さんは、原発事故で故郷や仕事を失った人が起こした訴訟の弁護団長を務める。元軍国少年の闘いは続く。
  

Posted by kazu at 06:22Comments(0)

2013年10月19日

今日のコラム


10月19日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

良識を養う

 この世の中ではお互いがさまざまな言説を唱えています。しかし自由のもとに自説を主張する場合には、自説にとらわれて対立のみに終始するということではいけません。対立しつつも調和してゆかなければならないと思います。

 そのためには、お互いがそれぞれにみずからの良識を養い高めていくことが大切です。公共の福祉に反してはならないということは、もちろん法律にも定められてはいますが、やはり法律だけでは律し切れないものがあるわけです。そういうものについては、個々の人びとがみずからの良識で事を判断することによって、自由を真の自由たらしめていかなければならないと思うのです。


筆洗

2013年10月18日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼その映画は、三十五歳の男が川岸を家族と散策する場面で始まる。妻と二人の子と。男は上機嫌で歌いだす。♪母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た とどかぬ願いと 知りながら

▼幸せな時。だが、それは夢だ。老いた男は、四十年以上すごしてきた三畳一間で目覚める。一九六一年に三重県名張市で起きた毒ぶどう酒事件で犯人とされた奥西勝死刑囚(87)は、拘置所の独房から冤罪(えんざい)だと訴え続けている

▼その生涯を描いた東海テレビ製作の映画『約束』で、仲代達矢さん演じる死刑囚は、拘置所の屋上の運動場で叫ぶ。「死んでたまるか、生きてやる」。それは無実を信じ続けた家族の心の叫びでもある

▼母タツノさんは、貧しい暮らしに耐えながら面会に通い、手紙で励まし続けた。「してない事はしたというな。しんでもしないというてけ」「ほしいものがあれば母ははだかになってもかってやるから手紙でおしえてくれ」

▼タツノさんは一九八八年に世を去り、親類に引き取られ育った長男も六十二歳で病に倒れた。高齢の父を気遣い「おやじには、(無罪を勝ち取り)出てきてから知らせてくれ」と言い残して

▼証拠の多くは弁護団の根気強い調査で突き崩されてきた。だが、最高裁は固い扉を開けようとせず、七度目の再審請求も棄却した。死刑囚の心の叫びが、ひときわ高く聞こえるようだ。
  

Posted by kazu at 05:53Comments(0)

2013年10月18日

今日のコラム


10月18日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

独断は失敗につながる

 仕事でお互いが注意すべきことは、会社の伝統、方針を無視した自分ひとりの考えで行動しないということです。人ひとりの知恵は、いかにすぐれていても、伝統もかえりみず、方針を等閑視して、せまい自分の主観から生まれてくる判断で行動すれば、かえって会社をマイナスに導きます。

 私たちはとかく、ものの一面にとらわれて自己の考えのみを主張していると、その背後に流れる大きな力を見忘れてしまうものです。そこから大きな失敗が表われてきます。常に自己の背後にある流れ、つながりを見通す目、心を培い、その中で自己を生かすよう訓練していかなければなりません。


【コラム】
筆洗

2013年10月17日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼一九四三(昭和十八)年の十月十六日、東京は青空だったという。七十年前のこの日、早稲田大学と慶応大学の野球の試合が東京・戸塚球場で行われた

▼学徒出陣壮行の「最後の早慶戦」と呼ばれる試合。戦局は厳しくなり、リーグは既に解散している。敵国スポーツの野球への風当たりは強い。それでも、戦地に赴く前にもう一度、早慶戦をやりたかった

▼試合は早稲田の圧勝に終わった。そんなことはもはや関係なかった。当時の回想をまとめた「最後の早慶戦」(ベースボール・マガジン社)によると、早稲田、慶応の区別なく、みんな泣いた

▼「試合中は忘れていたが、やはり戦争に行くのかと現実に引き戻された」「もう生きて帰れない。野球も終わりだ」。どんなに切なかったか

▼台風26号は各地に深い傷痕を残した。伊豆大島の人々や、行方不明になっている神奈川県二宮町の小学生、その子を心配する母親のことを思えば、どう書いていいのか、言葉が出てこない。母親は海を見に行っていいかと尋ねた子どもを止めていたという

▼悲しいのは、台風が通過した後、あっけらかんとした青空が広がることかもしれない。さっきまで、あんなにひどい嵐だったのに、青い空はなに食わぬ顔で下界の人間を見下ろしている。あの試合の日のように人の気持ちは関係ない。無情で残酷な青空の日というのがあるのか。
  

Posted by kazu at 05:57Comments(0)

2013年10月17日

今日のコラム

10月17日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

臨床家になれ

 経営、商売というものは、これを医学にたとえれば、臨床医学に当たると思います。その意味では、これに当たる者はみな、実地の体験をつんた臨床家でなくてはなりません。

 ですから、かりに販売の計画を立てる人が、自分自身、販売の体験を持たずして、その知識、才能だけに頼って、いわゆる机上のプランをつくっても、それは生きたものとはならず、失敗する場合が多いのではないでしょうか。やはり、臨床の仕事をしていく以上、実地の体験から入らなくては、一人前の仕事はできにくいと思うのです。

 この臨床の仕事をしているという心根をお互いいつも忘れないようにしたいものです。



筆洗

2013年10月16日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼<そうだ/うれしいんだ/生きる喜び/たとえ胸の傷が痛んでも> テレビをつけたまま、ウトウトとしていた時、耳にした曲の歌詞の深さに眠気が吹っ飛んだことがある。「それいけ!アンパンマン」の主題歌だった

▼「アンパンマン」のやなせたかしさんが亡くなった。あの歌もやなせさん自身の作詞だ

▼<何のために生まれて何をして生きるのか/答えられないなんて/そんなのは嫌だ> 生きる目的を見つけてと、子どもたちに教えている

▼「幼稚園で歌う歌詞ではない」との声もあったそうだが、やなせさんは「子どもの頃から、ずっと歌っていると、考えることが自然と身に付くような気がする」(『何のために生まれてきたの?』)と言った。いつか分かる。やなせさんは子どもと真っすぐに向き合う人だった

▼アンパンマンは異質なヒーローだ。怪獣をやっつける強いヒーローはいる。はらをすかせた人に自分の顔の「あんパン」を食べていいよと言ってくれる優しいヒーローはいない。戦争のひもじい経験。「正義の味方が最初にやらなくちゃいけないことは、飢える人を助けることじゃないか」と考えた

▼安倍晋三首相は所信表明演説の中で「意志さえあれば、必ずや道はひらける」と訴えた。国民も強い気持ちでガンバレと。それ自体はもっともな話かもしれないが、アンパンマンの優しさとは、異なる。


  

Posted by kazu at 05:58Comments(0)

2013年10月16日

今日のコラム


10月16日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

諸行無常の教え

 その昔、お釈迦さまは、“諸行無常”ということを説かれました。この教えは、一般には“世ははかないものだ”という意味に解釈されているようですが、私はむしろ“諸行”とは“万物”、“無常”とは“流転”と考え、諸行無常とは、すなわち万物流転であり、生成発展ということであると解釈したらどうかと思うのです。言いかえますとお釈迦さまは、日に新たでなければならないぞ、ということを教えられたのたということです。

 これはたんに仏教だけの問題でなく、お互いの日々の仕事をはじめ、お互いの人生、社会のあらゆる面に当てはまるのではないでしょうか。


筆洗

2013年10月14日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼部屋の中のゾウ」。こんな英語の表現がある。ゾウが部屋の中にいる。狭い部屋にゾウが窮屈そうに立っている光景はユーモラスだが、その意味は怖い

▼巨大なゾウが部屋にいれば中の人間はゾウの存在をいやでも知る。ゾウの存在を知りながら気づかないフリをしている状態を「エレファント・イン・ザ・ルーム」というのだそうだ

▼いつ暴れだすかもしれないゾウが部屋の中にいるのは危険な状態だ。なんとかしなければならないが、どうやってゾウを部屋の外へ追い出せばいいのかが分からない。解決方法のない恐怖を打ち消すため、「危機ではない」とゾウを見なかったことにする心理。分からなくもない

▼米国の債務上限問題の期限が十七日に迫る。この日までに与野党で話をつけて、政府の債務上限を引き上げなければ、米国債は債務不履行(デフォルト)に陥る可能性がある。世界最大の経済大国のデフォルトは世界経済全体にリーマン・ショックをはるかに超える大混乱を引き起こす危険がある

▼「結局、政治決着するさ」「デフォルトなんて起こらない」。落ち着いた声も聞く。こちらの取り越し苦労ならば結構だが、こうした声がゾウを見ないフリをしているだけの楽観論でないことを祈る

▼東京で十三日、大規模な脱原発集会があった。参加者には別の危険なゾウがはっきりと見えているのだろう。
  

Posted by kazu at 06:11Comments(0)

2013年10月15日

今日のコラム

10月15日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

紙一枚の差

 社会に対する責任ということを同じように考えてやっていても、その徹し方には差がある。一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。

そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。もう十分だと考えると、苦情があっても「ああ言うが、うちも十分やっているのだから」ということになって、つい反論する。けれどもまた足りないと思えば、そうした苦情に対しても敏感に受け入れ、対処していくということになる。

そういうことが、商品、技術、販売の上に、さらに経営全般に行なわれれば、年月を重ねるにつれて立派な業績を上げることになるわけである。


筆洗

2013年10月14日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼部屋の中のゾウ」。こんな英語の表現がある。ゾウが部屋の中にいる。狭い部屋にゾウが窮屈そうに立っている光景はユーモラスだが、その意味は怖い

▼巨大なゾウが部屋にいれば中の人間はゾウの存在をいやでも知る。ゾウの存在を知りながら気づかないフリをしている状態を「エレファント・イン・ザ・ルーム」というのだそうだ

▼いつ暴れだすかもしれないゾウが部屋の中にいるのは危険な状態だ。なんとかしなければならないが、どうやってゾウを部屋の外へ追い出せばいいのかが分からない。解決方法のない恐怖を打ち消すため、「危機ではない」とゾウを見なかったことにする心理。分からなくもない

▼米国の債務上限問題の期限が十七日に迫る。この日までに与野党で話をつけて、政府の債務上限を引き上げなければ、米国債は債務不履行(デフォルト)に陥る可能性がある。世界最大の経済大国のデフォルトは世界経済全体にリーマン・ショックをはるかに超える大混乱を引き起こす危険がある

▼「結局、政治決着するさ」「デフォルトなんて起こらない」。落ち着いた声も聞く。こちらの取り越し苦労ならば結構だが、こうした声がゾウを見ないフリをしているだけの楽観論でないことを祈る

▼東京で十三日、大規模な脱原発集会があった。参加者には別の危険なゾウがはっきりと見えているのだろう。
  

Posted by kazu at 06:03Comments(0)

2013年10月14日

今日のコラム

10月14日
商品を発意する

 商売をしている人は、その商品を買って使われる人の立場というものが一番よくわかります。ご需要家のみなさまが商品について日ごろ抱いておられるご不満、ご要望というものを聞く機会が一番多いのが商人でしょう。したがって、真にお客さまの要望にそった商売をするためには、そのご不満なりご要望を聞きっぱなしにするのでなく、それを自分で十分に咀嚼し、商人としての自分のアイデアを考え出す。いわば、みずから商品を発意してそれをメーカーに伝え、改善、開発をはかるよう強く要望していくことが大切だと思います。そこまでしてこそはじめて、真に社会に有益なほんとうの商売というものも可能になるのではないでしょうか。


筆洗

2013年10月13日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼千代、下手すぎる」。新人女優が初舞台の迫る中で、こんなメモを演出家からもらった。書かれていたのは、役名とその一行だけ

▼助言や指導があれば納得もできる。「下手すぎる」だけでは女優にとっては「やめてしまえ」と言われたのと同じ。相当なショックだろう

▼ベテラン女優、吉行和子さんの若い時の話。メモを見て「貧血を起こして鏡台の前にうずくまった。いろいろな思いがぐるぐる回り、溶けて白くなって気が遠くなっていった」と、『浮かれ上手のはなし下手』で書いている。そりゃそうだ

▼メモは誤解だと分かる。「下手」は「へた」ではなく「しもて」と読む。舞台の左右を区別する上手、下手のことで、吉行さんの立ち位置が客席から見て左に寄りすぎていると演出家は指摘していたのだ

▼国会敷地内に、牛丼の吉野家が開店した。文句はない。もやもやするのは、千二百円の「牛重」をこの店限定で売ることだ。国会には通行証がなければ入れない。口にできるのは、国会議員、国会職員、官僚の国会関係者ということになる。「普通の人」はなかなか味わえない

▼国会側が特別メニューを求めたと聞く。議員特権や格差問題まで持ち出す気はないが、写真の「牛重」がうまそうな分だけ、国会や吉野家の感覚が分からぬ。やり方が下手すぎる。もちろん、「しもて」ではなく、「へた」と読む。

  

Posted by kazu at 05:52Comments(0)

2013年10月13日

今日のコラム


10月13日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

国土を大切にする

 日本の国土ほど風光明媚で、気候が温和な国はそうないのではないでしょうか。しかも長年にわたって、非常にすぐれた日本独自の文化と国民性とを養い育ててきました。今後ともこの国土の存するかぎり、日本のすぐれた文化と国民性は永遠に失せないでしょう。

 とは言え、日本国民全体が、自分たちのこの国土を大切にするという強い意識を持つことがきわめて大事だと思います。そして、この国土によって今までにはぐくまれてきた伝統の精神というものを十分に理解、認識し、そしてさらにすぐれた文化の花を咲かせるよう努めていくことが、今日の日本人の尊い使命だと思います。


2013年10月12日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼ノーベル化学賞が、ドイツのハーバー博士に贈られると発表されたのは、一九一八年のことだ。アンモニアの合成法開発が認められての栄誉だったが、国際的な非難の声が巻き起こった。ハーバー博士は「化学兵器の父」でもあったからだ

▼毒ガス兵器は第一次世界大戦で九万人もの兵士の命を奪った。一九二八年にはジュネーブ議定書で戦争での使用は禁止され、一九九七年には、製造や保有も禁じた条約も発効している

▼にもかかわらず、化学兵器は今なお人々を苦しめ続けている。シリアのダマスカス近郊で千人以上もの命が奪われたのは、つい五十日ほど前のことだ

▼化学兵器の父がノーベル賞に輝いてから九十五年。今年のノーベル平和賞が、化学兵器禁止機関(OPCW)に贈られることになった。授賞は、一世紀を経ても禁断の兵器に別れを告げられない現実の裏返しである

▼シリア政府軍が化学兵器を使ったとしてオバマ政権が武力行使に踏み切ろうとしていたころ、驚くべき事実が明らかにされた。一九八〇年代のイラン・イラク戦争では化学兵器で一万人が死亡したが、イラクが毒ガスを使用するのを、米国が秘密裏に支援していたと、米誌が暴露したのだ

▼その米国は今も大量の化学兵器を持っている。禁止条約が定めた廃棄期限を守らなかったのだ。廃棄を迫られているのは、シリアだけではない。
  

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