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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2013年08月10日

今日のコラム


8月10日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

欲望は生命力の発現

“欲の深い人”というと、ふつうはよくない人の代名詞として使われているようだ。いわゆる欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件があまりにも多いためであろう。

 しかし、人間の欲望というものは、決して悪の根源ではなく、人間の生命力の現われであると思う。たとえて言えば船を動かす蒸気力のようなものであろう。だからこれを悪としてその絶滅をはかろうとすると、船を止めてしまうのと同じく、人間の生命をも断ってしまわねばならぬことになる。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく、生そのものであり、力だといってよい。だからその欲望をいかに善に用いるかということこそ大事だと思う。

2013年8月10日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)

天声人語

▼それはMAD(マッド)と呼ばれた。ふつうは「狂った」という意味の形容詞だが、ここでは「相互確証破壊」を意味する英語の頭字語(とうじご)。米ソ冷戦時代を支配した軍事戦略の名前である

▼どちらから攻撃しても双方破滅という結果に終わるから、戦争はできない。そんな核兵器の「恐怖の均衡」が目指された。理性的に考えれば自殺行為に及ぶはずはないという理屈だ。それが「狂った」の語で表される。皮肉の極みだった

▼緻密(ちみつ)に理論武装されていても、今から見ればやはり狂っていたとしか思えない。後に米国のキッシンジャー元国務長官ら推進者が、次々と宗旨を替えた。そして09年、米国大統領がプラハでの演説で「核なき世界へ」と訴えるに至る

▼核廃絶への道のりは困難を極める。オバマ氏も、自分が生きているうちには無理かもしれないと言っている。残りの任期中にどこまで進められるか。象徴的な意味も含めてぜひ実現してほしいのは、広島、長崎への訪問である

▼これには米国内に反対論が根強くある。原爆で日本の侵略戦争を終わらせた、あれは正しかったのだ、と。互いの歴史認識や被害感情もからんで、議論はもつれる。それでもオバマ氏は09年に「行ければ名誉なことだ」と語っている

▼ルース駐日米大使は8日の会見で言った。「原爆を落とした唯一の国と被爆した唯一の国は、核廃絶について特別な位置を占める」。訪問が実現すれば世界に向けたこれ以上ないメッセージとなる。狂った兵器はもう用済みだ、と。  

Posted by kazu at 05:42Comments(0)