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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2015年03月06日

今日のコラム

☆3月6日はスポーツ新聞の日

1946年(昭和21年)に日本初のスポーツ新聞『日刊スポーツ』が創刊したことによる。4ページからの構成で、1部50銭であった。 第1面を飾ったのは、野球の投手を中心にしたスポーツ選手のイラストでした。☆
 

☆お早うございます。今日も目覚ましていただき感謝です。


3月6日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

不安に挑む

いつの世でも、われわれにとって完全に安穏であるという状態はないといってよい。お互い人間である以上、程度の差こそあれ不安動揺なしにはいられないと思う。それが人間本来の姿である。しかしだからといって、ただ不安動揺し、それにおびえてなすところなくウロウロしているというのでは、そこから何も生まれてこない。

そうではなく、不安は感じるが、しかしその不安に敢然と闘いを挑み、これを打破していく。むずかしい仕事、困難な要求に直面して、一面に不安を感じるが、反面かえって心が躍る。そしていろいろな考えを生みだしこれを克服していく。そういうふうでありたいと思う。


【コラム】筆洗

2015年3月5日

▼その船の名は「軍艦…」である。「…」が実際どう聞こえたかは分からない

▼吉村昭さんの「戦艦武蔵」。一九四〇(昭和十五)年十一月一日の進水式の場面をこんなふうに書いている。及川古志郎海軍相が命令書を早口に低い声で読み上げる。「軍艦…、昭和十三年三月二十九日その工を起し」。艦名が聞き取れない

▼口ごもったのは、機密保持のためである。旧海軍が望みを託した大和型戦艦二番艦の武蔵建造は最高機密であり、当局は漏えいを恐れ、厳しく取り締まった。建造中、外部からの目隠しで全長二百六十三メートルの艦にムシロを覆いかぶせていたのは有名な話でムシロの材料となるシュロの繊維が消え、高騰した

▼戦後七十年の年になぜ、あの「怪物」は姿を現したか。米国の億万長者が撃沈の地フィリピン中部シブヤン海の海底で「武蔵」を発見したという

▼武蔵を取り巻くのはかつての日本人の悲しい熱である。時代に合わぬ巨大艦に膨大な資金と物資を注ぎ込み、ムシロまで使い必死に秘密を守ろうとしたが、活躍の機会はほぼなく、二年余で沈んだ。撃沈で失われた大勢の方の命を考える時、その戦艦を「愚行」の二文字で片付けるのは胸が痛むが、日本の苦い歴史を象徴する艦でもあろう

▼「発見」とは本来、心躍るもの。本物の武蔵なら驚きだが、この「発見」にはどこか「…」というざらついた感情も伴う。



☆ 今朝も晴れています。花粉がたくさん飛んでいるそうです。花粉対策、マスクして出かけましょう。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆



  

Posted by kazu at 06:59Comments(0)