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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2015年02月01日

今日のコラム

☆2月1日はテレビ放送記念日

1953(昭和28)年のこの日、NHKが日本初のテレビ本放送を行った。東京・千代田区内幸町(うちさいわいちょう)の放送会館第1スタジオからは菊五郎劇団の「道行初音旅(みちゆき はつねのたび)」や映画などが放送された。☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆



2月1日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

天は一物を与える

 この世に百パーセントの不幸というものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども、半面そこに五十パーセントの幸せがあるわけだ。人間はそれに気がつかなければいけない。とかく人間の感情というものは、うまくいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。これは人間の一つの弱い面だが、それをなるべく少なくして、いつの場合でもたんたんとやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。

 「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。



【コラム】筆洗

2015年1月31日 東京新聞TOKYOWeb

▼自分を愛することは、実は難しい。しかし、そのためのとても簡単な方法がある。それは自分の名前を好きになること。そう説いたのは、わが国初の女性衆院議員となり、園田直・元外相の妻としても存在感を示した園田天光光さんである

▼天光光。思わず由来を聞きたくなる名前だが、幼いころ光を一つ省き「天光」と書いたら、父に叱られたという。天は宇宙、光は宇宙創造の光、もう一つの光は「世の中の光となってくれ」という親の願い。だから名前は、その願いまでしっかり書くようにと(『女は胆力』)

▼同世代の命を奪った戦争がようやく終わった時、園田さんは生き延びた喜びよりも、自分が「生き残された」ことに悩んだという。焼け野原の東京を歩けば、餓死者のむくろが放置され、飢えきった人々がいるのを目にした

▼生き延びた自分たちこそは、平和な社会をつくらなくてはならないのに、飢死などしていいものか。それでは死んでいった者に申し訳ない。「天光光」と名付けた父に背中を押され、そう街で訴え、市民が力を合わせ食料を調達する運動を始めたのが、政治への第一歩だった

▼園田さん逝去の報が載ったきのうの朝刊一面の「平和の俳句」は、梅田昌孝さん(61)の<枇杷(びわ)の花戦後生まれのままで死ぬ>

▼生き延びた人間の責務として「戦後」を築いてきた一人の女性への追悼の句ともなった。



☆ 今朝は晴れていますが、寒い朝です。今日から2月です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


  

Posted by kazu at 07:34Comments(0)