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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2015年01月13日

今日のコラム

☆1月13日は 咸臨丸出航記念日
1860年のこの日、江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が日米修好通商条約の批准のため、勝海舟、福沢諭吉、中浜万次郎らの遣米使節を乗せて品川沖を出航した、サンフランシスコへ。☆

☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆



1月13日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

枠にとらわれず

 私たちは仕事を進めていく際に、ともすれば自分で自分の枠を決めてしまってはいないか。

 たとえば、ラジオのデザインにしても、元来、デザインは固定したものでないのだから、三角でも円でもよいはずなのに、ほとんど箱型である。このことに限らず、不思議なことに人間は自ら枠をつくり、その中に入ってしまうという悪い傾向がある。これも自己を保身する一つの行き方かもしれないが、窮屈な枠の中で窮屈なものの考え方をしていては、心の働きも鈍くなり、自由自在なよい智恵が出てくるものではない。ものにはいろいろな見方がある。時と場合に応じて自在に変えねばならない。そこにこそ発展が生まれるのである。



【コラム】筆洗

2015年1月12日 東京新聞TOKYOWeb

▼作家の丸谷才一さんは「生きざま、死にざま」という言葉が嫌いだと書いている。「生き方死に方」でいいのにその言い方は「すごんでいる」「うっとりしている」という

▼確かに「ざま」には自己陶酔と悲壮の臭いがある。「野望」と「希望」の違いもこれと似ている。あくまでも小欄の語感だが、「希望」がすごむと「野望」になるか。辞書の【野望】は「身の程を超えた大きな望み」であり、一般的な印象は悪かろう。「希望に燃える青年」と「野望に燃える青年」。顔つきの異なる若者が浮かぶ。世間で好まれるのは間違いなく前者だろう

▼成人の日である。語れることはないが「希望」よりも「野望」の方でいこうよと、そそのかしておく。「野望」には、単なる望みに加え、実現のためのしたたかさ、世間を気にしない図太(ずぶと)さもある

▼心優しい最近の若者の苦手なところでもあろう。野望はすごんでいると書いたが、見方を変えれば、絶対にあきらめないという気魄(きはく)やタフさかもしれない

▼身の程を超える望みを求めなければ、身の程は育たない。吉行あぐりさんが亡くなった。百七歳。逸話がある。体の弱ったあぐりさんがある日、じっと天井を見つめている。長女で女優の和子さんが「何を考えているの」と聞くと「ヒミツ」と答えた

▼百歳を超えても「ヒミツ」。とんでもなく大きな野望だったのではと空想する。


☆今朝は晴れています。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


  

Posted by kazu at 06:14Comments(0)