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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年09月23日

今日のコラム

☆ 9月23日は「秋分の日」「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ」

二十四節気のひとつ。昼と夜の長さが同じになる日。春分の日と同じように太陽が真西に沈む。

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


9月23日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

永遠に消えないもの

 高野山にはたくさんの墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は、おおむね大名の墓だそうですか、その大名の墓も、今日では無縁仏になっているものもあるということです。昔は相当の一家眷族を養い、しかも明治になってさらに華族として、財産も保護されるという状態が長く続いたにもかかわらず、そういう変化があったということを考えてみますと、人間のはかなさというものを身にしみて感じます。

 やはり世の中というものは形ではない。いくら地位があり財産があっても、それはいつまでも続くものではない。結局、永遠に消えないものはその人の心であり、思想であり、この世で果たした業績である、そう思うのです。


【コラム】筆洗

2014年9月22日 東京新聞TOKYOWeb


▼期日をぼかす人がいる。借金でいえば、返済の期日を明確にせず、時期をあえてあいまいにする。「松の明けるころには」「クリスマスまでかな」ならまだ良い方で、「桜の季節」や「寒くなる前には」となると、もういつ返済されるか分からない

▼米映画の「エンジェルス」(一九九四年)にひどい約束の場面がある。やくざな父親が息子を残して家を出る。息子は父親に聞く。「いつごろ帰ってくるの」。「そうだな。エンゼルスが優勝するころだ」。悲劇である

▼当時大リーグのエンゼルスは弱小球団で、父親は「もう二度と帰らない」と宣言したのと同じ意味になる。それでも少年は父親が早く帰るよう、エンゼルスの優勝を神に祈り続ける

▼これもまたひどい約束だった。北朝鮮による日本人拉致被害者の再調査の話である。日朝両政府は初回報告の時期について「夏の終わりから秋の初め」で一致したはずだが、この日程が過ぎていく。秋の彼岸に至るこの時季を「夏の終わり」とはいわぬ。「秋の初め」も苦しい。報告は先送りになった

▼中身のない報告なら意味はないし、あの国を相手に短気は禁物とも分かっている。それでも、ぼんやりとした期日がぼんやり過ぎることが、不安でもどかしい

▼待つ身はつらいが、祈り続けるしかないのか。祈り続けた少年には、幸せな結末が待っていた。慰めにもならないが。


☆ 今朝も良い天気で、秋晴の空です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆


  

Posted by kazu at 07:02Comments(0)