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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年06月20日

今日のコラム

☆ 6月20日世界難民の日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

6月20日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

言うべきを言う

 部下を持つ人は、自分一人だけの職務を全うすればいいのではなく、部下とともに仕事の成果全体を高めていかなくてはなりません。そのためには、やはり部下に対して誠意をもって言うべきことを言い、導くべきことは導いていくことが大切です。

 注意すべきときに“注意したら文句を言ってうるさいから”というようなことを考えて、言わずに放っておくというようなことではいけません。部下がなすべきことはやはり毅然として要求し、そしてそれを推進していくということに対しては断乎としてやらなければならない。そういうことをしない上司には、部下はかえって頼りなさを感じるものです。


【コラム】筆洗

2014年6月19日東京新聞TOKYOWeb

▼それほど親しいわけではない人の家へお邪魔した時、その家の本棚や、レコード棚が無性に見たくなる。悪い癖である

▼どんな音楽を聴き、どんな本を読んできたのか。その人の「世界」を確かめたい。本棚にピンク色で花束の絵が描かれた表紙の本を発見する。『アルジャーノンに花束を』。ホッとし、この人との距離が一気に縮まる。「あなたも」

▼一九八〇、九〇年代に青年期を過ごした人間にとって、あの本を読んでいる人ならば信じてもいいという「会員証」のような存在だった気がする。だから人にも薦めたくなる。その米作家ダニエル・キイスさんが亡くなった

▼幼児ほどの知能しか持たないパン屋さんの店員が脳の手術で天才に変わる。これ以上筋は書けぬが、SFの巨匠アシモフが「どうやって思いついたか」と質問したほど、書かれたこと自体が奇跡とも思える物語。キイスさんの答えもいい。「私にも分かりません」。神様がこの世に贈ってくれたのか

▼日本での発行部数は三百二十万部。早川書房で最も売れた本はチャンドラーやクリスティではなく、「アルジャーノン」である。日本での人気は小尾芙佐(おびふさ)さんの名訳のおかげもある。ヒントは放浪画家の山下清さんだったという

▼ついしん。どーかついでがあったら、アルジャーノンのほんをよんでみてください。ついしん。ダニエル・キイスに花束を。

☆ 昨日のカープ

カープVメール

19日マツダスタジアム、カープ6―2楽天、勝ち投手前田健6勝4敗 詳しくは中国新聞朝刊で  マエケンのインタビュー良かったですね。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 05:47Comments(0)

2014年06月19日

今日のコラム

☆ 6月19日 朗読(ろうどく)の日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

6月19日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

美と醜

 私の宅の近くに水のきれいな池がある。水面に周囲の樹々の姿を映し、まことに風情がある。ところがこの池がひところ雨が降らなくて、底の大半を露出してしまうまでになった。映すべき何物もなく醜い底を露呈するばかりである。美の反面には醜がある――そんな思いである。

お互い人間も、これと同じことではなかろうか。美と醜とが相表裏しているところに、人間の真実がある。とすれば、美の面のみにとらわれて、その反面の醜を責めるに急なのは、人間の真実というものを知らないものである。暖かい寛容の心を持って接し合うことが、お互いに明るく暮らすための、一番大事なことではなかろうか。


【コラム】筆洗

2014年6月18日東京新聞TOKYOWeb

▼大切に飼っている犬を売ってほしいと三人の人間がやって来た。こちらとしては手放しがたい。架空の話である

▼もう少し続ける。三人の頼み方はそれぞれ異なる。一人は「大切にします」と犬への思いを訴える。もう一人は「子どもが懐いてしまって」と事情を説明する。最後の一人はこちらがためらっているとこう言った。「最後は金目(かねめ)でしょ」

▼誰だってこの最後の人にだけは売るまい。原発事故の汚染土を保管する中間貯蔵施設に向けた被災地との交渉について「最後は金目でしょ」と発言した石原環境相。十七日、おわびしたいと頭を下げたが、「それをいっちゃあおしまいよ」である

▼誠意や気持ちを何で示すか。「金目」もそうであることは否定しない。それでも金目だけでは人の心は動かぬ。ましてや交渉のテーブルにあるのは故郷の土地、未来である。金目発言はカネ、経済成長ですべてを解決できると信じる政権の本音ではないかと疑う

▼金にこだわらなかった人が十六日、亡くなった。元大リーグ選手のトニー・グウィンさん。五十四歳。若すぎる。哲学者然とした顔、ずんぐりした体形が懐かしい

▼首位打者八回の名選手。求めれば高額契約で他球団にも移籍できたろうにサンディエゴ・パドレスに在籍し続けた。地元への愛情。球団への思い。石原さんなら「えっ、なんで移籍しなかったの」というか。

☆ 昨日のカープ

カープVメール

18日マツダスタジアム、カープ6―1楽天、勝ち投手野村4勝3敗、本塁打エルドレッド22号、ロサリオ6号 詳しくは中国新聞朝刊で

今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 05:26Comments(0)

2014年06月18日

今日のコラム

☆6月18日 海外移住の日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

6月18日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

上には上がある

 剣術でも、習い始めて少しうまくなってくると、みんなが自分より弱く見えて、太刀さえとれば自分が勝つように思う。しかしその域を脱すると、自分もまあ相当修業できたかもしれないが、しかし上には上がある、自分より上の人がたくさんいるということがわかってくるから、自然謙虚な心持になり、その人たちを手本としてその本質を究めようとします。

 経営もこれと同じで、経営者としての経験を積めば積むほど、経営というものの幅の広さ、奥行きの深さがわかってくるものです。常に、もうこれでいいというのではなく、よりよき方法、よりよき道を求めるという姿勢が大切だと思います。


【コラム】筆洗

2014年6月17日東京新聞TOKYOWeb

▼マリリン・モンロー主演「帰らざる河」を撮ったオットー・プレミンジャー監督は短気だったそうだ。ある映画を撮影中、それほど大きな役でもない俳優の演技に腹を立てた

▼この俳優もいいところを見せようと頑張っていたのだが、それがかえって重圧になったか、何度やってもうまく演じられない。ついに監督は俳優に歩み寄って大声で怒鳴った。「リラックスせんか!」。俳優は気を失って倒れた

▼同じ映画監督のビリー・ワイルダーがインタビューの中で語っていた。喜劇が得意だったワイルダーさんなのでちょっと疑いたくなるほど、よくできたエピソードである

▼リラックスしろと命令されても人はリラックスできない。人に銃を突きつけて「オレのことを好きになってくれ」と脅しても相手は決して好きになってくれない。相手に突きつけるべきは銃ではなく、薔薇(ばら)の花束であるべきなのだ

▼軍事力などではなく、その国の伝統や文化、もっといえば、どういう生き方をしているかで好感度を上げる技術をソフトパワーという。ワールドカップブラジル大会で日本人応援団が試合後、観客席でごみを拾い集め世界中で驚かれている。「試合では負けたが、日本のサッカーファンは大勝利」。現地報道が正直うれしい

▼黙々とごみを集める日本人の背中。それこそ計算のないソフトパワーであり、薔薇の花束なのである。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 05:39Comments(0)

2014年06月17日

今日のコラム

☆6月17日 おまわりさんの日 
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆


6月17日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

孤立化を防ぐ

 今日の日本が世界の中で、ふたたび孤立化する傾向があるとするなら、それはみずから招いているのである。つまり、それは日本なり日本人が置かれている立場、実態を知らないところからきている。

 だから、われわれは、まずすべての国、すべての人びとが、日本と仲よくしてくれているからこそ自分たちは生活できるのだ、という自覚認識をすることが大事であろう。その自覚からは、みんなの世話になっているという謙虚な気持がおのずと出てくる。そうなれば、事は半ば解決するといってもよい。そういう思いを持つなら、みずから孤立化を招くような態度は決して出てこないと思うのである。


【コラム】筆洗

2014年6月16日東京新聞TOKYOWeb

▼銭湯から人が消えるという逸話が昔はたくさんあった。テレビやラジオの人気番組を自分の家で見たり聞いたりしなければならないので、その時間帯は外出しない、銭湯に行きたがらないおう

▼有名なのはラジオの「君の名は」やテレビの「月光仮面」か。高機能のレコーダーがあり、まして銭湯も消えていく時代にあってはこんな現象は起こらない

▼日曜日の午前中、町中を歩く人はめっきりと減っていた。サッカー・ワールドカップブラジル大会の日本対コートジボワール戦を観戦していたのだろう。隣近所の開け放たれた窓からテレビ中継の音声や「おお」という声が聞こえてくるのは実に楽しい。あの家でも、この家でも。町がかつての遠慮のない「長屋」に変わっていく

▼世の中、価値観が複雑に分かれ、いいたくはないが、「格差」なんかもあって幸せの分量を上手に分け合えない。心通わせにくい、ばらばらな日本にあって同じ楽しみを共有し、同じ方角に顔を向けられる機会がいとおしい。懐かしい

▼普段、何をし、何を考えているのか分からぬ人たちの「いいえ、あなたと同じ人間ですよ」という声。同じ時代、場所で呼吸をし、似たような悩みを抱えた人間同士であることを再認識する

▼試合結果は仕方あるまい。世界の壁は厚い。それにコートジボワールの街角でも心を重ねた市民の大声援があったに違いない。


☆ 今日は蒸し暑いです。水分を補給をしましょう。今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 05:51Comments(0)

2014年06月16日

今日のコラム

☆ 6月16日 ケーブルテレビの日 お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆


常識を破る松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

 私たちを取り囲んでいる常識というものは、想像をはるかに越す根強さを持っています。しかし私たちは、その常識を尊ぶとともに、ときには常識から自分を解放することが必要だと思います。そしてそのためには、やはり強い熱意が要請されます。熱意のたぎっているところ、人は必ず新しい道を開きます。常識では考えられないことをやってのけ、運命を切り開き、新しい発明発見をします。常識を破るのです。

 常識は大事であり、破るがために常識をはずれたことをするのは、世の中を乱し、周囲に迷惑を及ぼすだけです。そうではなくて、熱意の発するところには、次つぎと新しい着想が生まれ、必然的に常識が破られていくのです。

【コラム】筆洗

2014年6月15日東京新聞TOKYOWeb

▼「私は夕焼の空に無数に交錯するキャッチボールを見た」。劇作家の寺山修司さんが戦後の「キャッチボール」について書いている。「それはどんなに素晴らしい会話よりももっともっと雄弁に見えたし、どんなに長い握手よりももっともっと手をしびれさせたものであった」

▼サッカー一色の日に野球で書き出す無粋をお許し願いたい。それでも「父の日」に似合うのは野球やキャッチボールではないか

▼米大リーグの黒人選手が減っている。二〇一三年開幕時の出場選手登録に占める黒人の割合は8・3%。一九八四年の18・4%から、大きく後退している

▼理由は黒人の貧困問題にも関係している。バスケットボールに比べて野球にはカネがかかる。フットボールやバスケットボールの方が高額な大学奨学金を得やすい

▼「父親不在」。こんな理由もある。米研究者によると都市部の黒人の子に野球を教えるはずの父親がいないという。離婚率の高さ。子とボールを投げ合う人間がいない。野球へのとば口がない

▼気のせいならばいいが、日本でもキャッチボールをする父と子を昔ほど見掛けぬ。投げ合って学ぶのは野球の技術だけではなかろう。捕りやすいように。ほらこれは捕れるかい。へえ、ずいぶんと力がついたじゃないか。投げ合うのは気持ち。「夕焼の空に無数に交錯するキャッチボール」。無性に見たくなる。

☆ 昨日のカープ

カープVメール

15日QVCマリンフィールド、カープ8―5ロッテ、勝ち投手小野1勝1敗、セーブ・ミコライオ12S、本塁打天谷1号、エルドレッド21号、中東1号 詳しくは中国新聞朝刊で

久しぶりの勝ちです。今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
 
  

Posted by kazu at 05:21Comments(0)

2014年06月15日

今日のコラム

☆ 6月15日 暑中見舞いの日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

6月15日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

批判はあとでよい

 賢い人は、ともすれば批判が先に立って目前の仕事に没入しきれないことが多い。このためせっかく優れた頭脳と知恵を持ちながら、批判ばかりして、結局は簡単な仕事も満足にできないことがある。ところが逆に、人が見ればつまらないと思われるような仕事にも「バカの一つ覚え」と言われるぐらいに全身全霊を打ち込む人がいる。この姿は全く尊く、見ていても頭が下がる。

 仕事に成功するかしないかは第二のこと、要は仕事に没入することである。批判はあとでよい、とにかく一心不乱になることだ。こうした努力は必ず実を結ぶと思う。そこからものが生まれずして、いったい、どこから生まれよう。


【コラム】筆洗

2014年6月14日東京新聞TOKYOWeb

▼英国の名門イートン校の生徒手帳にはかつて、こんな心得が記されていた。「爆撃・爆破の警報が出た場合の対処法 建物が近くにある場合は、すぐ中に退避せよ。室内にいる場合は、飛散するガラスを避けるため窓を開けカーテンは閉めよ。運動場にいる場合には、試合を続行せよ」

▼さすがはサッカーやラグビーなど雨天決行のスポーツを生んだ国。いったん試合に臨めば、それこそ雨が降ろうが槍(やり)が降ろうが闘いに集中せよということか

▼名作『一九八四年』などの作者ジョージ・オーウェルもこの名門校の卒業生で、こんな言葉を残している。「スポーツの真剣勝負とは、銃撃なき戦争だ」。その銃撃なき戦争が、時として銃撃を止める力を持つ

▼ついに開幕したサッカー・ワールドカップで、あす日本代表が初戦を戦うコートジボワールは、長く宗教や地域対立が複雑に入り組んだ内戦に苦しんできた。同国代表が初のW杯切符を勝ち取った時、ドログバ選手は和平への思いを語り、国民の心を動かしたそうだ

▼「私たちはこの国の人々がともに生き、同じゴールに向かいプレーできることを証明した。次は皆さんがやってみせてください。武器を置いてください」

▼直径二十二センチほどのボール一つが、直径一万二千七百キロの惑星の人々の目をくぎ付けにし、心を動かす。宇宙人が見たら、不思議な球に見えるに違いない。


☆ 2014FIFAワールドカップ 日本第1戦始まりですね、皆さんで応援しましょう。今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:17Comments(0)

2014年06月14日

今日のコラム

☆6月14日勝鬨橋の完成。
お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います ☆


6月14日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

サービスできる範囲で商売を

 どんないい商品があっても、サービスがそれに伴わなかったら、これはお客様にほんとうに満足していただけないと思います。むしろ、サービスに欠けるところがあったならば、お客様の不満を招き、かえって商品自体の信用を落とすことにもなりかねません。だからサービスとは、ある意味では製造なり販売に優先するほどのものだとも考えられます。

 サービスというものは、どんな商売にもつきものであり、したがっていかなる場合でも、完全なサービスのできる範囲で商売をしていくことが大切だと言えます。そういう経営の姿勢からこそ、堅実な商売の発展がもたらされてくると思うのです。


【コラム】筆洗

2014年6月13日東京新聞TOKYOWeb

▼古代ギリシャの哲人アリストテレスは、「ウナギは大地のはらわたから生まれる」と考えたという。日本では、山芋がウナギになるという言い伝えがあった。なるほど、どちらもぬるぬるとつかみがたく、食べれば精がつく

▼美濃出身の僧で落語の祖とされる安楽庵策伝は『醒睡笑』にこんな話を書いた。肉食を禁じられた僧がウナギを割いて食べようとしているところを人に見られてしまった。僧の言い訳は「山の芋を汁にして食べようと取り寄せたら、見る見るうちに、ウナギになってしまって…」

▼国際自然保護連合が、ニホンウナギを絶滅危惧種に登録した。それこそウナギのぼりに値が上がってから、すっかり縁遠くなってしまったウナギではあるが、「近い将来、絶滅の危険性がある」と聞けば、何とも心苦しくなる

▼古来解けぬ謎だったニホンウナギの産卵現場を突き止めた生物学者の塚本勝巳さんは、今の大量消費ぶりは「シーラカンスの回転ずしや、トキの焼き鳥」みたいなものだと言い、「十年ぐらい成魚も稚魚も捕るのを我慢しないと本当に危ない」と、警告する

▼絶滅危惧種に登録されても、それだけで売買が禁止されるわけではないが、このまま減り続ければ、それこそ禁制品になってしまうかもしれぬ

▼禁じられたウナギに手を出して、「いや山の芋を…」と言い募る羽目になっては笑い事ではない。

☆ 今朝は太陽が眩しいです。今日は、亡き母の3回忌 命日です。早いですね
お花でも買って供養しようと思います。今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 05:57Comments(0)

2014年06月13日

今日のコラム

☆ 6月13日(金)今日は 小さな親切の日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

6月13日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

寛厳よろしきを得る

 指導者はいわゆる寛厳よろしきを得ることができるよう心がけることが大事だと思う。

 やさしさばかりでは、人びとは安易になり、成長しない。厳しさ一方でも、畏縮してしまい、のびのびと自主性を持ってやるという姿が生まれてこない。だから寛厳よろしきを得ることが大切なわけであるが、ただこれは、厳しさと寛容さを半々に表わすということではない。厳しさというものはなるべく少ない方がいい。二十%の厳しさと八十%の寛容さを持つとか、さらには十%は厳しいが、あとの九十%はゆるやかである、しかしそれで十分人が使えるというようなことが一番望ましいのではないだろうか。

【コラム】筆洗

2014年6月12日東京新聞TOKYOWeb

▼作家水上勉さんの小説『ブンナよ、木からおりてこい』(新潮文庫)にこんな場面がある。鳶(とび)に雀(すずめ)と鼠(ねずみ)が捕獲され、高い木の上に放置されている。いずれも死にかけており、お互いの身の上に同情し合っている

▼鳶が戻ってくる。どちらかが殺される。鼠が叫ぶ。「小雀がいる。おい順番にしてくれよ」。雀が金切り声を上げる。「鼠のほうが先だよオッ。助けてェ助けてェ」。さっきまで同情していた両者が恐怖で相手を売る

▼十一日の安倍首相と民主党の海江田さんの党首討論。集団的自衛権の行使についての「大一番」だったが、海江田さんの出来は良かったとはいえまい

▼首相は恐怖の理論で押してくる。言い方は慎重だが、強調しているのは中国と軍事衝突があるかもしれぬ、北朝鮮がミサイルを発射するかもしれぬ、鳶が襲ってくるかもしれぬ、であって「さて、それを防ぐためには…」という論法である

▼雀と鼠ではないが、恐怖を目の前にすれば、何をやっても逃れたい、備えたいと考えるもので、いわば「本性」を海江田さんはなかなか崩せない

▼拙速と主張しても恐怖を覚える人は耳を貸さぬ。歴史の教訓を持ち出してみても理解されぬ。「鳶は本当に来るのか、鳶と関係を改善する方法はないのか」。まず恐怖を疑い、別の道を考える発想が民主党にも見えない。かくして恐怖は拡大していく。それが恐ろしい。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 05:49Comments(0)

2014年06月12日

今日のコラム

☆6月12日 バザー記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います☆


6月12日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

公明正大

 後漢の時代に、高潔をうたわれた楊震という政治家がいた。この人がある地方の太守として赴任していったところ、たまたま以前に引き立ててやった王密という人が夜分に訪ねてきて、大枚の黄金を揚震に贈ろうとした。楊震が受けとるのを断わると、王密は「こんな夜中で、この部屋には私たち二人しか居ないのですから、誰にもわかりませんょ」と言った。そのときに揚震は「誰も知らないと言うが、君と私自身が知っているではないか」こう言ったという。

 他人が知っているということよりも、まずみずからの心に問うて、やましいところがないか、公明正大であるかということが大切だと思うのである。


【コラム】筆洗

2014年6月11日東京新聞TOKYOWeb

▼麦秋は秋ではなく、麦が実った初夏の今時分を指す。秋、あきという言葉には本来、収穫期との意味があるという

▼小津安二郎監督の「麦秋」(一九五一年)。家族の別離を描いた映画のラストシーンは六月の麦畑だった。娘が遠方に嫁ぎ、大家族が離れて暮らすことになった寂しさ。その一方で親としてひと仕事を終えたという安堵(あんど)の気持ちもある。だから収穫期の「麦秋」なのだろう。「紀子、どうしているでしょう」「…みんな、はなればなれになっちゃったけど…しかしまあ、あたしたちはいい方だよ…」

▼「麦秋」の冒頭は賑(にぎ)やかな家族の朝食の場面である。六歳の男の子が顔を洗わずにちゃぶ台に着いて叔母(原節子)に叱られる場面が楽しい

▼二〇一三年度版の食育白書によると朝食を家族で食べるという人の割合が五割を切った。夕食でさえ56%と過去最低である

▼政府は「家族の生活様式の変化」と分析するが、事態はもっと深刻かもしれぬ。ただでさえ「少人数」になった家族が食事を共にしない。それは家族で話をしないということでもあろう。団欒(だんらん)、団居(まどい)が失われた時に人はどこで心の澱(おり)を洗うのか

▼大家族から核家族、現在では独居へ時代は歩みを進める。昭和の大家族を懐かしんでも仕方がないが、家族でメシを食わぬのが「現在」なら、戦後以降、日本人は何を収穫するため頑張ってきたのだろう。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:11Comments(0)

2014年06月11日

今日のコラム

☆ 6月11日(水)傘の日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います☆


6月11日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

小田原評定では……

 多くの会社では決起大会をやり、反省すべき点や、今後の目標を確認しあいます。しかしそれも、こうしなければならないということはわかった、というだけではいけない、実行がなければいけません。実行ができない限りは、百の決起大会を行なっても、それは費用を使うだけ、時間を使うだけに終わってしまいます。

 昔の話に小田原評定ということがあります。大軍が攻めてくるということに対して、小田原城の人は、評定に明け評定に暮れてついに負けてしまったという話です。それではいけない、評定は一回でよい、あとは実行だ、そうしてこそ、はじめて成果をあげられるのです。一にも実行、二にも実行です。

【コラム】筆洗

2014年6月10日東京新聞TOKYOWeb

▼どんなものでも、たべつくす、鳥も、獣も、木も草も。鉄も、巌(いわお)も、かみくだき、勇士を殺し、町をほろぼし、高い山さえ、ちりとなす」。いったいこれは、何か。英作家トールキンの『ホビットの冒険』の中に出てくる、有名な「なぞなぞ」

▼答えは「時間」。なるほど時の流れという「怪物」にはどうやっても勝てぬ。万物はやがて朽ち果てる。十日は時の記念日

▼人類の技術進歩は時間という怪物との闘いの成果か。同じ時間内にどれだけ移動できるか、製造できるか、情報を伝えられるか、エネルギーを生産できるか。技術で効率を高めることで怪物の目をかいくぐることができる

▼米映画「イージー・ライダー」(一九六九年)。主人公がバイクで旅に出る直前、腕時計を無言で投げ捨てる場面がある。定められた時間、追い立てるような社会から解き放たれたいというメッセージだったのだろう

▼映画から四十五年経過するが社会に変化はない。むしろ生産性、時間効率という足枷(あしかせ)はより重くなっている。のんびりしていると叱られる

▼仕方があるまい。そうやって皆、生きている。それでも「時を忘れる」方法はある。ボーッとする。季節の花を見る。それぐらいのぜいたくが許されないはずはない。時間とずっと角突き合わせていては身も心も持たない。息をひとつつく。「怪物」と付き合うコツかもしれぬ。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆

  

Posted by kazu at 05:32Comments(0)