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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年04月20日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います。☆

4月20日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

信頼すれば……

 人を使うコツはいろいろあるだろうが、まず大事なことは、人を信頼し、思い切って仕事をまかせることである。信頼され、まかされれば、人間は嬉しいし、それだけ責任も感じる。だから自分なりにいろいろ工夫もし、努力もしてその責任を全うしていこうとする。言ってみれば、信頼されることによって、その人の力がフルに発揮されてくるわけである。

 実際には百%人を信頼することはむずかしいもので、そこに、まかせて果たして大丈夫かという不安も起こってこよう。しかし、たとえその信頼を裏切られても本望だというぐらいの気持があれば、案外に人は信頼にそむかないものである。


コラム】筆洗

2014年4月19日 東京新聞TOKYOWeb

▼新天地に切り開かれた町マコンドは、不思議な病気に襲われた。伝染性の不眠症だ▼病人は不眠に慣れるにつれ、より危険な症状にさいなまれるようになる。まず幼年時代の思い出がその脳裏から消え、次に人や物の名が消えていく

▼失(う)せゆく記憶を補うため、町中の物に名が記されるようになる。<机><壁><時計><牝牛(めうし)>…。しかしついには名を思い出せても、用途を思い出せないようになる。牝牛にこんな札がぶら下げられる。<コレハ牝牛デアル。乳ヲ出サセルタメニハ毎朝シボラナケレバナラナイ…>

▼全世界で三千万部を超えたベストセラー『百年の孤独』(鼓直(つづみただし)訳、新潮社)の一場面だ。記憶力を失ったマコンドの人々は、書かれた言葉の意味が忘れられれば消えうせてしまうような、はかない現実を生きることになる

▼言葉とは何か、記憶とは何か。深層心理まで揺さぶるような名作を生んだノーベル賞作家、ガルシア・マルケス氏が、八十七歳で逝った。作家の弟は二年前、こう明かしていた。「彼は記憶力に問題を抱えている。うちの家系は認知症にかかりやすいのだ」

▼記憶を失い、筆を執ることをやめた作家の頭の中で、どんな物語が明滅していたのか。それは知る由もないが、彼の書いた物語の数々はいつまでも読み継がれるだろう。幻の町マコンドは、人々の想像力によって、存在し続けるはずだ。

昨日のカープ
19日横浜、カープ7―1DeNA、勝ち投手久里2勝、本塁打丸4号、堂林4号 詳しくは中国新聞朝刊で
今日もカープを応援しています。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆


  

Posted by kazu at 06:07Comments(0)

2014年04月19日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います。☆


4月19日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
社会人としての義務

 われわれお互いが、みずから進んで常識を豊かにしてゆくとか、仕事の力をさらに高めてゆくということは、もちろん自分自身のためではありますが、それは同時に、社会に対する一つの義務でもあると思います。たとえば、われわれの社会で、すべての人が一段ずつ進歩したとするならば、社会全体も一段向上します。ところが他の人がみな三段進歩したのに自分は一段も進歩しなければ、社会全体の平均の段数は三段上がらないことになります。自分ひとりのために全体の水準の向上が犠牲になるわけです。

 われわれは、このような社会人としての義務感をしっかり認識し、日々努めなければならないと思います。


【コラム】筆洗

2014年4月18日 東京新聞TOKYOWeb

▼ケニアの朝、五時三十分。十一歳のジャクソン君と四つ下のサロメちゃんを、父は祈りを捧(ささ)げて送り出す。「無事学校に着きますように。我が子に祝福あれ」▼兄妹の通学路は道なきサバンナだ。「象を見たら、絶対近づくな。自分に向かって来たら、全力で逃げろ」という父の教えを胸に、慎重に象の群れの動きを見極めながら小走りで学舎に向かう。片道十五キロ、二時間の道のりだ

▼東京などで上映が始まったフランス映画『世界の果ての通学路』は、アフリカやインドなど四カ国で、何時間もかけて学校に通う子どもたちを克明に追ったドキュメンタリーだ

▼無人の荒野に断崖絶壁の山道…。彼らにとって通学とは、五感を研ぎ澄ませ、人と人の関わりを探りつつ進む冒険だ。学校に行き勉強すれば、未来への道が開
ける。そう信じひたすら歩く姿は、学ぶことの楽しさ、素晴らしさを改めて教えてくれる

▼世界中の通学路に立ちはだかる最大の危険は、猛獣ではなく貧困である。日本でも、あしなが育英会が奨学金を使う家庭に聞いたところ、就職希望の高校生の半数以上が家計のため進学を断念していると分かった。もっと学校で学びたいと思いながらも、その道を貧困の壁に阻まれている

▼週末から全国の街角で就学支援のためのあしなが学生募金が始まる。未来へとつながる通学路が、一本でも多く開かれるといい。


昨日のカープ

カープVメール
18日横浜、カープ11―2DeNA、勝ち投手篠田1勝1敗、本塁打丸3号、菊池2号、堂林3号、エルドレッド6号、石原1号 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように。☆

  

Posted by kazu at 06:14Comments(0)

2014年04月18日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

4月18日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

寝食を忘れて

 よく「寝食を忘れて打ち込む」と言いますが、自転車用のランプを造ったときの私は、まさにそんな状態だったように思います。しかし、つらいとか苦しいといったことは少しも感じませんでした。それはやはり私が、それまでの自分の体験なり世の人びとの姿から、このままでは不便だ、何とかより便利なものを造り出したいという強い願いを持ち、と同時に私が、そのような仕事が非常に好きだったからだと思います。「必要は発明の母」という言葉がありますが、新しい物を生み出すためには、その必要性を強く感じ、その実現のために一生懸命打ち込むことが大切だと、そのとき、しみじみと感じました。


【コラム】筆洗

2014年4月17日 東京新聞TOKYOWeb

▼椿事(ちんじ)、珍事とは予想外の出来事という意味で、本来、季節とは無縁であろうが、春に限ってよく使われる。「春の珍事」に比べて夏、秋、冬の珍事とはあまり聞かない

▼木へんに春の「椿」だから、春なのか。どうも一本の映画とも関係がある。米映画「春の珍事」は一九四九年(日本公開は翌年)の野球映画である

▼大学の化学教授が木材を避ける性質のある薬品をたまたま発見する。これを指に付けてボールを投げれば、どんな強打者も打てない。薬の効果でボールが木製のバットから逃げるからである。教授は大リーグに入団して活躍するが…。そんな筋立てである

▼英語の原題は「どんな春にも起こること」。野球の開幕直後、予想もしなかった球団や選手が好調な滑り出しをみせた場合に、新聞が「春の珍事」と書くようになったのはこの映画の影響があろう。それが定着し、珍事といえば、「春」となったのか。「珍説」ではないだろう

▼今シーズンでいえばオリックスの快進撃だが、最大の「春の珍事」は飛びすぎるボールである。例の教授が投げる「魔球」とは大違いで昨年よりも二・五メートルほど飛ぶというから投手はたまったものではない

▼ゴム芯を巻く毛糸が乾燥し反発係数が高くなってしまったという。ボールは繊細で管理が難しいそうだが、統一球の騒ぎはこれで二年連続。「珍事」とはもう呼べないだろう。


今日は何の日「発明の日。

昨日のカープ

 カープVメール
17日マツダスタジアム、カープ8―2阪神、勝ち投手バリントン2勝2敗、本塁打エルドレッド5号 詳しくは中国新聞朝刊で


☆ 今朝は久しぶりの雨です。
皆さまにとって今日も良い一日でありますように。☆

  

Posted by kazu at 06:24Comments(0)

2014年04月17日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います。☆

4月17日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

人をひきつける魅力を持つ

 指導者にとって、きわめて望ましいことは、人をひきつける魅力を持つということだと思う。指導者に「この人のためには……」と感じさせるような魅力があれば、期せずして人が集まり、またその下で懸命に働くということにもなろう。

 もっともそうは言っても、そうした魅力的な人柄というものはある程度先天的な面もあって、だれもが身につけることはむずかしいかもしれない。しかし、人情の機微に通じるとか、人を大事にするとかいったことも、努力次第で一つの魅力ともなろう。いずれにしても指導者は“ひきつける魅力”の大切さを知り、そういうものを養い高めていくことが望ましいと思う。


【コラム】筆洗

2014年4月16日東京新聞TOKYOWeb

▼りゃんこ」とは武士を意味する。りゃんは「両」で両刀や二本差しにつながる。町民が武士をあざけって呼んだ

▼「りゃんこ」とからかわれようとも無論、刀は武士の魂で肌身から離すべきものではない。小林正樹監督の映画「切腹」(一九六二年)。貧しさから刀を売ってしまった浪人が竹みつで切腹を迫られる。切れぬ竹みつで何度も腹を突くシーンが痛ましい

▼「りゃんこ」ではないが、若い時にカメラをいつも持ち歩けと指導された。町中や通勤電車。いつ何が起こるか分からないのでその瞬間に備えよ。もっともではあるが、そんな場面に遭遇することはまずないのである

▼ニューヨーク・タイムズのカメラマン、タイラー・ヒックスさん(44)にはその時がやってきたということか。ナイロビ市内で買い物していた。銃声が聞こえた。武装集団が昨年九月、ショッピングモールを襲撃した事件に出くわした

▼奥さんが専用カメラを取りに戻る。その間ヒックスさんはいつも携えていた小型カメラで撮影した。写真には現場の緊張と恐怖がこもる。ある一枚。兵士が銃を構えている。その脇に赤ちゃん用のローションの棚がある。その対比。日常や平和は一瞬にして壊れる。写真が不気味な警告音を鳴らす

▼ヒックスさんの写真は十四日、ピュリツァー賞の速報ニュース写真部門に輝いた。瞬間に備えた者への褒美である。



昨日のカープ。
16日マツダスタジアム、カープ3―1阪神、勝ち投手大瀬良1勝1敗、セーブ・ミコライオ6S 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 06:20Comments(0)

2014年04月16日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います。☆

4月16日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

文明の利器は人類の共有財産

 私は、人類の生み出したさまざまな利器は、それが誰によって発明され、どこの国で開発されたものであっても、原則としては人類全体で分け持つべきであり、正しく生かし合うべきだと考えている。つまりそれらは人類の共有財産なのであって、その価値を国境を越え、人種を越え、あるいは時代を越えて分かち合おうと願うのは、これは人間として当然持つべき心情であり、社会的態度だと思う。

 衆知を生かし合い、協力して共同生活を高めていくところに、人間本来のすぐれた特性がある。そのことをお互いに自覚実践することなくして、自他ともの繁栄、平和、幸福は求められないであろう。


【コラム】筆洗

2014年4月15日 東京新聞TOKYOWeb

▼映画作品に登場する、最高のヒーロー、英雄は誰か。全米映画協会(AFI)が二〇〇三年に選出したことがある。一位が誰だか分かるだろうか▼インディ・ジョーンズも、スーパーマンも外れである。正解は、「アラバマ物語」(一九六二年)の弁護士アティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)である。米国ではもちろん、日本でも評価は高いが、派手なアクションがある作品ではない

▼一九三〇年代、米南部アラバマ州の架空の町。黒人への根深い差別がbeある。フィンチは無実の黒人容疑者の弁護を引き受ける。妨害、いわれなき批判。それでもフィンチは闘い続ける

▼「英雄」の条件は腕力でも、もちろん銃の腕前でもない。絶望的な状況においてもあきらめぬ姿勢こそが「英雄」の名に値する。フィンチが一位に選ばれた理由もそこにあるのだろう

▼十三日、米カンザス州のユダヤ系施設で、銃撃事件があった。三人が殺された。逮捕された男は、白人至上主義者クー・クラックス・クラン(KKK)の元幹部と地元紙が伝えている。ユダヤ系住民への差別に根差したヘイトクライムの可能性が高い

▼事件のあった施設内の劇場ではこの日、「アラバマ物語」の芝居が上演される予定だった。「人を理解するには、その人の靴を履いて歩け」。映画の名ぜりふだが、容疑者の靴を履いてもその心を理解できそうもない。


☆ 今日も皆さまにとて良い一日でありますように ☆
  

Posted by kazu at 06:17Comments(0)

2014年04月15日

今日のコラム

☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。☆

4月15日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

ガラス張り経営

 私はいわば“ガラス張り経営”とでもいうか、経営なり仕事のありのままの姿を社員に知ってもらうという方針でやってきた。それによって全員が経営しているのだという意識がごく自然に生まれ、自分の自主的な責任において仕事をしていくという好ましい気風がでてきたように思う。また人もおのずと育つということにもなった。

 そういうことを考えてみると、やはり従業員に対してはその時どきの方針はもちろん、経営の実態についても、できるだけ秘密を少なくして、いいことにせよ、悪いことにせよ、いろいろ知らせるようにしてゆくことが望ましいし、大切なことだと思う。


【コラム】筆洗

2014年4月13日 東京新聞TOKYOWeb

▼強い権限を持つ米大統領といえども、すべて思いのままになるわけではない。アイゼンハワー大統領は一本の松を切ることさえできなかった

▼米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC。ゴルフのマスターズ・トーナメントが開催中である。十七番ホール(四百四十ヤード・パー4)の中間。フェアウエー上にその木はあった

▼アイゼンハワーはホワイトハウス内にグリーンを造成したほどのゴルフ好き。オーガスタの会員でもあったが、高さ二十メートルのこの松に、悩まされ続けた。一打目が松に当たってしまうのだ

▼「切ってしまおう」。腹を立てた大統領はこう提案した。もちろんクラブ側は拒否した。それが十七番ホールである。大統領でも勝手な主張は認められない。この二月の大雪の被害で、ついに切られてしまったが、長く「アイクの木」として愛され、名物になっていた

▼夜の通勤電車。真新しい背広の青年が口を開けて眠っている。四月入社の若者も疲れがたまる時期だろう。大変な仕事。厳しい上司。「アイクの木」だと考えるしかない。腹を立てても仕方がない。プレーを続けよう。未熟さをたくましさに変える木。攻略法もいずれ見つかるはずだ

▼「あの木にはよく当てたが、なくなって寂しい」。マスターズ優勝六回の帝王ジャック・ニクラウスは語った。苦労はやがて感謝と懐かしさに変わるものと信じる。


☆ 今日は良い天気です。皆さまにとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 07:07Comments(0)

2014年04月14日

今日のコラム

☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。☆

4月14日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

知識は道具、知恵は人

 知識と知恵。いかにも同じもののように考えられるかもしれない。けれどもよく考えてみると、この二つは別のものではないかという気がする。

 つまり、知識というのはある物事について知っているということであるが、知恵というのは何が正しいかを知るというか、いわゆる是非を判断するものではないかと思う。言いかえれば、かりに知識を道具にたとえるならば、知恵はそれを使う人そのものだと言えよう。お互い、知識を高めると同時に、それを活用する知恵をより一層磨き、高めてゆきたい。そうしてはじめて、真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。


筆洗 東京新聞TOKYOWeb

2014年4月13日

▼強い権限を持つ米大統領といえども、すべて思いのままになるわけではない。アイゼンハワー大統領は一本の松を切ることさえできなかった

▼米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC。ゴルフのマスターズ・トーナメントが開催中である。十七番ホール(四百四十ヤード・パー4)の中間。フェアウエー上にその木はあった

▼アイゼンハワーはホワイトハウス内にグリーンを造成したほどのゴルフ好き。オーガスタの会員でもあったが、高さ二十メートルのこの松に、悩まされ続けた。一打目が松に当たってしまうのだ

▼「切ってしまおう」。腹を立てた大統領はこう提案した。もちろんクラブ側は拒否した。それが十七番ホールである。大統領でも勝手な主張は認められない。この二月の大雪の被害で、ついに切られてしまったが、長く「アイクの木」として愛され、名物になっていた

▼夜の通勤電車。真新しい背広の青年が口を開けて眠っている。四月入社の若者も疲れがたまる時期だろう。大変な仕事。厳しい上司。「アイクの木」だと考えるしかない。腹を立てても仕方がない。プレーを続けよう。未熟さをたくましさに変える木。攻略法もいずれ見つかるはずだ

▼「あの木にはよく当てたが、なくなって寂しい」。マスターズ優勝六回の帝王ジャック・ニクラウスは語った。苦労はやがて感謝と懐かしさに変わるものと信じる。

昨日のカープ 雨で中止です。
☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように。☆ 

  

Posted by kazu at 06:26Comments(0)

2014年04月13日

今日のコラム

☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。☆

4月13日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

運命を生かすために

 サラリーマンの人びとが、それぞれの会社に入られた動機には、いろいろあると思う。中には何となく入社したという人もあるかもしれない。しかしいったん就職し、その会社の一員となったならば、これは“あただ何となく”ではすまされない。入社したことが、いわば運命であり縁であるとしても、今度はその上に立ってみずから志を立て、自主的にその運命を生かしていかなくてはならないと思う。

 そのためにはやはり、たとえ会社から与えられた仕事であっても、進んで創意工夫をこらし、みずからそこに興味を見出してゆき、ついには夢みるほどに仕事に惚れるという心境になることが大切だと思う。

【コラム】筆洗

2014年4月12日 東京新聞TOKYOWeb

▼書き出しは、難しい。「国境の長いトンネルを抜けると…」のように光景描写で始めるか、心情吐露で始めるか。「吾輩は猫である」と一人称でいくか、「メロスは激怒した」のように三人称にするか。そこには、書き手の覚悟が潜んでいる

▼作家の中村邦生さんは古今の名作の第一段落を吟味した『書き出しは誘惑する』(岩波書店)で記している。<書き出しとは、脈どころであり、ツボである。丁寧に触診すれば作品の心臓部の働きを感じとることができるであろう>

▼では、この一文はどうだろうか。<震災前に描いてきたエネルギー戦略は白紙から見直す。原発依存を可能な限り低減する。(原発事故で)被災された方々の心の痛みにしっかりと向き合い、寄り添い、福島の復興・再生を全力で成し遂げる>。これは、政府の「エネルギー基本計画(案)」の書き出しだ

▼だが、きのう閣議で最終決定された「計画」で第一段落はこう変えられていた。<我が国は、エネルギー源の中心となっている化石燃料に乏しく、その大宗(たいそう)を海外からの輸入に頼るという根本的な脆弱(ぜいじゃく)性を抱えており…国内外の状況の変化に大きな影響を受けやすい構造を有している>

▼これら二つの書き出しのどちらに、未来に向けたエネルギー政策の脈動を感じるか。事故への反省と再生への覚悟がにじむか

▼これは単なる文章術の問題ではない。


昨日のカープVメール
12日マツダスタジアム、カープ5―0中日、勝ち投手前田健2勝 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように。☆
  

Posted by kazu at 06:20Comments(0)

2014年04月12日

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います。☆

4月12日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

 人間は、ときに迷ったり、おそれたり、心配したりという弱い心を一面に持っている。だから、事を成すに当たって、ただ何となくやるというのでは、そういう弱い心が働いて、力強い行動が生まれてきにくい。けれども、そこに一つの使命を見出し、使命観を持って事に当たっていけば、そうした弱い心の持ち主といえども、非常に力強いものが生じてくる。

 だから指導者は、つねに事に当たって、何のためにこれをするのかという使命観を持たねばならない。そしてそれをみずから持つとともに、人びとに訴えていくことが大事である。そこに“千万人といえども我ゆかん”の力強い姿が生まれるのである。


【コラム】筆洗

2014年4月11日 東京新聞TOKYOWeb

▼ちょうど二百年前の春、ウクライナの農村で、男の子が産声を上げた。タラス・シェフチェンコは農奴として生まれ、才能を認められて自由の身となったが、政治犯として流刑に。四十七年の生涯のうち、本当に自由だったのはわずか九年。そういう人生を歩んだ詩人だ

▼<ドニエプルの流れが/ウクライナから 敵の血を/青い海へと 流し去ったら/そのときこそ 野も山も/すべてを捨てよう。/神のみもとに 翔(か)け昇り/祈りを捧(ささ)げよう…だがそれまでは/わたしは神を知らない>

▼こういう詩を読めば、かの国で民族主義が高揚すればするほど、帝政ロシアの圧政の下、ウクライナ語で民族の悲劇と自由への渇望をうたったその名の輝きが増す理由が分かる▼だが、彼はこんな詩も書いている。<なんのために 槍(やり)でロシア兵の肋骨(ろっこつ)を/犂(す)き返すようなことをしたのか。種を蒔き、/血で潤し、/サーベルで均(なら)した。/畑には 何が生えてきただろう。/芽生えたのは 毒草だ。/わたしたちの自由を損なう 毒草だった>

▼これらの詩を訳したシェフチェンコ研究家の藤井悦子さんは「ウクライナ人が真に自立し、解放されるためには、他民族との共存が不可欠なのだと、彼は考えたのではないでしょうか」と話す

▼隣人を憎む民族主義は、自らを害す毒草。きな臭さが増すばかりのかの地に、毒草が広がっているのか。

昨日のカープVメール
11日マツダスタジアム、カープ4―3中日、勝ち投手バリントン1勝2敗、セーブ・ミコライオ5S 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆  

Posted by kazu at 06:26Comments(0)

2014年04月11日

今日のコラム

2014年 4月11日
☆ おはようございます。今日もお立ちよりありがとうございます。☆

4月11日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

夢中の動き

「この観音さまはノミがつくってくれた。自分は何も覚えていない」というのは、版画家、棟方志功さんの言葉である。私はたまたまこの棟方さんが観音さまを彫っておられる姿をテレビで拝見し、その仕事に魂というかすべてをつぎ込んでおられる姿に深く心を打たれた。一つ一つの体の動きが意識したものでなく、まさに“夢中の動き”とでもいうか、そんな印象を受けたのである。その姿から、人間が体を動かしてする作業というものの大切さをつくづくと感じさせられた。

 機械化に懸命な今日だからこそ、魂の入った作業というものの大切さを、お互いに再認識する必要があるのではないだろうか。


【コラム】筆洗

2014年4月10日

▼二十四節気でいえば清明の五日も過ぎたが、二月の話をお許しいただきたい。立春の日に限り、卵をぴたっと立たせることができるという説がある。「立春立卵」説という

▼殻をちょっと割って、立たせる「コロンブスの卵」とは違う。種も仕掛けもない、卵を立たせる。この現象を調査するため、一九四七年の立春の日、東京、上海、ニューヨークの各地で実験が行われた

▼いずれの場所でも卵はなるほど、ちゃんと立った。地球の自転との関係か。寒さで卵の中身が変化し、重心が下がるのでは。立春の不思議な現象にそんな分析も出た

▼物理学者の中谷宇吉郎(なかやうきちろう)はこれを疑って、自分で試してみた。立春は過ぎていたが、ちゃんと卵は立ったのである。「なあんだ」。根気はいるが、卵は本来立つものなのだ。『立春の卵』に書いている

▼人は卵は立たないと思い込んでいた。試した人もいなかったのだろう。「卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである」

▼STAP細胞の話である。小保方さんが立てた、卵が疑われている。「STAP現象は何度も確認された真実」「二百回以上作製した」。小保方さんの主張は分かるが、疑念は残る。公開で再実験して、みんなの目の前で卵をもう一度立てて見せるしかなかろう。成功すれば、「なあんだ」と納得できる。何の偶然か、明日は中谷博士の命日である。


☆ 今日も皆様にとって良い一日でありますように。☆
  

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