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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2014年03月11日

今日のコラム


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

3月11日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

塩の辛さはなめてみて……

 たとえば水泳の先生が、三年間講義をしたとします。それでその講義を受けた人がすぐ、泳げるかといいますと、必ずしも泳げないと思うのです。

 また、塩の辛さというものでも、塩をなめさせることをしないで、塩は辛いぞ、と言ってもわからないでしょう。塩の辛さはなめてみてはじめて、ああこれが塩の辛さやな、とわかるわけです。

 処世のコツとでも申しますか、お互いの人生において大切な事柄を会得するということも、事を行なって、そのやったことを、仔細に考え検討してゆくところから、はじめて可能になるのではないかと私は思います。


【コラム】筆洗

2014年3月10日東京新聞TOKYOWeb

▼作家の半藤一利さんは、「絶対」という言葉を使わない。一九四五(昭和二十)年の三月十日未明の東京大空襲で九死に一生を得て「二度と絶対という言葉を使うまいと誓った」という

▼戦争中「絶対日本が勝つ」「絶対神風が吹く」と「絶対」が氾濫した。「いかにむなしいものだったか」。東京は「戦場」だった。約三百機の米爆撃機。約三十三万の焼夷(しょうい)弾を東京の下町を中心に無差別に投下した。約十万人が死亡した

▼十日正午のラジオの「大本営発表」は「都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬(しゅめ)寮は二時三十五分、その他は八時ごろまでに鎮火」。軍部は被害を知っていた。十万人が殺されようとも「火災を生じたるも」である

▼あの「絶対」の中には「焼夷弾は絶対に消せる」もあった。消せない。作家の海野十三は日記に残している。焼夷弾の威力は強いが、「それを知らせては、誰も初期防火をしないので知らせてないのだ」

▼真面目な人が犠牲になる。「焼夷弾は消える。必ず消せと教えられていた。みんな、その通りにした。気がついた時は、逃げ道はなかった」(花森安治さん『戦場』)

▼シェークスピアは「記憶は精神の番人」と書いた。「番人」もやがて弱っていく。新しい番人には誰にだってなれるはずである。「戦で死にたくない。絶対に」と思うこと。この「絶対」なら許してもらえるだろうか。


【社説】東京新聞TOKYOWeb

3・11から3年 みんなが闘っている

2014年3月10日

 原発事故を抱えた町の再起がどれほど困難であるか。震災からの三年はそれを思い知らせる時間だった。闘う人々にずっと寄り添わなくてはならない。

 それは静かな時限爆弾のように胸底に沈み込み、あの戦争から七十年を経ても消えていなかった。

 福島県相馬市の診療所「メンタルクリニックなごみ」の精神科医、蟻塚(ありつか)亮二さん(66)は沖縄協同病院心療内科部長を務めていた二〇一〇年暮れ、長い診療経験にはない「奇妙な不眠」を訴える男性に立て続けに会った。
◆戦争の心の傷は70年も

 海外の論文を読みあさってみると、その不眠はアウシュビッツ収容所の生存者に見られた心的外傷後ストレス障害(PTSD)とそっくりだった。男性に聞くと、太平洋戦争末期の沖縄戦を生き延びた人だった。

 住民を巻き込んだ米国との激しい地上戦で、県民の四人に一人が犠牲になった沖縄の戦闘。その記憶は生き延びた者にとって深い心の傷となったのだ。

 二十年前からこの問題に取り組んできた元沖縄県立看護大教授、當山(とうやま)冨士子さん(66)と一緒に一昨年、沖縄戦を体験した高齢者四百人に調査をしたところ、PTSDを引き起こしかねない重度な心の傷を抱える人が四割もいた。

 蟻塚さんは不眠の高齢者を診ると、戦争の影響を疑うようになった。

 砲弾の雨の中を逃げた人、家族を失った人、住民が日本兵に殺されるのを目撃した人…。つらい記憶が長い年月の後に仕事を辞めたり、家族の死に遭うなどふとしたきっかけでよみがえる。

 夜中に何度も目覚め、パニックを起こしたりする。遺体の臭いを思い出すという人もいた。
◆沖縄の苦難に重なる

 戦後二十年たって行われた精神疾患に関する調査で、沖縄は本土に比べて統合失調症などを発症する割合が高かったというデータがある。

 それは戦争で負った心の傷が影響している。本土から切り離された米軍の統治下で、人権を踏みにじられながら貧困に苦しんだことや、今も続く基地と隣り合わせの生活など、つらい経験を重ねてきたことが発症のその引き金になった-。そう蟻塚さんはみている。

 沖縄の心の傷は原発事故で傷ついた福島の痛みに重なる。

 災害後の心のケアの重要性は阪神大震災や新潟県中越地震などの教訓として残された。

 東日本大震災後に有志の手で開かれた診療所に昨春、蟻塚さんが所長として招かれたのも、沖縄での経験を頼られてのことだ。

 毎月五十人の新患を受け入れ、五百~六百人の患者を診る。一割に震災や原発事故による遅発性のPTSDがみられるという。

 震災の日、運転していた車ごと津波に流された男性は転がった消防車と、泥に埋まった人の姿がよみがえるようになった。眠れずイライラし、妻に怒ってばかりいた。

 放射能を浴びてしまったと恐れ、息子と一緒に県外避難している母親は、突然不安に襲われるパニック症状に苦しんでいた。

 PTSDだけでない。仮設住宅の生活が長引いてうつ状態やアルコール依存になる人も急増している。

 知らない人間関係の中で刹那的になり「死んでもいい」とふと思う人が目立っているそうだ。

 東日本大震災によって今も二十七万人が避難生活を送る。そのうちの十四万人を占める福島がとりわけ厳しいのは、放射能汚染からの回復や、将来の生活の見通しが立たないことだ。

 福島はまた、震災関連死が千六百七十一人を数える。地震や津波で亡くなった直接死の千六百三人よりも多く、被災三県の半数を超えている。

 長い避難生活で体調を悪化させたり、各地を転々とするうちに治療が遅れたりしたせいである。

 自殺の多発も際立っている。

 福島から聞こえるのは悲鳴のようなシグナルだ。
◆フクシマを忘れない

 政府は低線量被ばくの問題から目を背けてきた。

 年間の被ばく線量について、一ミリシーベルトから二〇ミリシーベルトまで許容できると基準を緩め、原発周辺自治体への早期帰還を促そうとしている。東電も避難指示区域の見直しのたびに賠償を打ち切っている。見せ掛けの事故収束と復興を急いでいるようにしか思えない。

 政府や東電の不条理に遭っても、町の再建がどんなに困難であっても、人々は生き抜こうとしている。

 本土は戦後、基地の負担を押しつけられる沖縄の苦難を忘れてしまっていた。わたしたちは福島からの悲鳴に耳を傾ける。寄り添うことを忘れてはならない。

☆ 今日は、東日本大震災の日です。東京に居て遭遇しました、忘れることの出来ない出来事です。2時46分には被災で亡くなられた方に黙祷して祈ります。今日も寒いですが、皆様にとって良い一日で有りますように ☆
  

Posted by kazu at 06:57Comments(0)