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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2013年11月06日

今日のコラム


11月6日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

部下のために死ぬ

 経営者に求められるものはいろいろありましょうが、自分は部下のために死ぬ覚悟があるかどうかが一番の問題だと思います。そういう覚悟ができていない大将であれば、部下も心から敬服して、ほんとうにその人のために働こうということにはならないでしょう。経営者の方も、そういうものを持たないと、妙に遠慮したり、恐れたりして社員を叱ることもできなくなります。それでは社内に混乱が起こることにもなってしまいます。

 ですから、やはり経営者たるものは、いざというときには部下のために死ぬというほどの思いで、日々の経営に当たるのでなければ力強い発展は期し得ないと思うのです。


筆洗

2013年11月5日(東京新聞TOKYOWeb)

▼晩秋の夕方、精肉店前。野球帰りの子どもたちが自転車にまたがったままで熱いコロッケをほおばっている。温かく安価な庶民の味はだれをも懐かしい気持ちにさせる。藤子不二雄さんも「まんが道」で苦労の新人時代に食べたコロッケサンドの記憶を描いている

▼コロッケは明治・大正期に大衆的な西洋料理として急速に広まった。小沢昭一さんのお母さんが昭和初めの思い出にコロッケを語っている

▼「肉なんか買えないからコロッケばっかり。肉屋も知っててね。あたしが入ってゆくとあの人はコロッケだよって。あの唄のとおり」

▼浅草オペラの「コロッケの唄」のことだ。一九一七(大正六)年に大流行した。<いつも出てくるおかずはコロッケ きょうもコロッケ 明日もコロッケ>。毎日毎日、コロッケと嘆く歌詞に庶民の味というイメージができていった

▼おもしろいことに貧しい人の歌ではない。七番までの歌詞を読むと、あの時代に英語を習ったとか、自動車を運転したと出てくる。自慢げなのである。コロッケもまだ自慢の食べ物だったが、歌い継がれる間、安くなって、庶民の味を歌っているという解釈に変化したのだろう

▼三日、全国初のコロッケ大会で富山県高岡市の「高岡コロッケ」が一位になった。イカスミ入りという。懐かしい味とは違うが高岡育ちの二人の藤子さんもうれしいだろう。
  

Posted by kazu at 05:59Comments(1)