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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2013年10月20日

今日のコラム


10月20日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

小異を捨て大同につく

 明治維新の立役者は勝海舟と西郷隆盛である。当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり、複雑な情勢であった。しかし、勝海舟も西郷隆盛も戦うことを決して軽視はしなかったけれども、それ以上に、日本の将来ということを深く考えたわけである。そういう両者の一致した思いが、江戸城無血開城を可能にしたのだと思う。

 結局、指導者が目先のこと、枝葉末節にとらわれず、大所高所からものを見、大局的に判断することがいかに大切かということである。何が一番大事であり、何が真に正しいか、たえず小異を捨て大同につく、それが指導者としてきわめて大切な心がまえだと思う。


筆洗

2013年10月19日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼あの時、父に正確に何と言ったかは覚えていない。だが、その時の気持ちは覚えている。「この非国民が…」だ

▼安田純治さん(82)は、軍国少年だった。一刻も早くお国の役に立とうと一九四四年に十二歳で航空機乗員養成所に入った。硬骨の弁護士だった父ははっきり口にこそしないが、戦争に否定的だった

▼純治少年が飛行士を目指すと言った時も、父は「そうあせるな」と引き留めた。少年は心の中で父を非国民と罵(ののし)りつつ、「それでは間に合わない」と志を貫いた

▼戦争が終わって大人たちは突然、民主主義者になった。故郷の福島に帰り、途方に暮れていた安田さんは終戦の年の秋、新聞を読んでいて衝撃を受けた。軍国主義に抗(あらが)って獄につながれていた政治犯が、釈放されたとの記事だった

▼「絶望的な状況の中で反戦を唱えていた人がいた。時流に抗した人がこの国には存在したのだ」。その時の思いが安田弁護士の背骨だ。三十年前には「故郷への反逆者」と罵られながら、福島原発の設置認可取り消し訴訟の弁護団長を務めた。難しい裁判とは分かっていたが、福島にも原発に反対する人がいたという証しを残したかったからだ

▼その時の裁判で指摘した原子炉の水素爆発が、現実に起きた。いま安田さんは、原発事故で故郷や仕事を失った人が起こした訴訟の弁護団長を務める。元軍国少年の闘いは続く。
  

Posted by kazu at 06:22Comments(0)