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kazu
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東京から奈良に越してきました。
奈良市に住んでいます。

2013年09月23日

今日のコラム


9月23日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

永遠に消えないもの

 高野山にはたくさんの墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は、おおむね大名の墓だそうですか、その大名の墓も、今日では無縁仏になっているものもあるということです。昔は相当の一家眷族を養い、しかも明治になってさらに華族として、財産も保護されるという状態が長く続いたにもかかわらず、そういう変化があったということを考えてみますと、人間のはかなさというものを身にしみて感じます。

 やはり世の中というものは形ではない。いくら地位があり財産があっても、それはいつまでも続くものではない。結局、永遠に消えないものはその人の心であり、思想であり、この世で果たした業績である、そう思うのです。



筆洗

2013年9月22日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼不思議なことに秋の彼岸になると、気付かないうちに緋色(ひいろ)の花弁を押し合うように静かに佇(たたず)んでいる。どこまでも律義な花である。<西国の畦曼珠沙華(あぜまんじゅしゃげ)曼珠沙華>森澄雄

▼花だけが先に出て花が落ちてから葉が出る。忽然(こつぜん)と出現した感じがして、暗がりで出会うと、どきりとさせられる。九月の残暑が厳しかった昨年は開花がかなり遅れたが、今年はいつもの年のように秋の澄んだ空気を連れて来た

▼小説家の竹西寛子さんには広島第一高女時代、国語の授業で曼珠沙華を詠んだ俳句ばかり五句も七句もつくってくる同級生がいた。彼女は一年ぐらい後に原爆によって殺された。竹西さんは曼珠沙華を見て彼女を思わぬ日はないという(『俳句によまれた花』)

▼どこかに異国めいた妖しさがあり、死人(しびと)花、幽霊花などの別名もあるこの花は万葉の時代に食用のために中国から持ち込まれた帰化植物とされる。水にさらして根っこの有毒な成分を取り去ると、粘り気のあるでんぷんが飢饉(ききん)の備えとなった

▼<対岸の火として眺む曼珠沙華>能村登四郎。群生するこの花の姿を川向こうから見れば炎のように映るのかもしれない

▼晩夏からリズミカルな声を聞かせていたツクツクボウシは消え、鳴く虫たちの美しいハーモニーが秋の夜を彩る。この連休は、天候が大きく崩れる心配はなさそうだ。少し足を延ばしてみませんか。



2013年9月23日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)

天声人語

▼指揮者の故・岩城宏之さんはお元気だったころ、いわゆるデスマスクを作ったことがあったそうだ。それをかぶって、まったくの無表情で指揮をするという、テレビの企画のためだった

▼仰向けになって顔に枠をはめ、石膏(せっこう)を流して型をとる。顔全体が覆われていくと「この世から隔絶された恐ろしさ」を感じたと、体験を書き記している。かつて読んで記憶に残ったその一文を、「入棺(にゅうかん)体験が盛況」だという記事に思い出した。いわば、この世から隔絶される疑似体験である

▼自分らしく人生を終(しま)う準備をする「終活」が広まる中、忌避感は案外と薄いようだ。花で埋まる棺おけに入り、両手を胸で組む。白布団をかけてもらい、担当者がそっと蓋(ふた)をする

▼ひと月前の本紙東京版によれば、「終活フェスタ」と称する会場には、その入棺体験や散骨の相談、遺影の撮影など約40のブースが並んだ。生きているうちの旅支度を「縁起でもない」と嫌う時代では、もうないらしい

▼きょうは彼岸の中日、お墓参りの方も多かろう。見慣れた「〇〇家之墓」から、近ごろはユニークな墓石や碑銘が増えているという。家をめぐる考え方の変化や、個の尊重が背景にあるようだ

▼35年前、小紙が「わが墓碑銘」を募ったら傑作が集まった。ある会社員は「めざまし時計よ、さようなら」と寄せていた。当時の奇抜も、今なら「あの人らしい」と相成ろう。葬送も墓も世につれて変わる。大切なのは形より偲(しの)ぶ側の心なのは、変わりようがないが。  

Posted by kazu at 05:45Comments(0)